日本で唯一、平安時代の言葉が残る島に行きました。
ただ今特急石槌号松山行きに乗車中今回の 行き先は香川県イ吹島です人口323人の 小さな島には日本で唯一平安時代の アクセントが残っていますさらにイ吹島は 佐ぬうどんの出汁に欠かせない入り子の 生産地でもあり海沿いには入り子の加工場 が競り出すように立ち並びますカ音自役で 下車しカ音事項に移動します歩くこと25 分音事項に到着すでにフェリーが止まって いましたイ吹島への定期線は1日5往復の 運行です上線は券売機で購入します片道 600円です今回は7時50分発の瓶に 挑戦します店内にはなぜか冷蔵庫があり ました2階に上がってデッキに行ってみ ましょうベンチが設置されているので 腰かけながら景色を楽しめますこの日は 天気が下り坂の予報が出ており風も少し 吹いていましたカ音事項を出航カ音事項と い吹島を結ぶ定期戦はかつて市が運営して いましたしかし船員の確保が難しくなった ため2021年10月から市内で貨物輸送 を行っていた学べ海運に事業を譲渡民営化 により便数が一便増えたほ当民は半額で 利用できるようになりました右側には コンクリート製の巨大な構造物がありまし たこれはい吹島まで運ばれます何に使わ れるのか後ほどお伝えします左側に見える のはイ吹の煮干収出家です当内で加工され た入り子はここに集められますその奥には 広大な埋立て地がありますこれは公腕機能 の強化を目的として整備されたものです まだ建物が立っていませんが鉄鉱所や コンクリート製品の向上が建設される予定 で分乗場していた17区画は全て完売した そうです観音事項を出てに入ります日内田 とは香川県湘内半島と愛媛県高川半島の間 に位置する怪域で入り子の原料である片口 イワしが多く生作息しています名前の由来 は沿岸地域から火打ち石にするような硬い 石が取れたからという説があります風が デッキに強く吹き込むと覚悟していたの ですが全く風が吹かず船も揺れません過去 にいろんな船に乗りましたがこれほど風が ないのは初めてです左側を見ると本土に 多く工場が立っていますあそこは旧川ノ市 の精子工場軍です製品の出荷が15年連続 全国1位を誇る上の町ですイ吹島には日本 で唯一平安時代のアクセントが現存して いることで有名ですここでは3つの言葉を 例にして説明します糸のアクセントは胃が 高く都が低いです牛と足はどちらも初めが 低く最後が高いのですが後ろに画をつけて みるとアクセントに違いが出ます他の地域 では方言によって数が異なり宮崎県では わずか1種類しかなく関西や徳島高知では 4種類に分けられますしかし吹島では最も 多い5種類ですイ吹島のアクセントでは 中間や音の中で急行化するものがあり5 種類中4種類が平安時代末期のものと一致 しているのですこれは現在の警半神の言葉 のアクセントにもなく独特の文化が形成さ れたと考えられていますまた強言言葉の 名残りとして目上の人を呼ぶ時はお前と いうのだそうです前方にい吹島が見えてき ました海岸には建物が連っていますこれは 入場と呼ばれる入り子の加工場です現在 15の加工場があり島の盗南に集中してい ます岩市料はたった3ヶ月から4ヶ月です が年間売上高が数十億円に登り主要な産業 として島を支え続けています島の港は南北 に2つありフェリーが止まる港は真浦です 真浦では校内の波を穏やかにして漁線を 安全に泊にするため五がや防波堤設を行っ ていますカ音事項にあったコンクリート性 の巨大な構造物の正体は防波堤礎だったの ですこれを垂直に沈めていくそうです い吹島に到着港には原付バイクが多く 止まっています東内の集落は第一場にある ため坂道が多く当民の生活に原付バイクは 欠かせませんまずは入子の加工場に行って みましょう入り子の加工場につがる道路は 剣道262号線で真浦湖から北浦を経由し て真浦に至ります本当に剣道なのかと疑っ てしまうほどおかげがありませんがこの先 さらにすごい光景があったので後ほどお 見せしますい吹島はイワし両やり子の加工 に最も適したリッチです文庫水道とキ水道 から火打ちなどに魚が散乱にやってきます 山からは用分が川を経由して流れ反時計 周りの潮流によって適度に混ざってイワし の稚魚や階層などを育ててくれるのです 入り子の加工は時間との戦いです原料と なる片口イワしの量は網を引く2隻の漁線 と取れたイワしを運ぶ2隻の運搬線の合計 4隻で行われます漁選は取れたイワしを 運搬線に移し替えます運搬線は急いで 加工場に直行漁線は次の漁場を探し網を 張ってイワしを取り戻ってきた運搬線に 移し替えます加工場にはそれぞれ三橋が 付いておりここに運搬線が切がします橋に あるホースによってイワしを吸い上げ道路 をまいで交場に運ばれますその後イワしを 揚げし20時間ほど乾燥させると入り粉が 出来上がるのです品質がいいイワしほど 早く乾き油が多く乗る言いワしは乾きが 悪く売り物にならないそうです量は6月 から9月まで行われ加工場はフル稼働家族 袖出手で入り子を生産する他当該に住む人 も手伝いに駆けつけるそうです [音楽] しばらく進むと三角の標識がいくつも立っ ていましたこれは白色三角式版と言って この場所にインフラ設備が埋接されている ことを知らせる標識です標識の後ろには 看板があり文字が消えかけていますが海底 電力ケーブルが引かれているそうです 入り子の生産はい吹島の他に近土川の愛媛 県川江地区でも行われていました川の江の 漁選が網を投げる回数が1日7回から8回 であるのに対しイ吹島の漁選は10回 川の江の漁選は港から漁場まで距離があり 移動に時間がかかります一方で漁場が 近い吹島の漁選は川の江よりも創業回数を 稼げるのですイワしは鮮度の低下が非常に 早く運搬が数分伸びるだけでも禁低下に つがります島島では運搬線によって素早く 島へ運び加工場では乾燥機やイワしを 吸い上げるポンプサイズ選別機などを導入 水上げから揚げまでの時間をわずか30分 まで短縮させることに成功し好品質な 入り子を生産川の絵地区では入り子加工が 次第に行われなくなり代わりに浜ち洋殖の として加工されるようになりました海外の 魚が流入し日本の漁業が苦戦を強いられて いる中鮮度のいいうちに加工できるイ吹島 の入り子に外国さんの煮干が立ち打ちでき ない理由がここにあるのです引き続き剣道 を歩きます入り子の加工場が並ぶこの エリアでは至るところに石物を見かけます 実は当内に多くの積物があり四国88箇所 令以上に見立てた石物に参りながら当内を 巡る島四国が旧暦の3月21日に開催され ているそうですその上には魚のイラストが 書かれた看板がありました魚の横にはヤゴ が書かれており各加工場に設置されてい ますこの剣道は海岸と加工場の間を縫う ように整備されていますがもっとすごい 光景がありましたこれがこちらです道路の 上を加工場が覆っていますまるで工場の 敷地内のような異様な光景でこの間を通っ ていいのか戸惑いましたが剣道であること を再度確認して進みますイワし料が始まる 6月からはこちらの交場も慌たしくなるの でしょう現在は量が始まる前なので 静まり返っています入り子の加工は季節性 が高く当民はイワし両が行われない時期に 当該へ出稼ぎに行っていました対岸の看音 自士に出稼ぎに行く人が多く中には漁業 よりも出稼ぎの方が収入を上回ったこと から音寺の高外に引っ越す人もいたそう ですカ音寺以外の出稼ぎ先では関西権が 多く特に大阪府泉佐野市へ出稼ぎに行って いたそうです泉佐野市はタオルの産地とし ても有名でタオル工場が多くあります イ吹島出身の女性がタオル製造に多く従事 していたという記録も残っています しばらく進むと右側に魚輪用刀があります 魚の霊を伴うために立てられた塔の隣には 石物がずらりと並んでいましたそれぞれ花 が備えられています加工群を歩いていると 思いがけないものに出会いましたこれは ヤギです白という名前がつけられています が近づくと頭きをお見舞いされるそうです 頭つきの白の横にあるのが海底総水艦です 1979年から今度より水道が引かれてい ますい吹島は硬い岩板があり地下水は一滴 も出ません水道が整備されるまでは水不足 に悩まされていました東内には井戸が多く 残っているので集落へ行ってみることにし ましょう 港に戻ってきましたここからは登り坂が 続いています前回訪れた香川県の高島は 絵本に出てきそうな塩水系の山が印象的 でしたい吹島は火山の溶岩で構成されて おり周囲が崖で囲まれ頂上が平らな地形 です頂上に集落がある関係で港に上陸する とすぐに急な坂道を登らなければならない のです左側にある建物はイ吹ですここで 入り子が購入できます今回購入したのは 入り子で最も大きなサイズの大葉です大葉 は味や風味が強く入り子本来の味を楽しめ ます漁の隣には妙神社がありましたここに は恵比寿様が祭祀られています左側のヤ島 には海場安全その上には3文字が書かれて いますが恵比寿コンピラさん八様を表して いますここからは坂道を登り集落に向かい ましょう左側にはイ吹島の発展に貢献した 美塚の石碑がありました明治時代に漁の 会長や村長を務め漁業権の確保や新魚の 開拓など様々な業績を上げた人物ですその 奥にあるのは春旅館です内には旅館と民宿 がそれぞれ1件ありこの春旅館は真浦湖の 近くにあります旅館の背後には駐在所が ありますかつてここには対象時代に建設さ れたディーゼル発電機がありました先を 進みます先ほど歩いた剣道262号線は島 の外周だけでなく集落の中も通っています 市幅は軽自動車が通れるサイズですが元々 は秋に行われる調査祭りで調査と呼ばれる 太鼓代が通れるように整備されたそうです 左側にある茶色い建物は簡易宿泊所です 2019年にオープンした裾の親宿で1泊 3500円で利用できます入口にはなぜか 網尻刑務所の看板が飾られていました左に 曲がるとイ吹開発センターにつきます役所 のようなものです引き続き剣道を歩きます 右側には掲示板があったので見てみると 散発に関する張り紙がありました定期的に 散発イベントが発生するようですその奥に はイ吹小学校の急行者がありますイ吹は 130年以上の歴史があり1959年には 683人の児童がいたそうです児童の現象 に伴い2010年に当内にある中学校へ 併設され急行車は瀬戸内国際芸術祭の会場 として利用されています急行車の向い側に あるのが八万神所です当民の宇神様で6月 には真事として神楽が行われます予想以上 に敷地が広く立派な神社です経済の脇には 電気導入記念費があります最低ケーブルで 電力が供給される前は深夜体だけ電気が 使えなかったそうです神社の隣には商店が ありました食料や日用品が購入できる当内 で貴重なお店です商店の奥には木造の建物 が見えますがこちらは公民館です 引き続き剣道を歩いているとフェンスで 囲まれた空地に到着これは平井井戸です 井戸といえば地下水を組むのが一般的です しかしい吹島には地下水に恵まれなかった ため甘水に頼っていました各家庭にためが 整備され屋根に降った水は甘いを通り井戸 に貯められました冬場の撥水機には家庭用 井戸の水がなくなるため当内の8箇所に 整備された共同移動を使っていました ヒライン移動もその1つです歴史はかなり 古く1683年に丸ガ班の女性で掘られ 立ち合った役人の名前にちんで来いと 名付けられました当内では井戸のことを泉 と呼ばれておりこの井戸は平屋の泉と呼ば れています今度から水道が引かれてからは 蓋をされ中継層に回収されましたが10年 前に新たな中継層が整備されました新しい 中継層は先ほど訪れた小学校の急行車の隣 にあります近くに当時の姿を残している 共同移戸があるので行ってきましょう当時 は天秤を使って水を運ばなければならず 東内は細い道が多いので相当苦労していた のではないでしょうかその井戸がこちら前 の泉です近くに全のヤ王を持つ当民が住ん でいることからその名けられました周辺の 速攻を流れた雨水は果を通ってこの井戸に 到達します今度は集落の西に行ってみ ましょうしばらく登り坂を歩いていると 右側に民族資料館がありますかつて幼稚園 だった建物を活用したもので当民が使わ なくなった魚具や農具などを持ち寄って 展示しています島の全てが分かる貴重な 場所で入間量は無料です左側には農地が ありましたかつて吹島では麦を栽培してい ましたが高齢化や人手不足によって農業は 廃たれ農地だった場所は荒れ地になってい ます突き当たりにあるのは吹小中学校です 自動数は小学校と中学校それぞれ1桁台 ですかつて皇帝はヘリポートとしても利用 されていましたが現在は島の北製に ヘリポートが整備されています民族資料館 まで戻ってきました港から歩いてきた道が 左側です今度は右側の道に行って集落の 北側と東側へ行きたいと思いますポツポツ と雨が降ってきましたイ吹島の人口は 1950年の4325人をピークに減少し 続け2020年時点で323人秋屋が多く 民家全体の2/3を占めている状況です しばらく進むと神社にたどり着きました これは天神社で学問の神様である菅原の 道座猫光が祭祀います見えにくいですが 鎮座しているのは駒犬ではなく小牛です 天神社は高台にあるのでこのように集落を 一望できます下を見ると円形の石が2つ ありますかつてここに鳥が立っていました 昔神社の改築を行った際に鳥井を港から 神社まで運ばなければなりませんでした そこにシゴ郎という民がやってきて1人で 鳥を勝つにここまで持ってきたという有名 な話があります 天神社の隣にあるのが先祖員という寺です 名前の由来はこの辺りで多くの水が湧き出 たと伝えられていますが島には地下水が 全く出ないので水が湧くことを願って 名付けられたという説が濃厚です戦造員を 過ぎると景色が開け右手には海が見えます 左手には不自然なフェンスがあったので 近づいてみるとここにも共同井戸があり ましたこの井戸は寺町の泉と呼ばれており 寺は洗を指しているものと思われます甘水 も貴重だったため手を洗った水や米の汁は 畑の水やりに使ったり食器を洗った水は 洗濯に使ったりして同じ水を2回3回使っ ていたそうですその先には民家の後地が あります各家庭に置かれた井戸は出入り口 付近にありこちらの後地にも井戸が玄関先 にあったものと推測できます1979年に 水道が引かれ集落の道には水道感を埋接し た痕跡がはっきりと残っています当内に 水道や電気ゴミ償却が整備され日常生活 やり子加工の生産性が向上しました集落の 東に進むとレビアの後地に到着しました かつて島には出産を終えた女性たちが家を 離れデベ屋という山陰で1ヶ月間共同生活 をする風習がありました家事などの労働 から解放されてゆっくりと過ごせる場所で 女性同士が助け合って暮らしていたそう ですこの風習は全国にあり多くが明治時代 で廃たれていきましたが吹島では昭和45 年までデベ屋が利用されていました の後地からは島のもう1つの港である 北浦湖が見えました奥に入り子の加工場が あります先ほど歩いた海沿いの剣道を ひたすら進むと北浦に到達します引き続き 集落の東側を歩きます見えてきたのは共同 井戸おこじの泉ですセメントで覆われ 手押しポンプによって水を組んでいたの でしょうか後ろにはモーターがあり現在は 機械によって水を組み上げているものと 思われます井戸の横には複数の蛇口もつい ていました背後には西の堂という小さなお 寺がありますおこじの泉のおことは西の道 を指しているのです西堂の隣には祭りに 使われる太鼓代が保管されています右端に あるのが高神社です八神社で昼間に神楽が 行われると同じ日の夜に高神社で火の元 横神楽が奉能されます東内に子供が多くい た時代にはお寺や神社が遊び場となり特に 八神社や千員そしてこの高神社では子供の 声がよく聞こえたそうですここからは集落 の中央部に移動します左には木造の建築物 がありますこれは2016年の瀬戸内国際 芸術祭で建設された入り子案です建築素材 に入り子の感想に使われていた性路を使っ ているそうです島の小さな集会所として 当民に親しまれています脇道を通り ましょう左側にはかぱ屋という商店があり 当民の交流の場として愛されてきましたが 残念ながら建物は解体されたそうです き当たりには郵便局がありました平日のみ しています真浦校に戻ってきました待合室 の時計を見ると12時フェリーは13時半 に出航するのでしばらくここで待機します 13時を過ぎました港を見ると先ほどより も波が荒れていますフェリーに上戦し 真裏光を出行大きく揺れながら方向を変え ていきます 人口が減少している島ですが全国トップ クラスの生産量を誇る居り子の産地として 今もなお活気のある地域です カ音事項に到着カ音事項を訪れた際には 練り物がお土産に最適ですカ温事項周辺に は練り製品の事業所が多くかまぼやちワ などの生産が盛です歴史は明治時代に遡り カ温事項に水上げされた魚のうち余った 小魚の流通拡大のために練り製品の生産が 行われたそうです最大で70箇所以上あっ た事業所は現在およそ20箇所に減少して いますがカ音寺の練り物は今も香川県内に 多く流通されていますカ音事項の近くに 是非訪問して欲しい場所がありますそれが 有明浜です事より北に位置し2kmに渡っ て白い砂浜が続く東朝の海岸です早速 有明浜へ行ってみましょう勘には幅 300mから500mの広い日型が出現し ます塩ひ狩りスポットとしても有名で4月 から5月にかけてが取れるそうです前方に はい吹島が見えましたここからでも海岸部 にある加工場がはっきりと捉えられます 北側にあるのは湘内半島です香川県の西に ある尖った地形を指します有明浜の後ろに あるのが銭型スエです江戸時代に流通した 通貨栄通報をしたものです砂ができた経緯 については様々な説があり現地の案内版で は阪種を歓迎するために一夜にして作られ たと書かれていますまたこと引山の山頂 からの眺めに配慮して砂江は楕円になって おり海側の方が少し高く設計されている点 も特徴です砂への北側へ移動すると今度は 畑が広がりビニールハウスが立ち並んでい ましたこの辺りは地下水が豊富です戦後 ポンプで水を組み取り農業要水として使用 することで本格的に農地として使われる ようになったのですめはみかなどの過樹園 でしたが現在は年に2回や3回の収穫が 可能な畑に転換されていますしばらく歩い ているとポンプ室を発見ここで地下水が 組み上げられていますカ温寺駅に戻ってき ました駅に着くと運休の案内が書かれてい ます実は山風の予報が出ていたため前日に 計画運休を行うことが発表されていました 山風とは愛媛県東洋地方で吹く南風のこと 四国産地を超えてきた南からの風が急な山 の車面に沿って一気に吹き下ろす現象です カ温寺から東の区間は平常通り運行するな ので予定通りの列車に乗車できました カ音寺駅を後にします今回はイ吹島につい てお伝えしましたご視聴いただき ありがとうございました [音楽]
今回の行き先は香川県・伊吹島(いぶきじま)です。
人口323人の小さな島には、日本で唯一平安時代のアクセントが残っています。さらに伊吹島は讃岐うどんの出汁に欠かせないイリコの生産地でもあり、海沿いにはイリコの加工場がせり出すように立ち並びます。
チャプター
0:00 オープニング
0:28 乗船・平安時代の言葉
4:31 伊吹島(イリコ加工場)
10:20 伊吹島(集落)
21:25 観音寺港周辺を散策
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この度、「メンバーシップ」を開設しました。お手頃な価格ですので、ご興味のある方は以下のURLにてご確認ください。
https://www.youtube.com/channel/UC1DM5DmIu093-ZhjvR7f2Zg/join
<お仕事の連絡先>
https://yama-travel.my.canva.site/hp
地方自治体や企業からの動画制作依頼など、お気軽にご相談ください。
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X始めました。
https://x.com/yama_travel_
・参考資料
後ほど記載します。
bgm-「神樹の園」「武具商店ロストスレイヤーズ」「世界の旅路」
パンダの中のパンダ様
44件のコメント
島民の方は「芸術祭をやってない時期は何もないよ〜」と仰っていましたが、珍しいものばかりで時間があっという間に過ぎていきました。まもなくイワシ漁が解禁する時期なので、島民の方々は忙しくなるのでしょう。
【訂正】
11:02 漁業→漁協
21:01 海を見えると→海を見ると
【お知らせ】
この度、Xを始めました。
動画には収録していない島の話や、動画の告知、お知らせをポストします。
フォローのほど、よろしくお願いいたします。
https://x.com/yama_travel_
サムネの空撮写真は、ドラゴンボールで真っ先に宇宙人や改造人間などの襲来で壊滅させられてしまいそうな雰囲気を感じさせられる、
ありがとうございます。伊吹島にはいつ行かれたのですか?
合田商店があることから4月下旬以降ですね(笑)良く取材されて島民として感謝します。四国から離れて居る人たちにお勧めしますね
良い声だなあ。どっかでナレーターできそうな声ですねえ。うらやましいなぁ
初めて拝見させて頂きました。地域の歴史もよく調べてあってとても勉強になります!
色んな地域紹介動画がありますが、私は歴史的背景も知りたいと思う方なのでこのように纏めてあると感謝です。
鹿児島には鎌倉時代の言葉がまだ残っているそうです。よかにせ
合併前の旧観音寺市に居住していましたが、伊吹島には縁がなく一度も訪れたことはありませんでした。
讃岐うどんのだしをとるイリコ生産に感謝しつつ帰郷の際はうどんを食べています。
貴重な映像を作っていただきありがとうございました。
たくさんの方が賞賛されておられますが、ききやすい声、無駄のない整えられた紹介、素敵です。いにしえの日本の名残を垣間見たような気がします。他のコンテンツも楽しませていただきます。
本当に素晴らしいナレーション!いつまでたっても日本語のレベルだけは上がらない<AI>に丸投げでチェックすらしない他の動画とは雲泥の差です。
瀬戸内海の島に、古い京都の文化や言葉が残っていたとは驚きです。
平安京の前に奈良の平常橋の後に都の置かれた長岡京(今の京都府長岡京市、向日市)の古い神社では、特に天満宮がよく似ています。
長岡天満宮も、狛犬ならぬ狛牛がいます。
昼と夜に、二つの神社で神楽を交互に奏するのは面白いですね。
宇宙観を感じます。
陰陽道みたいな、二元論でしょうか?
あと、出部屋について。異論があるのです。
女性たちが「ケガレ」として、家から、または村の中心から追い出されて周辺化・排除される。
それは性差別、人権無視ではないでしょうか?
ブラジルのある狩猟最終民の村では、村の中央に母と子どもたちの居所、家屋があり、それをぐるっと囲むように男たちの住みかがあります。
日本の伊吹島の村の構造は、まるで逆です。それは残念ながら、女性の地位が低いことを表しています。
誰が言い出したのですか?島全体の子育て。
男たちの育児参加は? 出産前後の1ヶ月程度の集団の相互扶助。
男性たちのプライドや古くからの因習を立てつつ、「名を捨てて実をとる」女たちの作戦ですか?
出部屋も近代の産院につながった良さもあり、全部否定しませんが、やはりそれは島あげての全員参加の子育ての根拠としては弱いのでは。
個人の職業選択や、役割りを選ぶ自由もなかったことも見逃せません。
もし今の時代に政策として国か自治体単位でやろうとすれば、ファシズムになりかねない危惧があります。
その辺は、ちょっと違うなぁと思いました。
4月に観音寺市へ行きましたが、残念ながら伊吹島に行く時間がありませんでした。
島の様子がよくわかる動画ですね。ありがとうございました。
ところで、四国本土と島を結ぶ連絡船をフェリーと呼ぶのは間違っていませんか?
最近、テレビでも連絡船やクルーズ船を「フェリー」と呼ぶアナウンサーがいたりテロップに出したりしていますが、人だけでなく、自動車・バイク・トラックなどの車両を輸送できるのがフェリーボートの特徴です。
そういうわけで伊吹島の小学生が先生を「お前」と呼ぶこともあったとか。赴任してきた先生が小学生に標準語を使うように指導していたら教育委員会から「伊吹島の小学生に標準語を無理じいしてはいけません」と注意を受けたという話も聞いたことがありんす😊
いつも素晴らしい動画ありがとうございます
離島は男のロマンですな
ま、実際には暮らしにくそうだなぁとか思いますが…
あちこち離島や周辺の情報があって、旅気分になれますね
地下水が出ないのに井戸が有るの?と思ったら溜池の事なのですね。これも島に残る平安時代の言葉なのですか?
今回もありがとうございました。また1つ、知らない日本を知る事が出来ました。次も楽しみにしております。
いりこ島やね^_^
銭形平次 思い出した。お前 お前さん と夫婦で呼び合ってたの思い出した。悪い呼び名は 御主だろうな、明らかに廃れた言葉
高校で同級生に伊吹の人がいました
話ししてる言葉が理解出来ませんでした
衝撃を受けました
うら 自分
わら あなた
語尾にきゃ
旅先で知り合った、福島県会津のお婆ちゃんから手紙を頂いた時の文面でも、「お前に会えて楽しかった…」と書かれていました。全国で使われているのかも知れませんね。
瀬戸内海のとある島に住んでいる者です。私が住んでいる島とは景観がまったく違って、とても好奇心をくすぐられました。恐らくこれから先も多分訪れることはないであろう?島の貴重な動画配信ありがとうございます😊
小魚を茹でて乾燥する工程でかなりの悪臭があるから大変な事業ではある。そのおかげで貴重な出汁で恩恵を受けられるのだから感謝しないと。
これは良い動画、勉強になります。丸亀製麺はアウトではなまるうどんがセーフなのは、後者がいりこ出汁をちゃんと使っているからなんですよね。
京都が日本の中心だった頃は、言葉の最先端が京都で、そこから同心円状に古い京都言葉が分布しているそうです。なので、離島や交通困難地にはそういう「言語島」ができるそうです。
観音寺の小学校に通ってました。
何かの授業で「戦争時代、伊吹島の住人が招集された時のお話として『お前』と上官に向かって言ったらば、『上官に向かってお前とは何事か!』と酷く張り飛ばされた」というお話を聞きました。
平安の言葉だったのですが、上官には理解出来てなかったということですね。
母方の実家が伊吹島の者です!幼少期に伊吹島に泊まりに行ったり祖母がこちらの家に泊まりに来たりした時など祖母の言葉が分からず???となったのを思い出しました。
うら→自分のことを指す言葉
ほらきん→ですからを指す言葉
われ→相手を指す言葉
ほうらいさん→部屋の中が滅茶苦茶な状態
などなど不思議な方言が沢山あるので興味のある方はぜひ調べてみてください!
四国ってどこかと思ったらめっちゃ近所
家から海の方見たら島見える
でもあの島の事初めて知った
伊吹島のいりこは食べごたえがありマヨネーズつけて酒のつまみにしたら最高です。いりこ飯にも使ってます。
ヨットで一泊で伺いました。
漁協の方にはお世話になりました。
島の大きさの割に、家の数が多い。
小さな島で人口も少ない(こういった島で300人超ならば、大きいとは思いますが)のに、近年に埋め立てて工場誘致も既に全区画完売となると、安いというだけでなく地の利が有るんでしょうね。
インフラも整備されていて、なるほど、工場も候補に考えますね。
福島県は言葉のアクセントは全く無しです!
島の様子、初めて見ました!ありがとうございます。
過疎化でバスの減便や廃止が増えるなか伊吹島の軽自動車での代替えが気になっていました!過疎地で大型バスにお客さんが1人とか空とかあり自治体の補助金頼りの所が多いこと➰伊吹島の道が狭いこととダイハツ4代目社長出身地であることもあって、ダイハツの軽自動車がバスの代わりの運行!だそうです
イリコ漁のシーズンに10日ほど通ったことがことがありました。現地の人の会話は、例えば津軽弁のような、「日本語っぽいけど何言ってんだかサッパリ聞き取れない」感じでした。自分のことは「ウラぁ」相手のことは「ォんマエぁァ」とか、とても文字にはできないような、不思議な言葉でした。
是非宿泊してみたい。
四国は色々な場所に平家の生き残り達の伝説が残ってるからね
本島離島ともに四国の歴史観は、本当に趣深いですね
また次の特集も期待しています
伊豆七島の八丈にも大和言葉が残っていますね
イワシ鰯〜すぐに弱くなる・だめになる魚〜加工は時間との戦い—なるほどね。いりこ出汁なしに和食はあり得ない。素晴らしい伝統。
絶対行きます。動画ありがとうございます
素晴らしい情報量❗️
ナレーションも素晴らしい‼️
勉強になりました😊動画ありがとうございました
近くに住んでるけど詳しくは知らなかったな〜
大変興味深く拝見しました。わかりやすさ、見やすさ、どれをとっても満点の出来栄えです。
私の母の郷も近くの小島ですが平家の落ち武者がこの付近にはかなりいたそうで、よく聞いてました。祖母の旧名も藤原で、その辺も臭います。又この辺りは塩飽水軍が昔活躍して速い潮流を巧みに操船し丈夫な船を作っていたそうです。その水軍の需要が失くなった後、船大工や宮大工や漁師になったようです😅
地元の人が喋っているところや、実際の発音、直接聞きたかったなぁ~
3:41 僕も上司に『お前』、使ってみます。どこぞの球団の元監督は『お前』という言葉は『暴言だと』言ってたけど、怒られたりしないかな?