【東京】23区最大の軍都はやっぱり戦争遺跡だらけ!赤羽編後編

皆さんこんにちはチンスポの達人ですこの 動画は赤羽周辺の戦争遺跡を巡る動画の 後編になりますまだ全編を見ていない方は 是非一緒にご覧いただければと思いますと いうことで早速続きをご覧ください こちらは霧ヶ丘団地で元々は陸軍の火薬湖 がありましたもしかしたらひゆさんの出身 地としてご存知の方もいるかもしれない ですね あとめちゃくちゃ昭和レトロな商店街とし ても有名です 火薬湖があった時代には5爆に備えて周囲 が土手で囲まれていまして戦後は繊細者 など約2000人が暮らす赤羽号となり ました 霧ヶ丘団地の向いのバス停には赤羽号の 名前が残っています この霧ヶ丘中央公園も赤羽号があった場所 でした [音楽] そして団地から少し離れた場所に陸軍の 境界石がひっそりと残っています電柱の 後ろに隠れる形になっているので知らない とまず気づかないでしょうね 反対から見るとこんな感じです [音楽] もう1つ桐川団地周辺の戦争遺跡として この末広稲大名人があります この稲神社は明治の初めから昭和20年の 終戦まで旧陸軍が所有していました明治5 年にこの辺りに火が完成した際に日けとし て稲神社を祭って無事を祈願したようです [音楽] 石碑に書いてある品っていうのは日中戦争 のことなのでおそらくその当時に食事が 行われたんだと思います 霧岡化団地の他にもこの辺りには古い団地 が数多く立っています 軍事施設の後地を活用するために当が再 開発を行ったのが理由で北は足立区当区に ついで1万3000個の都営住宅がある そうです この案内を見るとアパートの多さが分かり ますよね [音楽] 60年以上経ったものも多いのでそれなり に連金を感じさせるんですが中には最近 立て替えられたおしゃれなものもあります これとかデザイナーズマンションみたい ですよね ここはヌーベル赤羽台と言って元々は赤羽 台団地という光栄住宅だったのを2006 年から18年にかけて立替えてできました で元々ここには皮服がありました軍服など を作ったり保管したりする施設ですね このヌーベル赤羽台に立替える際に皮復症 時代のレガが掘り起こされたようでそれが ベンチの基礎として再利用されています [音楽] 1箇所だけじゃなくていくつかありまして ベンチ以外にも移行レガとして展示されて いました [音楽] このヌーベル赤羽台の一角にはですね スターハウスと呼ばれる団地が残されてい ます [音楽] スターハウスは重がYジ型に配置されて いる個性的な建物で建築化の一浦剣が発案 しました 箱型の団地が規則正しく並んでいると単調 になるので風景のアクセントとして考案さ れたようです ただ建設コストが重むことから1970年 代半ば以降は作られておらず今ではあまり 嫁に書かれない貴重な団地となっています [音楽] それもあって2019年に団地としては初 の登録有計文化剤に登録されました ちなみにエレファント鹿島市の宮本浩司 さんはこの赤羽台のスターハウスに住んで いたそうです [音楽] なので赤羽駅の発射メロディにはエレカの 子宵いの月のようにが使われています 前回の動画でも紹介したんですがかつて 軍要線が走っていた場所が現在は赤羽緑堂 公園として整備されていて線路をモチーフ にしたU歩道になっています この赤羽自然観察公園の辺りまで動は続い ていました でさらに進んでいくとトップアスリートの 競技力向上を図る味の元ナショナル トレーニングセンターがありましてこの 場所までかつて軍要線は走っていました [音楽] ここには兵器を保管する東京陸軍兵器補給 省がありましてここから軍要線に乗せて 兵器を各部隊や戦場に供給していたよう です まそういう土地だったからこれだけ広大な 施設を作ることができたっていうことです ね [音楽] 今では日本のトップアスリートたちが金 メダルを目指して検査を積んでいるわけ ですが元々古代オリンピックは聖なる休戦 と呼ばれていて戦争を中断してでも参加し なければいけなかったみたいなんですねな のでかつての軍事区域がこうしてトレ線に なったのも何かの縁があるのかもしれませ ん 足の元ナショナルトレーニングセンター から南に少し歩いたところに西ヶ丘住宅と いう公営宿舎があります その一角にちょっとした広場があるんです がこのレガは陸軍兵器補給症のレガを再 利用したものだそうです レガをよく見ると常識面性の刻印が見える んですがこれは埼玉県深屋市の常識面に あった日本レガ製造株式会社で作られたと いうことです 日本レガ製造株式会社は渋さらによって 設立されまして日本初の機械式連ガ工場と して有名です 子供の足跡のようなものもありましたどう やってこんなにへこんだのか気になります ね [音楽] レガ広場の反対の通りのコミ道を入って 少し歩いているとですね唐突に古めかしい コンクリートの壁が見えてきます これは稲車場の教会兵になります 稲車場では隣の板橋区にある東京第2陸軍 増で製造された火薬の爆破試験を行ってい ました 稲付車ができたのは1905年でしてそう するとこの壁も120年の歴史があ るっていうことになります まそれは所々剥がれ落ちたりもしますよね 稲付車場は7粒ほどありましてこの梅の 気象学校は元々車場の中心地でした そのため学校の脇には教会席が残ってい ます ちょっとかけてしまってはいますが しっかりと陸軍用地と読めますね カナのウ賀交差点からちょっと入った ところに綺麗に整備されたき道があるん ですがここはかつて板橋から稲付車場に 火薬を運ぶ軍道路でした [音楽] この先に板橋の戦争遺跡がいくつかある みたいなのでまそのうちそっちの方にも 行ってみたいと思います [音楽] [音楽] はいということで今回は以上となります それでは次の動画でお会いしましょうでは また

23区最大の軍都と呼ばれた東京都北区。
十条〜王子周辺の散策に続いて、
赤羽周辺の戦争遺跡を10個見てきました。
前後編の後編です。

◼️関連動画

【index】
0:00 オープニング
0:25 桐ヶ丘団地
2:44 ヌーヴェル赤羽台(赤羽台団地)
5:40 味の素ナショナルトレーニングセンター
7:20 西が丘住宅のレンガ広場
8:44 稲付射場跡
10:09 軍用道路

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3件のコメント

  1. こんばんは。
    私は、大学進学で関東地方に住み始めました。
    上京したらいろんな所に行きたいと思っていたにも拘らず、いざ一人暮らしを始めたら、何かとやる事があり、結果戦争の痕跡が残る所だと、京急の平沼駅跡だけです。

  2. 毎回見応えある動画をありがとうございます。

    1:54 鉄道員をやってますが、線路を守る【線守稲荷】というのもありまして、お稲荷さんもやることが沢山で大変ですね。

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