なぜ東京に「私娼街」ができたのか 遊郭で働けなかった遊女の顛末 玉の井 鳩の街の銘酒屋の歴史をたどる
[音楽] nhkのタイガドラマベラボや鬼滅の刃 有郭編などの影響から今郭がちょっとした ブームになっているようです 江戸幕府公認の有郭で働いていたオイラン は厳しい規則はあったものの生活は保証さ れていました その裏側で吉原で働くことができない女性 もいました 彼女たちは師匠と呼ばれ吉原周辺の非公人 の友女屋や名主やで働いていました この動画では今から80年前首相が働いて いた玉井と鳩の町をご紹介しながら東京の 赤線地帯の歴史を考察したいと思います 前半は玉井後半は鳩の町をご紹介します [音楽] 東武伊勢崎線の東向島駅から玉井へ向かい ます この駅は以前は玉井駅だったのですが昭和 62年に解消されたそうです 玉いはこちらですね 玉ノ井と呼ばれる場所は東武伊勢崎線の 東向こ島駅から金田口駅の東側で住所で 言いますと住田区東向こ島5丁目と住田3 丁目にまたがるエリアです [音楽] なぜこの場所に師障が集まったのでしょう か [音楽] 江戸から明治にかけて吉原の周辺現在 奥浅草と呼ばれているエリアに名主屋が 集まりました 名主屋とは師匠がいるのことです 大正時代になると浅草は産業地に指定され 警察から降臨された花町になっていきまし た 風気を乱出す名主屋は花町では営業ができ なくなったため浅草の師匠は住田川を渡り 玉の家へ移っていきました [音楽] 駅から5分ほどで色通りに出ました [音楽] この色ハ通りの両側に名主屋が立ち並んで いました 名主屋が浅草から移転してくる以前のこの 辺りは田ぼでしたのでこんな場所で仕事が できるかと不平を漏らした師匠も多かった そうです しかし名主やが営業を始めると遠方からも 大勢の客がやってきました [音楽] 戦治中は兵士や周辺の公引で賑わっていた 玉井ですが東京大空により名主やの多くが 消出してしまいました 広葉通りの南側映像では右側には当時の おかげは全く残っていないのですが北側は 被害が少なかったため今も当時の建造物が 残っているかもしれません [音楽] 路ジに入ってみます 早速Rの建物が見えてきました [音楽] この辺りは赤線地帯に指定されていた場所 です 赤線とはそれまで公けに認められていた 有郭や産業地がGHによって廃止された後 にできた半ば公認の風俗街 都内では吉原玉井鳩の町津崎が指定され それを木に名主屋はカフェへ そして師匠は女球に名前を変えていきまし た [音楽] カフェは戦後スナックやバーに商売した ところが多かったのですが現在は飲み屋も 少なくなっています こちらの店は今も営業されているようです ね 建物にカフェへの名残りを感じることが できます この焼肉店もそうですね [音楽] カフェへの建物はタイル張りの壁と柱 丸いや奥義型の飾り窓そして道路に対して 斜めに設置されたドアなど独特のデザイン でカフェ建築とも言われています [音楽] こちらのようにカフェへの建物は入り口が 斜めになっています [音楽] 当時の処活警察署によれば昭和初期玉いで営業をしていた名主屋は [音楽] 497件働いていた女性は 1000人いたと言います 女性の全職は女中農業そして女行が大半を 占めていたそうです [音楽] 玉いの名主屋は空州によってその多くが 消出しましたが戦後焼け残った長屋を回送 しカフェとして営業を再開したそうです [音楽] こちらの美容室もカフェ建築の名残りです ね 障害と言いましても一般の人も暮らしてい ましたので通りには本や薬局飲食店なども あったそうです [音楽] 場所を移動して引き船へやってきました 玉いと同様にカフェだった鳩の町 終戦の直前に作られた鳩の町も当初は玉井 と名乗っていたそうです [音楽] 引き船駅から徒歩5分ほどの場所に鳩の 町通り商店街があります [音楽] この場所は吉之純之助の原職の町や長い 花風の瞬上鳩の町など有名な小説や映画の 舞台となった場所でもあります [音楽] 女優の木の7さんもこの町の出身だそう です [音楽] この場所が鳩の町と呼ばれるようになった 理由は戦後ここが米兵の慰安施設だった ことに由来しています 米兵に対してここに来れば幸せになれると いうメッセージを込めて友女がつけたと いう説 もう1つは戦争が終わり平和になったので 米兵が鳩の町と名付けたという2つの説が あります [音楽] この2階の窓から友女たちは米兵を眺めて いたのかもしれません [音楽] [音楽] 商店街の脇き道に入るとこのような色 タイルを貼った消化風の建物が今も残って います [音楽] 鳩の町に限らず名主街が米兵の慰安所とし て利用されていたのは終戦から半年間ほど アメリカ国内からの批判や整病の蔓延で 米兵は来なくなりました その後鳩の町は赤線地帯に指定され周辺の 攻場勤務の日本人で賑わったそうです [音楽] [音楽] 商店街を歩いていくと下町らしい個人商店 がつねていました [音楽] 食事一体型のこれらの建物も当時のカフェ を回したものだと思います [音楽] [音楽] 今回は東京の師障街玉鳩の町をご紹介し ました [音楽] 師匠たちは貧困や親兄弟のためにこの町で 必死に働いていました [音楽] 当時の建物はなくなっていきますが80年 前彼女たちがこの町で必死に働いていた 歴史は記憶にとめておきたいと思います [音楽] ご視聴ありがとうございました [音楽]
玉の井が私娼街になったのは大正時代。
浅草の銘酒屋で働いていた遊女たちが玉の井へ流れ赤線地帯を形成していきました。
終戦の直前に浅草や玉の井から女給が集まった鳩の街は戦後、米兵の慰安施設として賑わいました。
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#東京の街と公園ガイド
4件のコメント
昔この街のど真ん中に得意先があって
名残の派手なタイルの店が沢山あったのを思い出しました。今はスッキリし過ぎてしまいましたね。
東京都墨田区です。
良いところです。
カフェーというやつか
玉の井は遊女が造った街とも言えますね。
遊女と銘酒屋の従業員が移り住み、大勢の客が訪れるようになると、
彼女達や従業員、そして客を目当てに
飲食店その他の商売人が移り住んでくる。
今は落ち着いた住宅街だけど、当時はさぞ華やかだったでしょうね