香川と岡山の間に存在する”広島”に行きました。

ただ今特急南風号に乗車中。今回の行き先 は香川県広島です。広島だから広島県では と思う方がいらっしゃるかもしれませんが 、香川県には広島という離島があるのです 。この島は全国でも珍しく当民全員が NPO法人の会員になっています。その 理由は急速に進んでいる少子高齢家を逆手 に取ったものでした。さらに当内では再籍 業が行われており、岩肌はご覧の通り大量 に捕獲されるイノシ市に神社の移転を拒む 神様もいたりと散索していて楽しい島でし た。丸ガ駅で下車翌日の早朝丸ガ港に 向かいます。すでにフェリーが止まってい ました。今回はあのフェリーに挑戦します 。前方の建物で切ッ符を買いましょう。 券売機で購入するようです。580円を 投入し、絵裏と書かれているボタンを押し ます。券売機の上には時刻表が書かれてい ました。広島へはフェリーと旅客線合わせ て10便設定されている。ほ、広島から先 、お手島、手島まで運行する瓶もあるよう です。それ以外に危険物便があり、乗客も 25名までは上戦できるそうです。待合い 室には誰もいません。少し古さを感じます が、これもいい味を出しています。今回は 6時5分発のフェリーに挑戦。小メが降っ ています。デッキに行きましょう。横には 青いフェリーが見えます。丸ガ港湖からは 牛島と本島を結ぶコ路も設定されています 。反対側には旅客線が止まっています。 帰りはあの船に上戦します。6時5分に 丸ガ港を出航。45分の船旅が始まります 。乗客は10人ほどでした。所用時間は フェリーより旅客線の方が短いものの、 フェリーはデッキからの眺めが良く スピードが遅い分ゆっくり景色を楽しめ ます。丸ガ港はかつて四国で1番栄えた港 です。江戸時代になると琴平宮へ参拝する コンピラ参りの港として大井に栄えます。 丸ガ港の背後にそびえ立つ城は丸ガ城です 。丸ガ港からほぼ直進すると丸ガ条城に 着きます。綺麗な形をした山は飯の山です 。標高422mで初心者でも登りやすい山 です。別名佐ぬ富士とも呼ばれており 美しい形をしています。丸ガ港には協艇場 もあります。フードコートが充実しており 、休日には家族連れも多く訪れるそうです 。後になると丸ガ校の周辺を埋め立てて 臨海工業地帯を増成しましたが特徴的なの は待機汚染や水汚染のない企業を誘致した という点です。工業地帯を見渡すと煙突が ありません。環境に十分配慮し、四国の中 でも美しい臨海工業地帯の1つです。右側 には国内山手の造船メーカー、今張線の 造船所があり、船の煙突が並んでいました 。丸亀を出て瀬戸内会に入りました。ここ からはほとんど向きを変えずに広島を 目指します。進行方向右側に瀬戸大橋が 見えました。雨雲がかかっている様子も 確認できます。後ろを見ると四国本土側に タワーが見えます。あれはゴールドタワー で高さは158mです。広島へ向かう船の 歴史は明治時代から始まります。多津校と 丸亀校から都会船の運行が始まり、当民 から東海と呼ばれ親しまれていました。 戦後になると丸ガ校から定期戦が就航。 しばらく丸ガ市が運営していましたが経営 が悪化したため現在は山陽機線が運営して います。前方には船がひべったいものを 引っ張っていました。平らな形をしている のは大線です。重たいものを運ぶのに使わ れます。広島が見えてきました。黒島を 含む周辺の28の離島は主枠諸島と呼ばれ ています。主枠の由来は塩が激しく ぶつかり渦を生じさせる様子が塩が湧く ように見えることから塩枠が仕に変化した と言われています。透明の由来は四諸島の 中で最も広い島であることから広島と 名付けられました。しかし広島県と特区別 するために佐木広島と呼ばれることが多い です。 から訪問する広島は当民全員がNPO法人 石里広島の会員です。このNPO法人は 当内でコミュニティバスやデイサービス、 廃食サービスの運営を行っています。当内 は高齢化率が高く、当民の誰もがいずれは 高齢化するので一のことみんな会員に しようと決めたそうです。しかし回避を 払うのは正解委員のみでそれ以外は回避の 不要な循環員だそうです。 井浦港に入行広島の玄関口です。広島の 人口は1958年には3363人でしたが 減少し続け現在は155人となっています 。広島に上陸フェリーからは新聞が 運び出され当民の方が受け取っていました 。港にゴミ収集スペースがありました。 加年ゴミは週2回、不念ゴミと資源ゴミは スキー1回収集車により収集し、近土側で 処理しています。港の待ち合い所は 2024年にリニューアルされ、おしゃれ なデザインになりました。入口の隣には ピザやドリンクを販売するカフェが オープン。土日に営業しているので気に なる方は週末に訪問してみてください。 屋上にはテラスも整備されているので行っ てみましょう。朝6時代ということもあり 、海風が心地いいです。カフェで購入した ピザやドリンクを片手に瀬戸内会の景色を 楽しめそうです。フェリーが出行していき ました。ここから35分かけて手島に 向かいます。待ち合い所であかじめ連打 サイクルを予約していたので電動自転車で 東内を巡りたいと思います。東内に集落は 7つあります。昔は島の東側にも足の裏と 他の裏という集落がありましたが、住む人 がいなくなってしまったそうです。港に バス停がありました。先ほど紹介した NPO法人が運営するコミュニティバス です。現在は1日6本の運行で島の全ての 集落を結んでいます。バス停の奥には 大きな石碑があります。色ハ石と刻まれて います。色ハに歩との文字から始まる格減 を刻んだ石碑が当内に43箇所あり、毎年 色を巡るウォーキング大会が開かれてい ます。ここから時計周りに当内の集落を 巡ってみましょう。港の駐車場には ツクツクが止まっていました。イベントで 使われるのでしょうか?その先には フレ合いセンター広島という建物があり ます。公民館のような施設だと思いますが 、現在は使われていません。裏を見ると ちょうど旅客線が入行していました。まず 最初に訪れた集落は浦地区です。左側には 絵裏海水浴上があります。波が穏やかで 遠朝のため夏場は家族連れで賑わ。海水 浴上の背後には学校がありました。 2010年から急行になっていましたが、 当該から子育て世帯が移住したため、今年 から学校が再開。学校の入り口を見ると コミュニティセンターという文字があり ます。1階にはコミュニティセンター2階 を校舎として使っています。中学校の左隣 が小学校の校舎です。手前には給食 センターがありました。現在もここで給食 を作っているのかは分かりません。 海沿いを進みます。次に見えてきたのは 農京の建物です。入り口に張り紙があった ので閉鎖したのかと思いましたが、そうで はなく営業日が書かれていました。その横 には小さな木造の建物がありました。島の 保険室と書かれています。当民が健康や 介護に関することを気軽に相談できる施設 です。島の保険室の手前には大きな石が あります。これは当内で取れた石です。奥 には座れる石もあります。長県では小型線 を図書館に改造した子供図書館が定期的に 運行され、県内の離島に気行します。広島 にやってきた場合子供たちは船から持って きた本をここで読むそうです。白い四角い 建物は公衆トイレです。それまで当内に 公衆トイレが少なく当民は公衆トイレの 設置を要望していました。今年整備された ので非常に綺麗です。海水欲客のための シャワースペースも完備されています。 公衆トイレの後ろにそびえ立つのが標高 312mの大東山です。所々山肌が見えて いますが、これは1894年に発生した大 規模な山かが原因です。ここからは集落の 中を歩いてみましょう。しばらく歩くと 左手に墓がありました。読みにくいですが 歴と書かれています。1866年に イギリスの軍艦セルビア号が瀬戸内会の 海底調査を行っていました。調査中に 乗り組員だった歴は急病に倒れなくなり ます。他の乗り組員は船から近かった広島 の井浦海岸に上陸。歴を埋葬し、十字架を 立てて広島を後にします。しかし当時の 日本はキリスト教を邪悪な宗教とみなして いたため役人が来て十字架を焼き払って しまったのです。 1868年当内で医者だった岡千べがこの 場所に母皮を立てます。28年後、再び セルビア号が広島にやってきます。立派な 母があり、花が備えられていたのを見た 館長は完激したそうです。鳥井が見えてき ました。これは広島神社です。鳥井は 1699年に広島県福山市の移縮によって 建てられたものです。かつて江野浦の東隣 の集落石地区にある八神社に付属する神社 でしたが、明治時代に広島神社という名前 に変わりました。いつ混流されたのかは 不明ですが、残されている記録では 1879年に改築された他、1993年に 屋根の吹き換えを行いました。 広島神社の鳥井の隣には石倉がありました 。これは明治初期にイギリス人士によって 作られた石炭の倉庫です。島の南側には岩 投票という東台がありますが、その東台に 使われる燃料を貯蔵していました。現在は 燃料ではなく島の資料を保管しているそう です。 石倉の横には何やら年気の入った建物が あります。こちらは公民館ですが以前は別 の施設でした。ヒントはこの靴置場。 かつて幼稚園として使われていました。 建物の左にある広場はその名残りです。 絵裏地区には郵便局があります。東内に 初めて郵便局が設置されたのは1927年 。かつて郵便局だった木造の建物があり ましたが訪問した時にはすでに取り壊され ていました。集落の奥に進むと荒れチが 増えます。積場がある集落は人工減少率が 低かったものの絵裏地区のような再積が ない集落は人口減少率が高いです。当内に はわずかながら農地があります。昔は農家 が一定数いましたが、高度経済成長によっ てより高い収入を得るために当該に出て いったため、農家が激減。また水電が 小さく機械によるイ策が難しかったことや 水電を畑に転用できなかったことも現象の 要因だったそうです。 ここからはカの残し地区に移動してみ ましょう。今歩いている道路は剣道258 号線で島の沿岸部を通っています。歩く こと10分、鎌シ地区に到着。かつてここ に集落はありませんでした。明治以降に 井浦地区から移住した当民が開根し落が 形成されたそうです。左手には石の塔が あります。どういった目的で建てられたの でしょうか?右側にはコミカを回収した ゲストハウスがあります。去年オープンし たそうです。海につがる道にこんな看板が ありました。カモには出会えませんでした が、大きい鳥に出会えました。小道に入り 特殊な施設をご紹介したいと思います。 右手にあるのは丸ガ生麺の心の本店です。 研修施設なのでうどんの販売はしていませ んが、当民との交流や島の活性化につげる 目的もあるとのことで、今後当民に 振る舞う場面も見られるかもしれません。 建物の手前にある麦畑から麺を作っている そうです。カの残し地区には漁行があり ますが、船の姿はなく現在使われていない ようです。集落の橋には小さな神社があり ました。これは高神社です。元々は工人様 の甲の字を使っていましたが、いつしか 幸福の高の字に変更されました。鳥は 1980年に建てられたもので比較的 新しめです。右側にある駒犬の足元を見て みると、手のようなものがあります。これ は在権力を表しています。左側の犬には 小さな犬がいますが、子孫反栄を表して いるそうです。次はコ路地区を目指します 。 歩いていると右から重機の音が聞こえてき ました。あれは上場です。取られた石は 青き石という名前で四国や岡山関西へ出荷 しています。東内に場は60か所以上ある そうです。江野裏地区からしばらく南に 移動しましたが、ここからは西に方向を 変えます。この辺りは遠花と呼ばれる場所 です。形が遠藤豆に似ていることからその 長つけられたそうです。遠花からは石炭の 東台が見えます。あれは明治時代に建て られたハ岩投票です。先ほど絵の裏地区で 紹介した石倉から燃料を補給していました 。道なりに進みます。道路の両端には 大きな石が転がっています。海を見ると帯 の霧がかかっていました。どういう現象な のか分かる方がいましたら教えてください 。3つ目の集落地区に入ります。右側には 最適場がありました。現在は使われてい ないので草が生えていますが切り出された 岩肌の迫力は悪です。青き石の歴史は古く 豊秀義が大阪城を蓄上した際、この石が 使われたことが始まりと言われています。 現役の場は隣にあります。最籍場で 切り出された石はどのように出荷されるの でしょうか?その答えはこの先にありまし た。海側には大量の石が積まれています。 サイズ別に分けられ、船で出荷されます。 江戸時代に入ると戦がなくなり城を建設し なくなったため最適業が衰退しますが明治 時代からは様式文化の影響を受け石の需要 が再び増加。現在は後継者不足で70あっ た業者が10まで激減。母石の需要は今も ありますが、実際に切り出された石の中で 母石として使えるのはごくわずかだそう です。落ちの横には6像がありました。 仏教のリ廻転生を表現したものだそうです 。集落には石材関連の事業所だった建物が ありました。現在は使われておらず看板は 錆びついています。その奥には当内唯一の ガソリンスタンドがあります。当民の方が 運営していましたが体調を崩し営業を停止 しなければならない事態となります。そこ でNPO法人石里広島の会長がガソリン スタンドの運営に必要な危険物取り扱い者 の免許を持っていたためこの店を引き継ぐ ことになったのです。他にも整備士の資格 を持ち、ガソリンスタンドでの勤務経験が ある住民が島に有ターンしており、2人 体制で再指導しています。営業日は限られ ていますが、当民にとって欠かせない インフラです。ここからは当内で最も人口 が多い集落地区に行ってみましょう。峠を 超えるため坂を登ります。道の途中に タンクがありました。これは四国本土側 から海底装水艦を通じてここに貯められて いるようです。 峠を超えて下り坂を進むと集落が見えてき ました。奥には切り出された石が港に集め られていました。青木地区には漁行があり ます。広島には元々漁業自体なかったため 漁師の数は少ないです。漁行に小さな小屋 があります。あれは青木健所と言って長位 を測定する施設です。右には集会場があり ます。入り口の横にはスケジュールが書か れていました。移動販売の文字があります 。毎週木曜日にコンビニ大手の7イレブン が移動販売を行っており、全ての集落を 回っているそうです。集会場の隣には かつて商店だった建物がありました。当内 に小さな商店が20店舗ほどありましたが 、現在は全て閉店しています。実は青き 地区にもフェリー乗り場があります。 ベンチが2つ設置された感素な乗り場です 。その先には当内で2番目に高い新山山の 登山口がありました。工防大使の空海が この山に登って修行を行ったとされてい ます。青木地区には特殊な公衆トイレが あります。電力は太陽光と風力で賄かない 。お水は微生物によって浄化。電源や上下 水道に接続する必要がなく、災害で インフラが寸断されても使用可能なトイレ です。小道に入ると電話交換所がありまし た。これも島に欠かせないインフラです。 引き続き青地区を歩きます。次に見えてき た建物は広島診療所です。病気や怪我をし ても安心して治療が受けられます。診療所 の隣にある赤い鳥島神社と書かれています 。東内には鹿が生息し、島の名前も広島。 1866年に東内の商夜が広島県の宮島を 訪れ、最人の例を分けて欲しいとお願いし ます。伊島神社で神の許しが降りたため、 この島にも伊島神社が混流されたのです。 神社の横にあるのが旧広島西小学校です。 かつて東内に2つの小学校があり、西小 学校には青木、甲路、1区の児童が通って いました。現在は1階にデイサービス センター、2階には石里官が入っている そうです。皇帝は公園として解放されてい ます。かつて使われていたサッカーゴール も残っていました。 青木地区には海水浴上がありました。砂浜 に行ってみましょう。綺麗な青空に 突き通った瀬戸内海の海。素晴らしい景色 を独り占めできます。続いては5つ目の 集落ち区を目指します。峠を超えるため 600mに渡って登り坂が続きます。 1位地区に着きました。人口は12人で 後ろ地区と並んで当内最小の集落です。 掲示板に字が書かれた紙を発見。 イノシிய市が捕獲された数だそうですが 、その数は60等。昔の張り紙かと思って いたら令和6年と書かれていました。 しかも右隣には新たに性能字が追加されて おり、去年から現在まで80等以上の イノシシが捕獲されています。実は カの残し地区を訪れた時に箱がありました 。捕獲されたイノシシシの肉は待合所に あるカフェで提供されるピザに使われて いるそうです。掲示板の後ろには口果てた 建物がありました。これは旧職員住宅です 。部屋の中まで丸見えで原型をとめてい ません。左側の堤防は2m以上の高さが あり、集落からは海が見えません。台風 などの悪天候では高い波が押し寄せてくる のでしょう。中落の東には鴨神社があり、 一区のう神様として崇められています。 経済には立派な靴の木が立っていました。 隣の集会場にあった時計を見ると時刻は 12時。5時間かけて島の反対側までやっ てきました。次に6つ目の集落門浦地区へ 移動すべく海沿いを進みます。海の奥に 見える島は人口22人の手島です。モ浦 地区に到着。港には漁選が数席あり、 わずかながら漁業も行われているようです 。港からは岡山県の水島コンビナートが 見えます。モ浦地区にはかつて円があり、 川に入ってきた海水から塩を作っていまし た。川の中に何か見えます。おそらく祠 です。円伝と関連する神社があります。 それは塩釜神社です。青遠の発展と住民の 幸福を祈るために混流されました。に入り ましたが少し狭く感じました。かつて当民 は神社をスペースに余裕のある山頂に移転 しようと考え先に鳥を立てます。しかし神 様が拒んだためこの場所にとまったのです 。ちなみにフライイングで立ててしまった 鳥は集落の山川にあります。引き続き集落 を散索します。左側の民家は傾いており、 今にも崩れそうです。広島にはたくさんの 鹿が住んでおり、山に食料がない時は集落 に降りて畑を荒らしていました。ある日、 漁師が畑にいた鹿を打ったところ、お腹の 中に子供の鹿がいました。鹿を打った漁師 の家族に不幸が立て続けに起こり、当民の 間で祟祟ではないかと噂になったのです。 しばらく歩くと石を発見。これは鹿を苦用 するための石費で1876年に当民が寄付 し合って立てられたそうです。ここまで6 つの集落を巡り、残すは立石地区のみです 。今から島の中央を通る剣道で浦地区を 経由し、伊石地区に向かいましょう。一山 超えるため険しい坂道に差しかかります。 標高90m付近に到達すると展望台が見え てきました。展望台からはモ浦地区の集落 や瀬戸内会、海岸の岡山県まで見渡すこと ができます。屋根がついているので景色を 眺めながら1息つけます。展望台で一休み したら坂を食らって縦石地区に急ぎます。 26人が住む石地区に着きました。集落の 東側には八神社があります。八神社の隣に はかつて円がありました。先ほど訪れた モ裏地区にも遠電がありましたが、当内で 最初に円が開発されたのは縦石地区です。 鳥の前には白色三角標識版があります。 この地下に埋接されているのは海底総水艦 です。1987年に四国本土側から広島を 含む5つの離島に総水艦を整備し、水の 安定供給を果たしています。旅行を見る とぺがかけたろ老ろを発見。1823年に 建てられたもので正面に小江市と刻まれて います。小池家は江戸時代に海業で財を なした東屋です。屋敷も現存しており、 現在は島ぐらしを体験できる宿泊施設と なっています。港にはこんなものもあり ました。石が祠を守るように囲んでいます が、これは恵比寿神社です。昔から漁師の 守り神として崇められていたそうです。 井浦校に戻ってきました。13時30分発 の旅客線に乗り広島を後にします。旅客線 の所要時間20分。時速およそ40kmで 進みます。乗客は私を含めて3人でした。 丸ガ港に到着。丸亀駅まで移動し、特急 列車に乗車します。今回は香川県広島の 様子をお伝えしました。皆さんも是非広島 に訪れてみてください。ご視聴いただき ありがとうございました。 [音楽]

広島だから広島県では?と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、香川県には広島という離島があります。
何もないようで、この島にしかない風景ばかりでした。

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【やま / 日本列島のフシギ】
日本各地に隠された不思議な場所について、現地に足を運んで紹介するチャンネルです。

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チャプター
0:00 オープニング
0:40 乗船・なぜ島民がNPO団体の会員?
5:08 広島へ上陸・港周辺
7:21 1つ目の集落(15年ぶり再開した学校)
12:33 2つ目の集落(丸亀製麺の施設)
15:04 3つ目の集落(迫力ある採石場)
17:11 4つ目の集落(厳島神社)
19:57 5つ目の集落(イノシシの捕獲)
21:20 6つ目の集落(移転を拒んだ神様)
23:23 7つ目の集落〜旅客船

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この度、「メンバーシップ」を開設しました。お手頃な価格ですので、ご興味のある方は以下のURLにてご確認ください。
https://www.youtube.com/channel/UC1DM5DmIu093-ZhjvR7f2Zg/join

<お仕事の連絡先>
https://yama-travel.my.canva.site/hp
地方自治体や企業からの動画制作依頼など、お気軽にご相談ください。

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X始めました。
https://x.com/yama_travel_

・参考資料
後ほど記載します。

bgm-「神樹の園」「武具商店ロストスレイヤーズ」「世界の旅路」
パンダの中のパンダ様

14件のコメント

  1. 過疎化・高齢化に直面している広島ですが、様々な工夫で乗り越えようとしている様子が伺えました。
    島内にはレンタサイクルがあり、電動自転車で島を散策できます。

    ※よく誤解されますが、ナレーションはAIではありません。

    X始めました。
    https://x.com/yama_travel_
    フォローのほど、よろしくお願いします。

  2. 島の資料としても極めて優秀だと思います。
    現地に赴き取材して動画にするまで、
    どれほどの時間と労力が必要だろう?とただただ頭が下がります。

  3. いつもながら細やかな取材に基づいた動画有り難うございます。『広島』と、『手島』(てしま:『豊島』と勘違いしそうになるw)の存在は知っていましたが訪れたことはなく、どんな島なのか気になっていたので楽しく観させていただきました。
    ありがとうございます。

  4. 小学生の頃、広島から海を超えて聞こえてくる砕石場のダイナマイトの音が怖かったな。

  5. 6:49 はが2つあるからどちらかは、ほ?なのかな。こういうのがあると島内をぐるっと全部回るたのしみがふえるのでいいですね!行ってみたい…『う』も乗ってないから自分で探してみたい!

  6. ウォーキング大会は面白そうです
    四国に縁が深い弘法大師空海上人
    が来島したのは本当かも⁈
    あと、カモに会えるカモ⁈

  7. 情報がきちんとしており、大変興味深く拝見しました。先祖が必死になって開拓した島がだんだんと寂しくなるのは悲しいですね。

  8. 青木集落には、かつて保育所があり、小手島に住んでいた幼児が船で通っていたそうです。
    なお、朝の広島から手島行きの便は小手島を通過しますが、折り返し便は小手島に寄港するので、朝の便で小手島に行きたい人(新聞等の荷揚げも含む)は、そのまま手島で降りずに折り返し便で小手島まで行くことができます(夕方のフェリーはその逆)。この場合、小手島−手島間の往復運賃は不要です。

  9. 塩飽諸島はねぇ。。。
    他の瀬戸内の島々と比較しても最盛期から9割以上人口を減らしてる屈指の過疎化エリアなんだよね。
    広島も隣の本島もかつて3000人近い人口を誇ったのに今は150〜200人でここまで減ったのはかなり特異。
    理由はあまり声を大にして言えないような、議論しにくい話なのがまたなんとももどかしい。
    かつて塩飽諸島にだけ敷かれた人名制という自治制度からくる漁業や農業への職業差別精神があって、離島が今の時代唯一価値を見いだせる漁業への産業転換を島民が拒絶したのがそもそもの理由。
    塩飽の人名たちは誇り高い海運と船大工の子孫で、全員が支配者階級のプチ領主という特殊な島。
    海運も大工も無価値となった戦後にそれらは産業として無価値となり、更にが保有していた漁業権を人名株を持たない毛人(被支配階級)たちに解放させられたのがトドメとなった。
    支配階級の人名として漁師や農業なんてやるのはプライドが許さず、その結果産業がなくなり出ていかざるをえなくなった。

  10. やま様
    素晴らしい👍
    ほっこりする珍しい貴重な動画⤴️有難うございます。
    楽しませて頂きます。

  11. 1:41
    手前のにじ観光さんの高速艇に先日乗船したので懐かしさでコメ
    岡山(水島)と香川(丸亀)をノンストップで結ぶ唯一の不定期船(ほぼ定期船)

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