【鹿児島】戦争の記憶を後世へ 吉見文一さん

1945年8月15 日本が終戦を迎えて今年で 80年になります。 鹿児島市会長の義見文一さんは当時の様子をこう話します。 そうですね。唯一覚えてるのがですね、 多分4歳ぐらいのこと頃だと思うんですが 、B20の飛行機がですね、徳島上空を 低空で行きましてバリバリっと言って爆弾 を落としていったんですね。そん時 暴空号に ばあさんに釣られて 書き込んだことを覚えてます。それを唯一 覚えてますね。 [音楽] 海軍に所属していた文海一さんの父、元明 さんは戦争のためパプアニューアへ。 文一さんが2歳の時に32歳という若さで 戦士しました。 船で父親見張りをしていた。昭和18年の 8月17日ですが、その時敵の飛行機が バーっと来たわけですね。そして 爆弾を落とした。で、それがたまたま父親 に当たったんです。 で、 なくなったのはその時だったの父親が1人 なんです。それは周りにと見ていたわけ です。その見ていた人がその船の中隊長 だったんです。その人からお便りが来たん です。それで我々は様子が分かったんです 。 一般的に亡くなったことは現場のことはほとんど分からないのが普通なんですね。 戦争の品が遺族の元へ戻ってくるのは奇跡だと一さんは話します。前事中 [音楽] 父本明さんが大事に持っていたのは一さんの写真でした。 [音楽] ふ一さんや踏一さんの母さへの手紙もあり ました。 母げさんは次のような単価を残しました。 [音楽] 父本明さんの品をふ一さんは今でもずっと大事に持っています。ふ一さんはその後高校教師の道へ。 [音楽] しかし一さんが教団で戦争のことについて話すことは 1 度もありませんでした。がなくなったということはなんかちょっと隠しておきたいというのが言いづらい気持ち的に思いあれでしたね。 だから母からもあんまり戦争のことを聞い たことないし、総府からも聞いたことが ないです。だからそれだけ言うことが辛い んでしょうね。 私も生徒に向かってそれを言うとこはなかなか勇気がないというのか話してもなかなかないんではないかと温度さがあったりしてですね。話したことは 1度もなかったですね。 そんなふ一さんが戦争について話すようになったのは孫野りさんがふ一さんの戦争体験をスピーチしたのがきっかけでした。 治覧特攻平和記念会館が出催する平和 スピーチコンテストっていうのがありまし てそこに孫が 出る機会ありまして それがなんと最優秀賞に選ばれましてで すごく 私の気持ちを うまく理解してるとかそういったスピーチ をして 感動しまして、やはり若いにも 通じるんだと。そしたら私も 若い人に対して平和の大切さ 必要があるんでもそれ以ずっと 話すようにします。 な人で 今は兵庫で大学に通うリカさん話してみて スピーチコンテストでふ一さんについて話そうと思ったきっかけを聞いてみると 軽点を身近で聞ける人って本当に少ないんだろうなって身を持って思ったのが初めでで私たちの同世代の子たちはあんまり聞けないんじゃないかと思ってそうなった時に出来事を私が同世代に向け [音楽] 伝える力が私にはあるんじゃないかと思ったところがきっかけでした。 戦争を知らない世代に戦争について語り続けるふ一さん。 戦争に対するその思いとは 当たり前の大切さを今後とも大事していくことに気づいてくれたら嬉しいなと。 やはり兵というのはみんなで 気づいていくものだと思っておりますし、 誠意自分ができることを 平和について 考えてほしい。として 日本のため祖国のため 命をかけて戦った人がいたってことを やはり どっかで 心に 思いをせるってことも非常に大切なことだ と思っております。 [音楽]

今回は鹿児島局からお届け!!
戦後80年を迎える今年は、節目の年です。
そこで、鹿児島市遺族会会長 吉見文一さんに、戦争当時の様子や戦争に対する想いなどを伺いました。
みなさんも、ぜひ平和について考えてみてください🕊

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