⛩️西尾山八幡まつり~北振興会館③👹広島神楽「鈴鹿山」日吉子ども神楽団📸撮りたて新鮮★速報版📢私は頑張る子供達を応援します💓📅2025年9月20日
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★★今回の情報★★
■広島神楽「鈴鹿山」日吉子ども神楽団
📢私は頑張る子供達を応援します💓
📷撮りたて新鮮・中央カメラ速報版
📅2025年9月20日
西尾山八幡まつり〜
北振興会館〜
①「神降し」 中北神楽団
②「八幡」 西尾山八幡神楽団
③「鈴鹿山」 日吉子ども神楽団
④「葛城山」 日吉神楽団
⑤「羅生門」 黒瀧神楽団
⑥「大江山」 天神神楽団
⑦「日本武尊」 中北神楽団
⑧「紅葉狩」 西尾山八幡神楽団
🔳西尾山八幡神楽団 プロフィール
毎年9月の第三土曜日,美土里町北地区にある西尾山八幡神社の大祭の日には,北地区の4つの神楽団【黒滝神楽団・天神神楽団・中北神楽団・日吉神楽団】の精鋭によって結成される1日だけの神楽団として 神楽を奉納します。
昭和54年には,それぞれの神楽団が【西尾山八幡神楽】として広島県無形民俗文化財の指定を受けました。
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文政2年(1819)4月に高田郡北村(現美土里町北)から提出された「国郡志御用ニ付下志ら遍書出帖」に,当社祭礼の前夜「村内少壮者にて異形の鬼面被,舞申候」とあり,その「舞申候」の「舞」は,おそらく現在の神楽に当たるものであろう。
八幡神社の当時の神官は,三上志摩なる人物であるところから,この神楽は三上家の指導する阿須那神楽を伝えるものと思われるが,これを別項生田の「川角田八幡神楽」にくらべると,演目名は同一であっても,演技の型・囃子の調子・詞章の内容等の点において異なるところが多い。こういう観点から,同じく阿須那系神楽でも本神楽には新しい改革の手が多分に加えられた,いわば阿須那の別型とも称すべき神楽であると言える。
■日吉神楽団
(ひよしかぐらだん)
日吉神楽団は、明治〜大正の頃は中北地域の人達と一緒になって、山田組舞子連(やまだぐみまいこれん)として活動していました。昭和に入り、現在の日吉神楽団として戦争中も途絶える事無く活動してきました。昭和54年には、「西尾山八幡神楽」として広島県無形民俗文化財の指定を受けるなど、活発な活動を続けています。
西尾山八幡神社/祭9月第3土曜日
日吉山王神社/祭10月第2土曜日
若宮八幡神社/祭10月第2土曜日の翌日
山田神社/祭11月上旬
■天神神楽団
(てんじんかぐらだん)
美土里町、北地域の天神社 天満宮は、凡そ五百年前に京都の北野天満宮の分社として開かれました。神楽団の結成はもっと後になりますが、古くから神社では神楽の奉納がされてきました。天神神楽団は、明治〜昭和の初め頃に最も盛んに活動しており、一時期戦争によって中断していましたが昭和48年に復活し、昭和54年には「西尾山八幡神楽」として広島県無形民俗文化財の指定を受けるなど、歴史のある神楽団です。
西尾山八幡神社/祭9月第3土曜日
天満宮/祭10月第2土曜日
■中北神楽団
(なかぎたかぐらだん)
中北神楽団の神楽は、かなり古くから行なわれていたようですが、以前は地域の祭りの際に、日吉神楽団の前身である山田組舞子連と一緒になって地元有志が神楽の奉納をしていたようです。一時期戦争によって中断していましたが昭和54年には「西尾山八幡神楽」として広島県無形民俗文化財に指定されるなど、活発な活動を続けています。
西尾山八幡神社/祭9月第3土曜日
宇佐八幡神社/祭10月第1土曜日
■黒瀧神楽団
(くろたきかぐらだん)
黒瀧神楽団は歴史を刻んだ神楽団で、今から180年前(天保3年)の化粧幕があることから、江戸時代以前から神楽の奉納が行われていたことが解ります。「奏楽の黒瀧」として名を馳せ、黒瀧の瀧の字から命名された「瀧夜叉姫」は黒瀧神楽団が最初に上演した演目です。この「瀧夜叉姫」や「山姥」で各地の競演大会で優勝し、今も多くの優勝旗が大切に保存されています。総戸数26戸で黒瀧神社を護社し、現在は団員も少なく、古い衣装と、台本に忠実に演じることをモットーとし、伝統を今に引き継いでいます。
西尾山八幡神社/祭9月第3土曜日
黒瀧神社/祭10月第2土曜日
■演目 神楽「鈴鹿山」 あらすじ
第五十代の帝、 桓武天皇の勅命により鎮守将軍坂上田村麻呂は、鈴鹿山に立てこもり悪行をはたらき万民を苦しまれている大鬼人犬神丸の征伐 に向かうことになる。
犬神丸は、手下夜叉丸に和田翁の娘あやめ姫をさらいに向かわせる。あやめ姫は将軍に助けられ、 夜叉丸は将軍を降伏する。
そして、家来となって坂上田村麻呂を岩屋に案内して激闘の末、 犬神丸を征伐する物語です。
■Kagura in Hiroshima Prefecture
Kagura is performed in many different ways in various parts of Japan. It is believed that the kagura in Hiroshima developed in the Edo period from Iwami Kagura, which had evolved from Izumo kagura. Izumo kagura is composed of ritual dances, which show the procedures to invite the advent of gods, and Noh dances, which dramatize the admiration of the virtues of gods in order to thank them for having descended from heaven. In the process of evolution, the kagura in this area was also influenced by Yahata kagura and Takachiho kagura in Kyushu and Bitchu kagura in Okayama as well as the old local beliefs of the farmers in the mountainous areas of the Chugoku region. The kagura in Hiroshima is strongly characterized by its dramatization. It has developed into a free and relaxed traditional performing art extremely popular among ordinary people. There are 300 kagura groups in Hiroshima Prefecture. The dancers, who are all amateurs, practice hard to improve their skills. They work or go to school during the daytime, but they play important roles, as volunteers, to preserve kagura.
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1件のコメント
葛城山じゃ無くて鈴鹿山じゃないですか?😂