【動く御神体を調査】山形の激戦に散った漢たち
ちゃんと照明を伸ばせでアチしてもキュルと旗屋の方を向くという 皆さんこんにちは。今回は普段は非公開だと思うのですが三たが宿り動くと言われる木造を見に行きました。山形に三たが宿り動く木造が伝わると聞きました。そしてそれは多くの命が散った場所に由来します。 [音楽] はい。 で、理品としてから金つさんが持ってったらしいんですけどうん。 あの、ちゃんと照明を伸ばせで知てもるっと旗の方向くという 木造がキュルとはやの方を向く。確かに地元でもそう伝わっていました。 [音楽] 1600 年の関ヶ原の戦い。実は山形でも関ヶ原がありました。 [音楽] 家康は上杉改勝活の討伐に北上している 途中で石田つの兵に反転正浄し関の戦いに なりました。 [音楽] 家康は反転しましたがそれで終わるはずも なく上杉改勝の隣は家康派のも神吉明で 一食でした。 和木の道もありましたが神氏が当軍と決託 し上杉を狙う計画を知り上杉側は激怒し ました。 3万近くの圧倒的な兵力数で上杉が動き ました。 上杉軍の式は名江金継ぐで米沢と少内から も神へ進行を開始しました。金つぐ本体は まずはに向かいました。 対するも神軍は総兵力7000多で各地を 守備していました。最前線の旗上兵も 500程度。吉明は撤退を命じました ですが二は二谷城の上手江口明夫は撤退 命令に背きます。ここで逃げるは武士の恥 と500人で2万人に挑みました。 女子子供は逃し、敵の願いり妖精は即で 突き返しました。 男たちは眼下に広がる満の敵兵を睨みつけ ました。 そして江口隊はたった500で金継ぐの 大軍に突撃しました。命よりも重い武士の 誇りをまとい乱ブします。 [音楽] 江口は聞きを以下500名全員玉砕はに 散りました。 も神武士の名にはない見事な最後列した。 この時の江口隊の抵抗は凄まじく、一節に 上杉軍も000名もの兵士が打たれたと 言います。 [音楽] そしてこの時金つぐは戦理品としてはやの ご身体である小さい木造を手に入れました 。 この木造が現存し、ある場所に暗されてい ます。そしてにはの方を向くと言います。 名金具が村から持っていった木造。伝説の 木造を追いまずは激戦の旗に行きます。 [音楽] 江口明きは玉を前に城から女とこは逃がし ました。上の山市無 かにその子孫が現存すると言います。 今走るここは二地区はの山次の下かつての 地獄の戦場です。 このは城攻防線は助賞に過ぎず杉 とも神は泥沼の戦を繰り広げます。 も神吉明のカブトにはその時の断痕が残り ます。 優勢だった上杉軍ですが、同時進行中の 関ヶ原線で成軍が配退、まさに島ずが伝説 の撤退をした頃です。 成軍敗退に上杉軍は同揺し、金継は撤退し ました。も神軍には伊達の援軍も到着し、 今度は怒涛の反撃をします。 肉にも逆に金つがここはに追い込まれまし たですが、前刑二が金つぐを助け、米沢に 撤退しました。 二谷城の下に到着しました。麓元に車を 止め、山を登ります。 この一連の戦いを北の関河原長出合線と 言います。 [音楽] 今回はにスポットを当てているので割愛し ますが、八城、白岩城、他多数のも神の城 が陥落しました。 ですが、最後の道場は志村秋康がたった名 で約2万の上杉軍に徹底光戦し、野で翻弄 させました。 この道場を落とせば次は山形城でしたが、 ここで成軍の石田光成配の報告が加熱に 届きます。 金つぐはも神攻めを中止し、腹を切ろうとしました。ですが、前田刑ジがそれを止めたと言います。全国的に移行が良行に残る上司としてベスト [音楽] 30が出されて、ここもその 1 つに選ばれています。おかりだけるでしょうか?右側に空りがっきりと残ります。 [音楽] 登り口でついずやパンフレットがもらえ ます。 [音楽] これは敵の移動を妨害する縦堀です。 [音楽] しばらく行き左に曲がると白跡への道が あります。 この辺りから少し登山になります。 [音楽] こんな時山のお守りすっぽたぬきを 持ち歩きたいです。 [音楽] クに襲われ、今年すでに全国で12名 なくなりました。私も毎回ちょっとした 覚悟をしてから山に入ります。 熊スプレーは購入しました。それでも襲わ れたら戦うしかありません。負けた時は 仕方ありません。 [音楽] 明きの最後は敵陣に突撃したようですが、 この山道も至るところで攻防があったのだ と思います。 同時期の石ヶ浦が有名すぎてこの戦いは スルーされがちですが、地元では有名です 。 木造の話も全国的には知られていませんが 、この辺りでは有名な話のようです。 も神押明は勝てるわけない。逃げろと兄き に再散命じましたが、彼の決心は揺らぎ ませんでした。 [音楽] それでも神明は空きを見捨てず果てに援軍 を出しました。ですが彼らも打ち取られて しまいました。 [音楽] 木造は見ていました。その一部指重を全て 見ていたのです。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] お [音楽] 下山して白側から前を見ます。金つぐは 向こうの山の麓元に陣を複数置きました。 [音楽] 本人は向こうの片倉山に置きました。正面 に見える兵を大軍が神軍したそうです。 [音楽] この 空域のたちがみんなその江口の過心だったので、そしてあの男の人は違うところ、女性も違うところに全部住民逃すんですね。 [音楽] ああ。 はい。 [音楽] 木造についても聞いてみました。 で、整理品としてから金つぐさんが持ってったらしいんですけどうん。 あの、ちゃんと照しで知ゅっと旗屋の方を向くという。 あ、そうそうそうそうそうそう。 木造は非公開と思いますがお願いをしたところ幸運にも撮影許可をいただけました。これから向かいたいと思います。 [音楽] ちなみに普段は秋きもこの辺りに今日構え ました。ここは案内所の前の破城の麓元の 道です。 やはり今でもこの地区は江口の関係者松江 が多いそうです。 当時はちょうど平分離の進められた直後 ですが、まだ反応反的な感じもあったのか もしれません。 日が落ち始めるのが早くなりました。私は 木造のある隣の長い島まで急ぎました。 [音楽] 行く途中にも上杉とも神の戦いの痕跡が ありました。山形にはいくつもこういう 場所があります。 ここでも激戦があったようです。 目的地に到着しました。 名江金継つぐゆかりの神社で木造はここに あります。鳥の横には金つぐが植えた 直すぎもあります。 全部で9本あるそうです。 [音楽] 金具はここ総宮神社に攻めた土地のご身体 を合視しました。 はやの木造もその1つで元々は果たやの 三島神社にありました。 [音楽] シム所の裏に訪物点があり、ここに木造を 持ってきてくださるとのことでした。 [音楽] 室町時代から現在まで本殿の回収を4回し ており、その時の歴代鬼ガーラたちが飾っ てありました。 奥の方が古い時代のものでしょうか?これ だけでも相当貴重なものです。 [音楽] これは長の黒士です。これも1000年 近く前の機嫌らしく、ここにある年合が 分かる1番古い獅頭は1671年生のもの らしいです。 [音楽] そしてこれが金つぐ集めた木造です。 はやの動く木造は1番右のものです。他の 木造も違う地域から集めたものと思われ ます。 帰りに偶に聞いたところ、やはり何度も 向きが変わったり倒れたりしているよう です。 [音楽] 比較的再現を落ち着いてはいるとのこと でした。 戦理品というと奪うイメージですが、 金継ぐはご身体を預かる気持ちだったので はないでしょうか。 責めた土地へのイフもあったかもしれませ ん。だから神様をまとめ自分のそばに祭り たかった。 [音楽] を売て向きを変える木造。怖さは感じず 優しく語りかけてくるようでした。 [音楽] はやからここに移動してきた私にはの様子 はどうだったと言っている気がしました。 [音楽] これは遠い昔 の行きざを貫き戦った男たちとそれを 見届けた小さな村の神様の物語です。
命より重い武士の誇り、動く木像は何を憂うのか
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#慶長出羽合戦 #直江兼続 #最上義光
21件のコメント
私はどちらかというと、上杉景勝、直江、前田慶次派です。
羽州の狐は嫌い😅
主様のご冥福をお祈りいたします。
(まだ喰われてないって)
御神体は畑谷に帰りたいんでしょうね
二体の小さい木像は元々顔がないのか、えぐられてしまったのか
しかし江口隊、格好良すぎる
…けど悲しすぎる
なんか心にしみる物語でした😢
山形では餌のコナラの実が少なく、山形の旅館に出没したとニュースがありました。無事で何よりです。
最上義光公は好きな戦国武将の1人で、掲示板で「鮭様」と呼ばれてたので、気に入って呼んでます。
大河ドラマ「独眼竜政宗」では原田芳雄さん演じる鮭様が「領地拡大と最上家が生き残る為に、甥の伊達政宗を妹で、政宗の母義姫に毒殺させようとする悪どい策略家」と描かれてしまい、山形では「名君最上義光様を、これ以上悪く描かないで
( TДT)」と嘆きと怒りの声が多かったようです。
直江兼続が主役「天地人」では、そんな批判避けたのか「北の関ケ原」で何故か鮭様は登場せず、紀行でご登場のみ。
山形で鮭様愛❤が強い人と話す時は慎重に話した方がいいかもですね
北の関ヶ原「慶長出羽合戦」にフォーカスしてくださりありがとうございます。
九州の関ヶ原、別府「石垣原の戦い」もいずれ取り上げていただけたらありがたいです!
今は住宅地になっていますが、大量の人骨が出土しています。
陣所跡や西軍方武将の墓なども残っています。
今イスラムの世界を旅しているんですが、こういう動画はなんだかほっとしますよ。
首領殿お疲れさまです。
木像はどれも穏やかですね。
今の時代は効率や個人主義が多くなってますが、こういった歴史を知ると
効率や個人的な利害を度外視することも時には大事なことだと考えさせられます。
いつもながら内容の濃い動画ありがとうございます。
安全には気を付けて下さい。
こんばんは。仕事終わってわーアップされてるーとワクワクしながらみてます。總宮神社さんなんですねーバイクでのお詣りも多いところですよね?ここの宮司さん食べ物のブログで知っておもしろい方だなーと…その後バイクで有名って知って。ここの宮司さんなら見せてくださったのもなんかわかる気がします。今回も大変おもしろかったです。ありがとうございました♪
こういう事言うと不敬とか言われちゃいそうだけど定点置いて仏像が動くか検証して欲しい。
直江兼続は慶長出羽合戦当時、最上領(山形)側に在った”複数のお堂の仏像たちを「戦利品」として強奪するつもりで持ち帰ったのでは決して無く”、、、
戦乱の火災などによる仏像の喪失を免れるために、臨時処置として、米沢に一時的に持ち帰って大事に保管して、関ヶ原の合戦後で落ち着いたときに、
最上側の地元である山形の畑谷に返却したのだと思います。
公開された御神体からは、怨念らしきものは何も感じませんでした。
山形県にはまだ行ったことが無いのですが、郷土史として残すべき素晴らしい取材であり、とても勉強に成りました。ありがとうございますm_m
とても貴重な話を聞けました
ありがとうございます !
くれぐれもクマには気をつけてくださいね 無理なさらずに あと最後の猫ちゃんが可愛かったです❤
この木像の件は知っていました。
畑谷城は思い入れがあります。
歴史好きで整備された畑谷城を巡りましたが、500名程度が戦死、また、村人も殺害され村は壊滅、一旦は住人が全ていなくなり、再興するにあたり、そこには、ほぼ「吉田姓」の住人に鳴ったと聞きます。
何時も興味深く拝見しております❗
毎回徹底した現地取材、本当に御苦労様です❗
今回の様な場所での取材の際は熊に本当に注意して危険を感じたら取材を中止し身の安全の確保を最優先して下さい❗
今後も様々な動画を楽しみにしております❗
私達の祖先が命懸けでそれぞれの国を護ってくれたからこその現在ですよね。日本人として誇りを持って生きて行きます。
今日も素晴らしかったです。感謝。お城跡を護ってくれている地域の方々にも。
花の慶次を何度も読み返した学生時代が懐かしいです。上杉目線でしたが最上側の当時の背景等々改めて知りたい意欲に駆られました! 隊長クマにはお気を付けてください
北の関ヶ原は漫画の花の慶次や戦国無双シリーズで知りました。どちらも上杉側目線なので最上、伊達側が悪く描かれてましたが、上杉、最上、伊達どの勢力とその家臣達も家の存続を賭けて戦ったのだと思います。
熊との遭遇には十分注意して下さい 熊スプレーも持参して
故郷を思う木像さん、帰りたいでしょうね。ありがとうございます。まだまだ色んなお話しが有りますので、また山形県に来て下さい🙇
最上って江戸時代になってどうなったんだろう