【百貨店閉店】かつて鉄道を拒否した事もあって中心部空洞化が進む街

鉄道に反対したため、県庁所材地の立場を 失ったところがある模様です。歴史的な 街並が広がっていて水運で境えていました 。倉庫の町、つまり物流が盛んな都市に なったのは確かです。とはいえ現在はどう かというと県庁はありません。県内第3位 の都市となっています。本日の現場は 栃木師です。そんなわけでとある疑問が出 てくるかもしれません。 上村名に懸命がついているのになんで健長在地は栃木師じゃなくて宮なんだ?あちらは新幹線あって LRT できたからレの座は追われちまったんかな。まあ早ばさ止まんねえけど 色々とるさいですが一部無視します。というか東北新幹線とか LRTは近年の話ですね。県庁所地は明治 17 年に移転しています。移転ということはそういうことですね。 栃木県庁かつては確かに栃木市にありました。後になって場所を変えたわけです。 やっぱ緑のハエ電車とそれが黄色いやつ。あいつらができたから健長がいて。 それは150 年くらい前のことでした。半地県というものがあり、栃木県と宇宮県という 2 つができました。ですが、すぐに合併して 1 つの栃木県となりました。この時は栃木市に県庁を置くこととしました。 県と都市のネーミングが一致するためです。ですが数年後には宇宮市に移転するべきとの話が出てきました。動き出したのは宇宮の人たちでした。 店長の場所なんで突しにやるんだ? Google マップよぐ見てみ。宇宮の方が真ん中にやってんな。 普通に考えてそんなハ適なものはありませんでした。 真面目に話をしますと、嫌に位置する点を根拠に移転するべきと言いました。宇宮市の方が場所的に平等といった主張ですね。しかもこんな点にも突っコみが入りました。 人口も経済も宇宮の方が上だっべえ。つうわけでもう言わなくてもわかんね。 色々な観点から宇宮には勝てなかったみたいです。そんな事情もあって移転となりました。 そしてその格差はどんどん広がることにも なりました。決定的となった出来事、それ が鉄道のうでした。ただ栃木市にも逆転の チャンスはあった模様です。新橋横浜間で 日本初の鉄道ができました。これに東北 方面にも通話が出てきました。現在の東北 本線に相当する鉄道の計画です。当時足が 佐の辺りが最も積極的だったようです。 ん、鉄道通話の最新の輸送手段ができるしもどんちょっと待てよ。足川が佐野通してくんねえかな。 栃木県南部かつては産業やが盛でした。それらは主要な輸出品目でもありました。そんな中、横浜の港まで輸送することが求められていました。故えにこんな案があったみたいです。 まず高崎線を建設し、途中の熊谷駅から 分岐します。足川付近を経由し、栃木市を 通って宇都宮へ至るルルートです。これで あれば栃木市にも通りますね。宇都宮も 栃木市も東北本線のある町となります。 しかしながら結局はパーになりました。 理由について国は大宮で別れた方がっぺな 。足ガーンでは色々とデメリットがあり ました。距離的に遠回りとなります。次に 若干アップダウンがある地域を通ることと なります。大山経由の方が閉坦であるため 作るのが難しかった模様です。そして栃木 市での動きもありました。運を営んでいた 人たちが言いました。鉄道冗談じゃねえよ 。俺たち潰ちまべな。運の需要が消えると して反対の声もあったみたいです。こんな 出来事もあり、最終的には現行の経路と なりました。栃木市盾のメインストリート から除外された流れです。そして縦方向の メインストリートとなった宇都宮さらに 発展しました。栃木市との格差ひたすら 拡大した流れです。それどころか第2の 都市からも転落しました。躍進したところ それが小山市ですね。東北本線のある町と して発展しました。最も栃木市にも鉄道が あるのが確かです。 東部日光戦やけど普通に東京直血随分大したもんだっぺな というか両毛線がありますね。東北本線の視線として明治期にはありました。ただ区便であったのは言うまでもありません。それでも東武線ができると大幅に便利になりました。一気に都心直結の年となったのは確かですね。しかし山市と宇宮が一歩リードしました。 スペーシアでもいいけどやっぱ新幹線があるところがいいよな。早さ止まんなくても 最後の一言は余計ですが新幹線ので決定的になったのかもしれません。そんな第 3 の都市を敗壊するおっさんでした。栃木駅よりスタートします。両毛線、東武日光線ともに効果化されています。近代的な作りとなっていますね。東武線の時刻表があります。 特急がメインになってんね。 ナスのより多いんじゃねえの? 何が言いたいのか分かりませんでした。普通列車は 30分に1 本の感覚のようです。続いては両毛線の時刻表です。本数がかなり少ないですね。こちらは 1時間に1 本が基本となっています。駅前には駐車場が結構あります。 1日マックス500円が相場のようです。 これって高いのかな?それとも安いのかな? ナレーターは不動産屋ではありません。 北口にやってきました。ご覧のような景色 が広がっています。一般的な駅前 ロータリーといった感じです。続いて 市街地をウォーキングしてみました。商店 街を進んでいきます。日曜日の夕方という ことも影響しているかもしれません。いる 人は少ない雰囲気です。他のところと あんまり変わんねえんじゃねえの。特に 目立った特徴はないつが 正式に比較していないので分かりません。 あくまで見た目という意味ですね。というかと比較してとは一切ません。もう少し進んでみました。ご覧のように商店街もシャッターが閉まっています。一方奥には高層マンションも見えます。都会的な景色が広がっているのも確かです。この辺りは営業しているところもあります。 好きなんです。エアコン工事が。 電気屋さんは営業しているようです。 というか音読大変失礼いたしました。一方人通りは依然前として少なめですね。秋屋になっているところも結構ある様子です。橋のデザイン的に昔から存在するのが読み取れます。 川水ねえけど大事が水もうみに取られちったんかな? そんなわけありません。というか川の水に関してはシェアしていません。山市とかも水源は別のようです。 この点鉄道の勢力図と同じみたいですね。 引き続き商店街が続きます。こちらも シャッターが降りています。本日営業はし ていない様子です。元コンビニと思われる 建物もあります。現在は何も入っていませ ん。そのまま空屋となっている様子です。 そんなこんなで大通りに出てきました。 こちらは人が結構歩いています。車の通り も結構多いのが分かりますね。 面建物を見ますとシャッターが目立っています。多くのお店が廃業した様子を感じるところです。そしてやってきました。歴史的な建造物が並ぶエリアです。正面の川かつては周運に使われていた模様です。 鉄道に反対した現場がこの辺りなんかな。 証拠が残っているわけではないですね。あくまでもそんな噂があるという程度です。夕方なので換算としてますが、昼間は賑わっているみたいです。 かつては確かに物流倉庫として使われていました。 剣王道のインターの前に最近増しているやつと同じなんかな。 言いたいことが分かりにくいですね。というか道路名の固有名は関係ありません。全国共通かと思います。正面に巨大な建物が出てきました。ショッピングセンターのような雰囲気です。左手には立体駐車場があります。相当大 規模なのは言うまでもありません。 東部百貨店が入っている建物ですね。ただ入り口を見てみると 栃木市役所って書いたけど洋服とかでも販売始めたんかな? そんなわけないですね。大部分のフロアは市役所となっているようです。百貨店となっているのは 1回のみです。2回から5 回までは市役所のテリトリーです。 でも東武線のき方ちょっと東具ね。普通鉄ってエビルとかに入ってるような感じ。 鉄系というワードが爆端していますが鉄百貨店のことかと思います。東害施設は福田や百貨下店でした。 2010 年に閉店し秋店舗となっていました。建物を残し市役所と東部百貨店がやってきた感じです。なお県庁があった証拠のようなところがあります。ちょっと向かってみました。 県庁堀川という様水路があります。調者を立てたのと同時に水路を増したみたいです。敷地に関してはこんな感じになっています。 なんか学校みたい。 学校みたいではなく学校ですね。現在は栃木高校となっています。明治 29年設立なので県庁が移転してから 10 年くらいできた模様です。効立高校としては珍しく男子校とのことです。 驚愕化するとかしないとか話があるみたいですね。少し進むと歴史的な建物が見えてきました。 早く町土地 栃木町と書かれてあります。県長所材値だった時代の役所だった建物です。それに関する説明も記載されています。わずか 11 年で調所値のポジションを失ったとのことです。というわけで確かに県長所在地だったのが分かります。 単なる街でないのは言うまでもありません。駅前通りに戻ります。ご覧のように車の通りが多いですね。歴史的なスターバックスコーヒーもありました。 これも昔からあんのかな?大 そんなわけないですね。周辺に合わせて作ったものかと思います。あえてこんなデザインを選択した店舗です。文化剤ではありません。まあ、ある意味で文化にはなっていますが、そういう意味ではないですね。 そんなわけで県庁が去った栃木師について でした。夕暮れなので撤収したいと思い ます。まあ市内で1番賑わっているところ はここかもしれません。というわけで 食レポタイムにしますね。やはりの味が ちょっとしないな。

かつては東京都心から東北方面へ向かう鉄道一部となるはずだったのが栃木市は栃木県の県庁所在地でもあった。しかしながら地元の舟運業者の反対もあって東北本線が小山市や宇都宮市を経由する事となり、以降発展が遅れた。現在は経済規模も人口も県内第3位に転落。新幹線も出来なかった点も大きく影響した。
東武日光線、JR両毛線が市内を通っているものの賑わいを見せるほどには至っていない。都心へ向かう特急列車もあるが、新幹線ほどのインパクトはない。両毛線は完全にローカル輸送というポジションで乗客は決して多くはない。
福田屋百貨店も閉店し、東武百貨店の食品売場と栃木市役所が入居している。
市内中心部は蔵の街として観光地になっている。反面、商店街は閉店が相次いている様子。

<画像出典>
・国土地理院地図、https://maps.gsi.go.jp/
 (一部加工して掲載)

48件のコメント

  1. 栃木の栃は正しくは″橡”で、その略字が”杤”なんだけど、役人が間違えて栃と書いてしまったため、そのまま栃木県となってしまいました。

  2. 3:50 この手の話で、証拠となる文書が見つかった例はない!後世の住民による作り話…
    と、指摘してた動画があったはず。

    それと、『ブラタモリ』大宮の回で指摘してたのは、どこで利根川を渡るか問題。
    熊谷・足利ルートは、利根川だけでなく渡良瀬川にも架橋が必要なので、ボツに…。

  3. もう糸魚川や大分のような大火でも起こって一度更地になって欲しいわ。景観に配慮が必要で何も新しいものは作れないし、道路も狭いしで終わってる。蔵の街なんて一度見にきたら誰も来ねえよ。大水害でも大地震でも空襲でも起こって一度リセットが必要

  4. もし鉄道が出来ていたら、現小山駅のように両毛線・水戸線・新幹線が通り、加えて東武線も日光線と宇都宮線が乗り入れる
    (まぁ東北本線と東武宇都宮線が完全に被ることになるので可能性低いですが…)
    現在の小山駅を超えて、県内トップクラスのターミナル駅になっていたかもしれない
    そう考えると、本当になんてことをしてくれたんだと

  5. そういや栃木市ってあったな〜
    東部が走ってるってイメージで両毛線が来てるなんて忘れてたや…
    というか、市役所と百貨店が一緒とかあるんだ。

  6. 県庁移転については当時の県令三島通庸が関係しております。三島には必ず触れるべきかと。ところで、鉄道が通らなかった町には我々が反対したから通らなかったんだという都市伝説のようなものがよく有ります。ただ、「証拠」は見つかっていないというのが殆どです。証拠はどこにあるんでしょうか。『栃木市史』の第何巻の何ページにありますか。明治前期の或る人の日記に「今月の何日、栃木町のどこどこ旅館で鉄道敷設反対の集会が開かれる。俺はそれに参加する予定だ。」なんていう記述があればそれはちゃんとした「証拠」になりますが、そんなものは見つかってはいない筈ですよ。

  7. 実を云うと、栃木町(現栃木市)の人たちは東北本線誘致運動に尽力しておりました。明治16年12月28日付けの「鉄道線路之儀に付 御願い」という史料、それが「証拠」です。『目で見る栃木市史』(栃木市史編纂委員会)の389p390pに記述が有ります。

  8. 私も60年以上昔からその話はよく聞いたが。
    現在は栗橋ルートが一番鉄橋が少なくてすむとという説を支持してます。

  9. 茨城は数年以内につくば市の人口が水戸市の人口を上回る状況 流石につくば市に県庁所在地移転はしないだろうが

  10. 交通インフラ関連すべてに言えるがもし地元にある程度筋の通ったメリットのある案が回ってきたら推し進めたほうが将来的に発展する可能性がある

  11. アウトレットも、最初は栃木市にどうですか?と話があったが、イラネとなって、佐野市になったという話もありますね。

  12. 宇都宮が県庁所在地じゃなかったら、北関東道もわざわざ北に蛇行しないで済んだのにね。

  13. 群馬に差し上げた東毛地区は旧栃木県なので、そこを合わせ両毛地域全域が栃木県なら、多くの人が住む平野部だけを見ると栃木市は真ん中と言えなくもないんですよね。

  14. 栃木市民です。
    動画内にあった大通りと呼んでいた場所は、銀座通りという名で大通りはその東側にある栃木駅から北に延びる道です。
    でも大通りもそこまで栄えているかどうかは微妙です🤫

  15. 栃木市は江戸時代の後期から明治の初めには北関東では屈指の規模の商業都市だったそうです。鉄道が建設され始めるまで、物流の中心は水運で、栃木市の入船町までは船が入れたので、栃木市よりも奥の地区の産物は栃木市に荷車で運ばれ、川沿いに蔵を持つ商人が買い付け、船で川を下る形態の物流のターミナルだったわけで、水運に従事する関係者が反対運動を展開し、鉄道を小山方面に迂回させたものと理解しています。ミツワ通りがすっかり寂れてしまいましたね。巴波川の水位はかつてはもっとあって、橋から子供達が飛び降りて遊ぶ姿を記録した動画があったはずです。今は、水害対策で地下から街を迂回させるトンネルみたいな水路を作ってたから、その影響もあるのかも。日光への例幣使街道が山際を通っているのは、水害を避けるためですし、利根川を渡る鉄橋の敷設地点に関しても、東北本線より東武線の敷かれているコースの方が理想的だったはずです。

  16. 小山の友達と那須に車で向かう時に栃木インターから乗るんですが、ソレ以外で栃木市行かないんよね、、、😭😅😭
    ホンマ通り過ぎるダケなんよね、、、( T∀T)

  17. 栃木市、なにげに今年の大河ドラマの舞台になったじゃん。一時期喜多川歌麿が住んでた、ということで。

  18. 栃木市なのに栃木県の県庁所在地じゃないなら、宇都宮県にすれば良かったのに。

  19. 自由民権運動が盛んだったのが政府に嫌われたのと、県トップが福島出身の方で移転運動と合致したのだと郷土史には記述ありました。移転は認められたが県名の変更は認可されなかった。鉄道を反対したと教えられましたが、違う見解があることもありえるのだと思います。まあ宇都宮に行くことはほぼない。

  20. 【地域】若者流出に歯止めかからず
    “駅前は塾だけ” 栃木市の停滞深刻に
    唯一の娯楽施設閉店で市民落胆**
     栃木県栃木市で、若者の市外・県外流出が続いている。背景には、駅前商業の偏りと娯楽施設の欠如、交通の不便さなど、生活環境の問題がある。市民からは「街としての役割を果たしていない」との厳しい声が多い。
    ■ 唯一の娯楽施設「ラウンドワン」閉店へ
     市内で若者の遊び場として機能してきた「ラウンドワン栃木・樋ノ口店」が2021年3月末に閉店した。市民に衝撃が走り、SNSには「栃木市、終わった」との投稿が相次いだ。
     近年、市内のゲームセンターは相次いで閉店し、残るのはイオンの小規模ゲームコーナーのみ。パチンコ店を除けば、若者が余暇を過ごせる場所はほぼ無い状況だ。
    ■ 栃木駅前は塾が乱立
     取材班が栃木駅前を歩くと、目につくのは学習塾ばかりだ。夜になると塾の看板だけが光り、飲食店や娯楽施設は少ない。若者からは「駅前に来ても塾しかない」「ここから出るための勉強をする街」と皮肉めいた声が返ってきた。
     書店はTSUTAYAが1店あるのみで、新刊の入手も不便。映画館も市内に一つもなく、市民の消費行動は佐野、宇都宮、小山へ流れる。地元経済にお金が落ちない構造が続いている。
    ■ 景観保全が開発を阻害
     市が観光の柱とする「蔵の街」地区では景観規制が厳しく、建物や道路の再開発が進みにくい。若者からは「蔵を守るばかりで街の未来が削られている」「観光客も少ないのに、開発を止めてどうするのか」との不満も聞かれる。
     ゴールデンウイークでも人通りが少なく、観光都市としても停滞感が漂う。
    ■ 交通不便、生活機能も脆弱
     市バスは2時間に1本と少なく、市中心部へは自転車で40分~1時間かかる地区もある。県道の一部では街灯が少なく、夜間の安全性に課題が残る。
     また、市役所は百貨店の2階に移転したが、住民からは「生活動線から外れており不便」「百貨店を利用する市民は限られている」と疑問の声が上がる。
    ■ 若者の流出は固定化
     市内で育ち、駅前の塾で学び、大学進学で東京や宇都宮へ。そのまま就職し、栃木市へ戻らない――この流れは完全に定着した。
     「栃木市は都会への踏み台になっているだけ」との指摘もある。市にとっては人口減少と税収減を招く悪循環であり、地域の未来に大きな影を落とす。
    ■ 専門家「生活者視点の政策転換必要」
     都市政策の専門家は「蔵の街という歴史的価値は重要だが、生活の不便さが限界に来ている。若者が求める娯楽・商業施設や交通改善を進め、景観規制の柔軟運用が必要」と指摘する。
    ■ “何も無い街”からの脱却はできるか
     自然は豊かだが、自然は他の市にもある。蔵の街は残るが若者は残らない。市民は「ゼロから街を作り直すべきだ」と訴える。
     栃木市が現状から抜け出せるかどうか、いま大きな岐路に立っている。

  21. 東北道も圏央道も北関東も両毛線も、このあたりはグネグネ曲げて作るのが好きなんだな。田舎者の利権争いのせいで貴重な時間を浪費させられる。ふざけるなと言いたい。

  22. あの~いつも思うんですが、語尾にぺって言うのは真岡などの茨城の影響を受けてる地域だけじゃ無いでしょうか?自分は県南ですが、語尾にぺなんて付けませんよ。今回出てる栃木市も当然ですが付けません。
    自分は若い頃に真岡周辺の【市貝町】に2年間居ましたが、真岡を中心に益子や市貝、茂木や烏山など茨城に近い地域は茨城弁を話します。ぺってつけるのを栃木弁みたいに毎回言うのは、間違ってると思いますよ。投稿主さんが県東の出身で恐らく上記の地域の出身なんでしょうけど。
    自分は教習所も茂木に通いましたが、県東地域は自分たちが栃木の中心と思ってる節が強く、県南出身だと分かると「都会者が!!舐めんじゃねっぺ!!」とか言いながらバイクのヘルメットで殴られた事もあります。平成7年頃でしたが、パンチパーマに白いベルトで少しくすんでましたがエナメルの靴でセカンドバッグを持ってました。当時は自分は金髪ロンゲでライダースにウエスタンブーツと言う格好で、フェイクファーのコート着た見た目はコギャルが自分に興味を持ったのが気に入らなかったそうです。そう言う地域が栃木県東です。
    御前山村の国道にマジで山賊行為=追いはぎをする連中が出てた頃ですね。

  23. 笑いありの栃木市の紹介、ありがとうございます。栃木県栃木市という自治体が存在している事を今、知りました。それにしても何となく懐かしい名残が漂う静かな街ですね。

  24. 栃木市役所の写真見てすぐに分かりました。初めて見たときはデパート?でも近づいて見たら栃木市役所でなんか察しました。佐野ラーメン食べに佐野に行ったりあしかがフラワーパークに行くときに両毛線を利用しますが栃木県にあって栃木市に県庁が無い時点で不思議なところだなと言う印象でした。動画で出てきたところは散策しました。駅は新しい感じですがJRと東武との差が大きすぎて。それに駅前だからといって繁栄の跡があるわけじゃないのも不思議といえば不思議な感じがしますね。古い町並みや運河がいい感じですけど町の寂れっぷりが半端ない。いかにも昔は栄えていたけど今は取り残された感がなんとも言えず。印象としては今は観光の町って感じでしたね。

  25. うちが栃木市に引っ越して来た頃は駅前の今セブンイレブンとすき家とファミレスがある場所に3〜4階建❓の長崎屋があって、街全体も今より栄えていた感じです。
    今は土日に観光客で賑わう街になってます。観光客向けの小さなカフェがやたらと多いです。

  26. このチャンネルだし北関東と仮定してサムネに大田原を感じたのに、外してしまった。
    私もまだまだですね。

  27. こういう時の教訓は……
    これから先の未来でも何らかの物流手段とか未来の移動手段が出てきた時(それがリニアになるのか輸送ドローンになるのかとかは分からないけど)に誘致を恐れない事やね。新しい手段は手に入れていかないといずれ衰退する

  28. 県庁、、、これは荒れる。
    高崎と前橋とか熊谷とか、浦和と大宮と岩槻とか、松本と長野とか、長崎と佐賀とかね。

  29. 川越と似てるけどめっちゃ混んでるから、栃木の方が落ち着いてぶらぶら出来ると思います!

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