山口県防府市 一軒屋が残る廃村「大浜集落」 防府市の東端の海岸に位置する「大浜集落」は、現存する家屋としては最後の一軒となりました。1940年代まで遡ると5、6軒の家が空中写真で確認できますが、その歴史は文政(1800年代)の時代まで遡ぼることが分かりました。さらに多くの墓石が見つかり、この小さな集落で住人の営みが代々受け継がれていたことも分かりました。 Yamaguchi 山口 山口県
@メリッサ-m9x on 2026.01.25 00:10 VSさんおはようございます。なんだかさみしくて切ない気持ちにもなりますね。人が住まないとあっという間に崩れてしまいますよね。今年も宜しくお願い致します🙇
@ササカカオル子 on 2026.01.25 01:03 文政…古いなぁと感じてたら昭和さえ今や100年経っていました。お墓も石柱の前は石を置くだけという古い物もあるらしいので、もっと前から生活された集落だったのかな?最後の1軒も農耕に頑張っていたのかな。道とは凄いものですね!年月経っても道は何とか残っている!数限りなく往来していた証拠!
@はぐれ雲-r6i on 2026.01.25 01:09 おはようございます。20年ほど前までは耕作もされていたようですが、今はすでにすっかり朽廃してしまっていますね。ずっと長い間、農業と漁業で集落の人々は生活されていたのでしょうね。元の住民の方も今は都市部に住み替えて暮らしておられるのだとは思いますが、20年前に離村だとすると今もお元気な方もおられるのでしょうね。
@paisoi5233 on 2026.01.25 01:09 JR沿いに東に行くと天野屋利兵衛の住まれた地だそうです。だからお墓も江戸時代からあるんでしょうね。子供の頃どっかこの辺りにミカンを取りに行って線路をみんなで歩いた記憶がある。今じゃ叱られそうだけど。
@mihokoseo8929 on 2026.01.25 01:48 墓石が、何基も並び残されています。遠い昔は、浜に,大人子供 老若男女の声が響き 活気のある漁村だったのでしょうか人が減り、みんな便利な 生活圏へと移動して行きます。仕方のないことですね。今年も見させてもらいます。
@まっくぶっく-p9m on 2026.01.25 02:36 2:00大浜付近の地形図を見ると、標高3mの三角形低地があるにもかかわらず地図に載るような明らかな河川がありません。これは河川侵食で発生した土砂が谷を埋めて出来た沖積地ではなく、地質特性による斜面崩壊や地すべりが原因で出来た地形のように思います。等高線はかなりグニャグニャ曲がり不整形の丘陵が大浜の低地を囲んでいます。表層の河川水ではなく地下水が主にこの地形を作った可能性が高いです。1:02 1962年の写真を見ると、大浜の低地が広く水田として利用されていることがわかり、つまりそれを維持するだけの水量があったわけです。3:50右は泥質片岩でしょうか、はっきりした片理は無いようですが。4:50現地を見れば、小さな川はありますね、ここは平地のキワなので地下水が漏れ出た川でしょうか。7:01山陽本線の築堤が防波堤を兼ねた形に見えます。8:11古い建物ですが傾いていないのはここが平面だからかもしれません。普通は浸水しやすい低地を避けて微高地なり高台なり丘陵斜面なりに集落を作りますが、この辺りの斜面は逆に滑りやすく危険なのでは? 1800年代からの古い集落なので、丘陵か低地か、この土地はどちらが安定地盤なのかをしっかり確認していたと思います。標高3mしかない場所を選んで建てた住居です。10:42地下水汲み上げでしょうか。12:12泥質片岩の石垣と思います。12:44このあたり石垣はやや青緑色ですね。14:33川水が無くとも地下水は豊富なのでしょう。16:33長きに渡ってたくさんの人々がここで暮らしてきた証拠ですね。豊富な地下水で広い田んぼを潤し、たくさんの人々を養う豊かな土地だったようです。
@ramil-jg8 on 2026.01.25 04:12 このあたり一帯が広大な耕作地だったことが信じられないような光景ですね。大浜という地名からも、昔は海に面した開放的な集落だったのかなと想像しますが、人が離れると土地はどんどん荒れてしまうんですね。
@あいうえお-n2p5x on 2026.01.25 04:58 探索お疲れさまでした。こんな場所が防府に🤔ここ、Google Mapから一部箇所がなぜかviewで見れますね。なぜか。。交通の不便な場所だから、廃村化しちゃったんですかね🥲1960年代の航空写真みたら、近くの山の上や近隣の場所が水田だらけですね。農家で生計を立ててた集落だったんですかね。しかし、ここ周囲と隔絶してるから、野球場かサッカー場か、大規模公園かスポーツ施設作って大声出しても誰にも迷惑かからないから、何か再開発で使えそうな気もしますが🤔
@ravenvein on 2026.01.25 05:01 過去山側から訪問した事があります。山中には墓場がありますね。確かに集落自体は原野になってますね。建物横の雑木林あたりに神社があるはずだったのですが、何となくな遺構しかありませんでした。撮影お疲れ様でした😊
@1868mikado on 2026.01.25 09:53 今から80年以上前になると思いますが私の母が子どもの頃にはこの集落から学校に通学していたようです。 今では考えられませんが線路沿いにトンネルを抜けていたようです。 私が子どもの頃もトンネルを抜けて貝掘りなどに来ました。 集落にはお宮もあったはずですが藪に埋もれてしまったかな?私も20年近く行ってません。線路を越えた海に「小島」と呼ばれる風光明媚な場所があります。
@TomorowMotoie on 2026.01.25 12:09 12:29辺りに見える線はイノシシ除け用の電気柵の支柱と電線ですね。装備としては新しいので廃村になっていても時折人が来ていたのでしょうか?何か脚立とか水道の蛇口辺りを見ると人が時折来てそうな雰囲気がありますね。
@浅田良二 on 2026.01.25 12:12 グーグルマップでも、大浜集落跡とありますね。1800年代から人々の営みがあったとは。昭和40年代から周辺の畑等の衰退が有るような気がします。隣町からのアクセスが良好ではないように思えるので住みやすい街へ移転したのたのかもしれませんね。
@あっとさん-k7t on 2026.01.25 12:43 この家は、私が富海小学校、中学校時代の同級生の家です。月に数回は確認のため行かれてるようです。この辺りは、猪のくくり罠を仕掛けています。道からそれるのは危険ですので自己責任で。
@tonomin1981 on 2026.01.25 13:14 約70年前まではここから富海小中学校に子供達は通学してたそうです。母の親友もこの大浜地区の方でした。自分も子供の頃は、この浜に貝掘りに家族でよく来てました。砂浜でなく磯ですが、いいサイズの貝がたくさん獲れてました。人が多く来るようになり稚貝までとっていかれたので貝も居なくなってしまいました。
@user-Pomodoro on 2026.01.26 07:07 山陽本線に乗ってると、富海周辺は海からの景色が好きで海側ばかり今まで見てました。今まで山側は何もないと思ってました。次回利用する際は見てみようと思います。
@tahchan1108 on 2026.01.26 10:30 以前富海に住んでおり電車で何度も通過したことがあります。基本席に座らず立っていることが多かったのでこの家は見た記憶があります。「どうやってここまで来るのだろう?」と疑問に思って見ていた気がします。
@supa-nie on 2026.01.26 14:53 ここに住んでおられた方々が繁栄を願い、山を切り開いて家を建て、田んぼを作り、、という時代を想像すると何とも言えない気分になります。同じような場所は結構ありますね。
@はれぶた-x3z on 2026.01.26 22:22 昔、電車で通る度に、何だか気になり車窓からこの家をよく見ていました。その時から一軒だけでしたが、周りは農耕地でお爺さんの姿が見えました。ヤギもいたような。どうやってここに行くのかな、一軒だけで寂しくないのかなと思っていました。そのうち人の気配がしなくなり、草木が伸びて車窓からは見えにくくなってしまいました。今ではこのようになっていたのですね。アップしてくださってありがとうございました😊
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VSさんおはようございます。
なんだかさみしくて切ない気持ちにもなりますね。人が住まないとあっという間に崩れてしまいますよね。
今年も宜しくお願い致します🙇
文政…古いなぁと感じてたら昭和さえ今や100年経っていました。お墓も石柱の前は石を置くだけという古い物もあるらしいので、もっと前から生活された集落だったのかな?最後の1軒も農耕に頑張っていたのかな。道とは凄いものですね!年月経っても道は何とか残っている!数限りなく往来していた証拠!
線路に隣接する廃集落とは驚きです🚊
最近「過疎地専門家が語る絶対に衰退する地域』」という動画で
中国地方北側が挙げられていた・・・
近くの廃止になった太平山ロープウェイも見たいです👍
おはようございます。20年ほど前までは耕作もされていたようですが、今はすでにすっかり朽廃してしまっていますね。ずっと長い間、農業と漁業で集落の人々は生活されていたのでしょうね。元の住民の方も今は都市部に住み替えて暮らしておられるのだとは思いますが、20年前に離村だとすると今もお元気な方もおられるのでしょうね。
JR沿いに東に行くと天野屋利兵衛の住まれた地だそうです。だからお墓も江戸時代からあるんでしょうね。子供の頃どっかこの辺りにミカンを取りに行って線路をみんなで歩いた記憶がある。今じゃ叱られそうだけど。
防府ですか、びっくりしました。こんなとこがあったんですね。全く知りませんでした。
小さな集落でも田畑は広そうです。農業と漁業の兼業とか昔の人は働き者ですね😊
墓石が、何基も並び残されています。遠い昔は、浜に,大人子供 老若男女の声が響き 活気のある漁村だったのでしょうか
人が減り、みんな便利な 生活圏へと移動して行きます。仕方のないことですね。今年も見させてもらいます。
こういう草原ってなんか不気味に感じてしまう。幽霊の子供達が走り回ったり笑い声がしてきそうだ。
1軒だけ残っているのですね、畑には何を作っていたのでしょう😮過疎化になってあちこち廃屋が多いです、いつもありがとうございます👍😊
2:00大浜付近の地形図を見ると、標高3mの三角形低地があるにもかかわらず地図に載るような明らかな河川がありません。これは河川侵食で発生した土砂が谷を埋めて出来た沖積地ではなく、地質特性による斜面崩壊や地すべりが原因で出来た地形のように思います。等高線はかなりグニャグニャ曲がり不整形の丘陵が大浜の低地を囲んでいます。表層の河川水ではなく地下水が主にこの地形を作った可能性が高いです。
1:02 1962年の写真を見ると、大浜の低地が広く水田として利用されていることがわかり、つまりそれを維持するだけの水量があったわけです。
3:50右は泥質片岩でしょうか、はっきりした片理は無いようですが。4:50現地を見れば、小さな川はありますね、ここは平地のキワなので地下水が漏れ出た川でしょうか。
7:01山陽本線の築堤が防波堤を兼ねた形に見えます。8:11古い建物ですが傾いていないのはここが平面だからかもしれません。普通は浸水しやすい低地を避けて微高地なり高台なり丘陵斜面なりに集落を作りますが、この辺りの斜面は逆に滑りやすく危険なのでは? 1800年代からの古い集落なので、丘陵か低地か、この土地はどちらが安定地盤なのかをしっかり確認していたと思います。標高3mしかない場所を選んで建てた住居です。10:42地下水汲み上げでしょうか。
12:12泥質片岩の石垣と思います。12:44このあたり石垣はやや青緑色ですね。14:33川水が無くとも地下水は豊富なのでしょう。16:33長きに渡ってたくさんの人々がここで暮らしてきた証拠ですね。豊富な地下水で広い田んぼを潤し、たくさんの人々を養う豊かな土地だったようです。
VSさんの動画はどれも好きなのですが、やっぱり廃村が一番好きなジャンルです
このあたり一帯が広大な耕作地だったことが信じられないような光景ですね。大浜という地名からも、昔は海に面した開放的な集落だったのかなと想像しますが、人が離れると土地はどんどん荒れてしまうんですね。
ここに移り住み切り開いていった人たちが、居たんですね。
鉄道があり海があり畑があり。
探索お疲れさまでした。こんな場所が防府に🤔
ここ、Google Mapから一部箇所がなぜかviewで見れますね。なぜか。。
交通の不便な場所だから、廃村化しちゃったんですかね🥲
1960年代の航空写真みたら、近くの山の上や近隣の場所が水田だらけですね。
農家で生計を立ててた集落だったんですかね。
しかし、ここ周囲と隔絶してるから、野球場かサッカー場か、大規模公園かスポーツ施設作って
大声出しても誰にも迷惑かからないから、何か再開発で使えそうな気もしますが🤔
過去山側から訪問した事があります。山中には墓場がありますね。確かに集落自体は原野になってますね。建物横の雑木林あたりに神社があるはずだったのですが、何となくな遺構しかありませんでした。
撮影お疲れ様でした😊
今から80年以上前になると思いますが私の母が子どもの頃にはこの集落から学校に通学していたようです。
今では考えられませんが線路沿いにトンネルを抜けていたようです。
私が子どもの頃もトンネルを抜けて貝掘りなどに来ました。
集落にはお宮もあったはずですが藪に埋もれてしまったかな?
私も20年近く行ってません。線路を越えた海に「小島」と呼ばれる風光明媚な場所があります。
12:29辺りに見える線はイノシシ除け用の電気柵の支柱と電線ですね。装備としては新しいので
廃村になっていても時折人が来ていたのでしょうか?何か脚立とか水道の蛇口辺りを見ると人が時折来てそうな雰囲気がありますね。
切ないな😢
グーグルマップでも、大浜集落跡とありますね。1800年代から人々の営みがあったとは。昭和40年代から周辺の畑等の衰退が有るような気がします。隣町からのアクセスが良好ではないように思えるので住みやすい街へ移転したのたのかもしれませんね。
この家は、私が富海小学校、中学校時代の同級生の家です。月に数回は確認のため行かれてるようです。
この辺りは、猪のくくり罠を仕掛けています。道からそれるのは危険ですので自己責任で。
約70年前まではここから富海小中学校に子供達は通学してたそうです。母の親友もこの大浜地区の方でした。
自分も子供の頃は、この浜に貝掘りに家族でよく来てました。砂浜でなく磯ですが、いいサイズの貝がたくさん獲れてました。人が多く来るようになり稚貝までとっていかれたので貝も居なくなってしまいました。
40年前のうろ覚えですが当時、中学校の後輩がこの集落?から通学してたって記憶がありますが、今になってグーグルアースで見てビックリです。
最後にたくさんお墓が出てきたのでびっくりしました。
富海と戸田の間ですね。36年前、塾に通うとき見てました。当時ですら誰か住んでるのか?と思ってました。
山陽本線に乗ってると、富海周辺は海からの景色が好きで海側ばかり今まで見てました。
今まで山側は何もないと思ってました。
次回利用する際は見てみようと思います。
以前富海に住んでおり電車で何度も通過したことがあります。
基本席に座らず立っていることが多かったのでこの家は見た記憶があります。
「どうやってここまで来るのだろう?」と疑問に思って見ていた気がします。
ここに住んでおられた方々が繁栄を願い、山を切り開いて家を建て、田んぼを作り、、という時代を想像すると何とも言えない気分になります。同じような場所は結構ありますね。
当時に戻って雄大な畑を見てみたい
昔、電車で通る度に、何だか気になり車窓からこの家をよく見ていました。その時から一軒だけでしたが、周りは農耕地でお爺さんの姿が見えました。ヤギもいたような。どうやってここに行くのかな、一軒だけで寂しくないのかなと思っていました。
そのうち人の気配がしなくなり、草木が伸びて車窓からは見えにくくなってしまいました。今ではこのようになっていたのですね。アップしてくださってありがとうございました😊