沖縄の右にある「マジで何もない島」に行ってみたぞ!!ニンジン以外は本当に何もない【津堅島】

沖縄でいちばん行きやすい離島・津堅島はマジで何もない。島自身が何もないっていうぐらい何もない。

隣の久高島と雰囲気ぜんぜん違う

前回いった久高島の動画

行かない旅

45件のコメント

  1. ドスコイさんがまさか津堅島まで行っていたなんて❗️小さい頃に家族や親戚と浜辺でスイカ割りやキャンプしたり小学校の運動会の設営などお手伝いした思い出❤昔からホントニンジン推しでキャロットゼリーとかもありました😊
    にしても懐かしい〜すぎる😂

  2. 西側のビーチは米軍にも人気で、年に数回パラシュート降下訓練をしているそうです。🪂

  3. ドスコイさんの沖縄動画、本当に好き〜 人参タワーに入っているところのドスコイさんが観たかった、可愛さ倍増だったと思います🎉🎉コザにおでん小町というお店があります テビチのおでんが激ウマです!

  4. 「存在しない、小学校の頃の思い出」
    「実在しないおばあちゃんを思い出す」
    深いな、、、哲学している

  5. 25年以上前、津堅島にいきましたが、当時は、乗り捨ての自動車が沢山あって、びっくりしましたっけ。フェリーで運んできて、乗り捨てしたものなのでしょうかね。また、無ナンバーの軽四輪が島をはしっているのも。この頃は改善されたのでしょうかね?

  6. 同じ日に関空からピーチで那覇、那覇からバスに乗りアメリカンビレッジ、またバスに乗りホテルコザに宿泊しました。宿泊費は9月予約でシングル5,032円でした。朝は無料パンとコーヒーが美味かったです。夜の街は米軍が暴れているかなと思いましたが日曜の夜なので街が死んでいました。ホットモットで弁当を買い部屋で食べました。昼間の気温が23度で暑い日でした。

  7. "行かない旅"見ました。お顔がきれいでした。"へき地系youtuberドスコイ"さん、応援しております。🥕

  8. (1/2)信州大学繊維学部の正門前には、沖縄県津堅島出身の卒業生、緑間武さんから寄贈された巨大な石造りの看板があり、訪問者のよい目印となっています。緑間さんは母校愛の大変強い方であり、開学80周年などという記念の年に、それぞれ、石造物を寄贈されています。緑間武さんは、現在ももし生きておられたら100歳に近い年齢になる方です。どうされているでしょうか?-————-(以下引用)—————
    緑間さんは、戦前、沖縄本島から4キロ離れた小島の津堅島(つけんじま)の大秀才で、昭和18年(1943年)、島始まって以来初めて本土で高等教育を受けるため、島民200人全員が港でどらや太鼓でこの前途有為の青年を見送り、全国から秀才の集まる「上田蚕糸専門学校」に送りだした。津堅島を出てから6日かかって信州の上田に着いたところ、4月6日というのに大雪で、初めて見る雪に耐えられないくらい寒い。学生寮の修己寮でぶるぶる震えながら初めての夜を過ごした。入学式が終わり、物理の講義の第1日目、教授は、Introduction, Chapter One…と英語で講義を始めたので、全く面喰ってしまった。講義について行けず、思い悩み、1カ月して、退学を決意して両親に手紙を送った。両親から、「悲しいこともあるだろう。辛いこともあるだろう。しかし、じっと我慢して頑張れ。それが男だ。」と、退学に猛反対されたという。気を取り直して必死で勉学に頑張った。ところが、戦局はますます緊迫して、緑間さんは昭和19年(1944年)11月に第2次学徒出陣で出征した。

  9. (2/2)緑間さんは、南支、仏印の激戦を潜り抜け、マレー半島で終戦を迎えた。クアランプールやシンガポールなどで苦しい捕虜生活を送ったのちに、昭和22年(1947年)5月にシンガポールから日本に復員することになった。復員船で故郷沖縄の横を通ったとき、沖縄が全滅したと聞かされ、絶望的な気持ちになった。そこで上田までとにかく帰ってきたら、もとの下宿の伯父さんの香山さんが、「よく生きて帰って来た。沖縄は全滅したから、沖縄に帰っても仕方がない、上田蚕糸専門学校に復学して卒業しろ。学費は俺が出すから。下宿代もいらない。」と言われた。津堅島は、沖縄でもとくに激戦地で島民は昭和24年(1949年)まで帰島が許されなかった。そのため、もう島民や両親からの経済的援助が期待できるはずもない。学費は下宿の伯父さんが払ってくれるというが、生活費が全くない。そこで多くの同級生や母校教官からの援助を受け、さらにあらゆるアルバイトをして糊口をしのいだ。別所温泉でサングラスをかけ笛を吹いて按摩のアルバイトもしたという。暖かい母校や上田の人々のおかげで自分は何とか卒業できた。緑間さんは、昭和18年(1943年)4月製糸科入学者40人中、最も遅れて卒業した人であった。その後、沖縄に帰って昭和33年(1958年)石材加工会社「沖縄関ヶ原石材」を立ち上げて、事業に成功して今日に至っている。緑間さんは、このときの上田の母校や市民の恩に報いるため、信州大学繊維学部開学80周年などという記念の年には、それぞれ、石造物を寄贈されているのである。

  10. chaPは嘘ついてドスコイさんの気を引こうとしている!私はJemiちゃん派なんだけど嘘つくのは一緒。AI二人とも夢見がち(^^♪ 笑

  11. とってもおもしろかったです◎何もない→独特な視点で魅力を紹介☆まさにドスコイのさんの味わいたっぷりの内容でした!
    エメ青色の海、植物の団地、、例えも絶好調ですね。沖縄に甘やかされにいきたいです😇

  12. 津堅島のビーチは天気が良ければとても美しいですよ。昔は今は無き佐敷マリーナという所から船が出ていて、ここに海水浴目的で来る観光客が結構いました。自分も45年ほど前に二度行きましたか、海が本当に奇麗でした。なので自分的にはここの最大の魅力はビーチだと思っています。ニンジンも有名ですけどね。

  13. オレンジ塗装はなかなか乗らないので、大変なんですよ!
    透けて下地がみえるから何層も塗って、多分何日も掛かったはず!

  14. 29:15 30代前半ですが、自分が小さい頃は本島でもこういう浜がたくさんありました!今では整備されて綺麗になってるところが増えてますね!

  15. 存在しない小学生の頃の夏の思い出を妄想してしまうエモい風景。何もないと見せかけて急に現れるおしゃれスポット。何もないがある島もドスコイさんが行くと何も無くない島でしたね(^^)
    急に見せる優しさに惚れるってなんかわかります(^-^)

  16. イッタ🎉❤おめでとう㊗️35万人🏃‍♂️‍➡️
    めっちゃコンパクト〜サクサク編集😂 攻める尺使い!ナゾに急いでる⁈
    動画も高速船で優しさ出てました👏

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