【古代神奈川考①】⛩️🚃✨秦野にある桜土手古墳群を妄想解釈すると、なぜか意富氏に繋がりました…😧古事記&日本書紀を読み解きつつ、神奈川県を旅行して古代史の謎を妄想解釈します😉
古事記&日本書紀を読み解きつつ、
神奈川県を旅行して古代史の謎を妄想解釈します😉
秦野にある桜土手古墳群を妄想解釈すると、
なぜか意富氏に繋がりました…😧
◆参考資料
秦野市HP参照
https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000002228/index.html
『和名類聚抄 20巻』[2],村上勘兵衛,寛文7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2555718 (参照 2024-12-03)
鴻巣盛広 著『万葉集全釈』第4冊,広文堂書店,昭和5-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1259711 (参照 2024-12-11)
神谷永平 (稲羽) 頭注『延喜神名式』下,出雲寺文次郎[ほか],明14.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815158 (参照 2024-12-27)
[舎人親王] [編]『日本書紀 30巻』[2],慶長15 [1610]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544341 (参照 2024-12-27)
今泉定介 編『故実叢書』拾芥抄(洞院公賢著 洞院実煕補),吉川弘文館,明32-39. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/772008 (参照 2024-12-31)
『和名類聚抄 20巻』[1],村上勘兵衛,寛文7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2555717 (参照 2024-12-31)
[舎人親王] [編]『日本書紀 30巻』[14],慶長15 [1610]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544353 (参照 2024-12-31)
安倍季尚 編 ほか『楽家録』11巻-23巻,日本古典全集刊行会,昭和10-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1125445 (参照 2024-12-31)
#ふどきさんの古代旅
#古事記
#日本書紀
35件のコメント
秦野ですネ🎉ハタは海です、韓国語でパダは海、波が打ち寄せる海です。パダがハタにそしてワダ、ワタと変化してマスね。ワダツミ、こから来てます。飛鳥時代は百万人くらい百済高句麗シラギ、カラなどから渡来してきたと思ってます😊
高麗、新羅、百済雅楽というのは全く残ってないのでは?う~んちょっと渡来系に頼り過ぎでは?
イイですねー。
神奈川は、大した古墳もなく、どマイナーなところです。
桜土手が出て、びっくり。
神奈川は、ご存知のように、「師長國」。
宇摩志麻遅命の奥さんに、ナント!
師長姫さんがいますね。
神奈川かと。。。
平塚〜大磯境、大磯側の地名は、「高麗」です。
琵琶湖畔、高島の「与呂伎神社」さんには、更にびっくり。
流石の探査力ですね。
高島といえば、継体天皇。
高向氏ですかね。。。
※ 余計なお世話ですが、平城京の北側にお行儀よく並んでいる古墳。
地名は佐紀ですが、続きが佐保台で、狭穂・沙本でいいんでしょうね。
「佐保川」もありますし。
ウワナベ・コナベ・ヒシアゲ。。。
時代感は合っていると思いますが、ね。
神奈川県民です。どちらかと言えば神奈川県は旧石器時代と縄文時代が面白いイメージがあるんですけどね。
ただ、海老名市および相模原市にある有鹿神社がそうなのですが、人々の生活のために必要な水源を守っている神社というプリミティブな信仰体系を守っているんですよね。中央の神話とどうも違う匂いを覚えます。
しかし万幡……幡といえば八幡で、鶴岡八幡宮や平塚八幡宮が想起されますねぇ
相模川より一本西の花水(金目)川から西や周辺の大磯/二宮/秦野は渡来人が開発したイメージがあります。酒匂川周辺の小田原の方がまとまった平地がありますけど
古くからありそうな大きな神社は知りませんが古い古墳もあるので古くにヤマト王権に属した豪族に開発されていたのかも。花水(金目)川周辺が東国最後のフロンティア
だったのかもですね。大磯海岸はこゆるぎ浜と呼ばれています。由来を検索したら古代から「よろぎ(ゆるぎ、こゆるぎ、こよろぎ)の磯」と呼ばれ・・・・。 」と出て来ました。
大磯には高来神社(元は高麗神社)があります。かもかもばかりですいません。
ふどきさんのレベルが高すぎて、無防備な点をつかれた感じです。この辺は、フォッサマグナ支流の大きな断層が通っていたと思います。また、新富士山の噴火が781年から16回記録されているようで、関東ローム層が厚く堆積している厳しそうな地域だったと思います。白鳳地震による被害も想定され、それ以前も南海トラフ地震による津波の被害が出ていたと想像されます。逃げてきたか、特別な産物が見つかったと妄想解釈されます。
滋賀県の安曇川は琵琶湖沿岸の工業地帯への薪炭供給路として、また周辺地域への木材供給路路として整備されたと想像しています。継体天皇の時代ですね。
安曇川が琵琶湖に繋がる場所の近くに万木、よろずぎがあったとしたら、貯木場だったかもしれません。
松本市の西側に波田、はたの地名があります。扇状地に流れ出す前の梓川を分岐させて、水路を本流より高い所に引き、広い扇状地を農地に変えた痕跡があります。水路に手を加えて干拓、灌漑工事をするのは秦氏の得意技ですね。
合流していた河川を分けて農業用地を広げた痕跡が秦野にもありそうです。手を加えられる前の扇状地は、合流した一本の川が流れているのが自然でしょう。
雅楽の東儀秀樹さんは秦河勝の子孫を名乗っていますよね。
平塚に高麗山(湘南平)が有りますし、渡来系と縁が有りそうです。
いつも勉強させていただいています。神奈川県へようこそ!桜土手古墳群から始められるとは、驚きでした。いやいや相模国は面白いです。今後を期待しております!
生まれも育ちも東京なのにこんな面白い歴史が有ったかも知れない事、まるで知らなかったです。
ぶっちゃけ千葉の古墳初期とも言われるものも最近知った…
秦野の謂れがもし秦氏なら面白いです。
よろき(よろぎ)
確か半島系(渡来系)の人々が反乱?の恐れを退く為に関東に左遷?されたと言われていますね。埼玉や群馬とか…
東京の代々木もよろぎが語源かも?
八幡の8は多いって意味
万も多いって意味、応神とは無関係と、私は考察。
大分の八幡←多くの秦氏が住まう地名
万秦←秦氏関東左遷説とか?(笑)
今、仕事場の同僚が埼玉の高麗神社の次男で
色んな神社の嘘を知ってるみたい😬
それも嘘かも(笑)
HADANO、市名は濁点がついてはだのし。小田急の旧駅名は大秦野おおはたので周辺は濁点のあるなしが混在しています。波多野氏や波多野城址、落幡村(現鶴巻)など関連ありそうですね。お隣の伊勢原市に白髭神社の痕跡もあるようです。また古代ではないですが、伊勢ゆかりの伊勢原大神宮があり、秦野には新しいですが出雲大社相模分祠もあり、この二つのゆかりの神社が隣の市にあるというのも面白いと思います。
神奈川って、富士山の火山灰で稲作に向かないので、やはり古代史では空白地帯ですよね
出雲大社と、寒川神社を繋ぐ需要な遺跡ラインが。見事に桜土手古墳群を通過しています🎯更に。富士山頂と、法隆寺参道ラインの起点を繋ぐラインが交差しています‼️つまり重要な交点だからランドマークを、創設したのです。数万年前のアヌンナキのEnki 技術者による配置です。3600年前以降の、アヌンナキが地球を去った後の、ゴタゴタ話は、創設と無関係‼️👽
ヨロキ は高麗楽ですか。面白い‼️
大磯の港から秦氏が上陸したという言い伝えがあった、と思います。川を遡ると秦野や大山阿夫利神社へたどります。
重箱の隅。 9:06 ヨロキのヨは「興」ではなく「與」(与の旧字体)ではないかと。
(追記 ヨダの変換例として“「興」田”も出てくるので、当方の無知かもしれない)
秦野市の山中に『寄』という地域があります。
読みは一般的にはヤドリギでしょうが、ここではヤドロギと読ませています。
参考になればと思います。
完全に憶測でしかないのですが、「よろき」は秦野市の隣、足柄上郡松田町の「寄(やどり(ろ)き)」の可能性はありませんかね、、?
何となく音が似てる気が、、、
先日 逗子の長柄古墳を歩いてきました
神奈川県にも前方後円墳(2基も)あって驚きました
多氏が関わってそうな場所は関東多いっすねぇ。香取神宮、埼玉古墳群(稲荷山古墳鉄剣銘)、龍角寺台古墳群、印波国造や馬来田国造とかもそれっぽいでしょしょうかね?そして必ず重なるように忌部や鴨部、他は阿蘇や宗像など九州の氏族なども移入の痕跡がありコンプレックスを形成してる。あとは胡やコマなどの蛮社の痕跡も目立つ。面白いのは胡などはそれがいつから存在するかは分からない部分も多かったりする。案外大和に王権が生まれる前に関東に何かがあったのかも?
こだわるようだけど「はだの」な
平塚と大磯の間に
高麗山ってあるよね
立ち入り禁止だってさ
私の知り合いに同じ漢字でコオロギさんがおられました。
珍しい読みなので覚えてます参考まで
妄想解釈といいながら古文書を幅広く研究され、いづれも「さもありなん」と思えるロマン満載の内容でした。
私、前に神奈川(川崎市溝の口)に住んでた事有るけど神奈川の古墳とか知りませんでした。(まぁ当時はあんまり興味無かったってのもあります特に秦野市は用事が無いw
)
オフロードバイク乗ってた頃は国道246からの高尾に抜ける林道を走りに行ってましたけどね。
年取ってから江戸川区に引っ越して来て千葉の古墳にとても興味持ちました(笑)
よろきって地名私コオロギって読んでましたヾ(=д= ;)
ものすごく博識な方で尊敬します。その上でもし何らかの情報をお持ちであれば教えて頂きたいのですが、googleMap等で横浜市金沢区の富岡八幡宮の裏山を見ますと、季節や年次により木々の様子から変わりますが、概ね前方後円墳に見えます。形状的には応神天皇陵に近いです。また金沢八景近くの野島公園(室の木地区)=夕照橋近くです=の中の小山も後期の前方後円墳に見えます。こちらは米軍のせいで削れて古い地図じゃないと分かりづらいですが、今でも階段が前方後円墳のくびれ部分そっくりです。なのでこの付近には古代に豪族が居て、それが「源平闘諍録」に書かれた三浦氏の(母方の)祖先(青雲之介の一族)じゃないかと思っているのですが、富岡八幡宮の方はその名称が気になります。金沢区の方ではこの地に住む長者が狩りで、白い雉を得たので、これを帝に献じた。そして白雉の例を慰めるために塚をつくった。そこを「鳥見ケ丘」と呼び、これが「富岡」あるいは「留岡」となったと書いていますが、近くの戸塚区の地名の由来である「富塚古墳」との関係から「富」の字に関係ある豪族が居たのではないかとも思っています。ここで気になるのは古事記等で有名な「登美のナガスネヒコ」です。彼が神武天皇に討たれた時に兄弟の安日彦は津軽に逃げて後の安倍氏になったと言われていますが、途中の関東にも居たのではないでしょうか?その良い例が「横須賀」と言う地名です。実は横須賀と言う地名は愛知県の東海市にも有ります。「横須賀」と言うのは地形に由来していますが、安日彦をはじめとした登美の一族が名古屋付近から名前を連れて来たのではないでしょうか?色々と妄想がかっているようですが、面白いので研究しています。一度googleMapで御覧いただいて、何らかの情報を教えて頂けると幸いです。(googleEarthならば過去の映像が見られますが2018年4月頃が木が少なくて分かりやすいです)
秦野市民です!妄想考察面白かったです!でも秦野という名前から秦氏から来てるのではないかって説はありますがそういった文献や資料など見つかって無いんですよね…
興梠とくれば九州宮崎五ヶ瀬ですね。彦五瀬に因んだ地名で、高千穂西側の二上山の祭祀の男系が興梠(興梠木)です。
九州宮崎県五ケ瀬の母は多氏の興呂木(カムロギ)です。父は多氏の竹葉瀬(タカハシ)です。新羅に繋がります。祭祀で神楽をしておりました(^^♪
九州五ヶ瀬ですが、伊奘冉、伊弉諾の古い祭祀があって母系の家です(二上山)。男系は掟で土地の相続権がなかったそうで、男系の家「興梠、甲斐」の家督の無かった人たちは開拓地を求めて外に出て行った可能性が高いです。
それが出雲口伝で言う2回にわたる物部東征です。故に関東国造家が出雲に近い構成になったらしい。彦五瀬は九州五ヶ瀬にいた様で、橋本の血筋は四つの家によって守られてきました。
橋本、興梠、甲斐(興梠系との事です)忌部川田(明治までは忌部神社の本社)、高橋家。
橋本以外は全て家紋が同じです。
関東においては川田と高橋との関係を辿られて見てください。群馬県当たりの毛部(物部)あたりまで繋がってくると考えられます。
公開はされていませんが、橋本家口伝では先祖は中国とインドから来たとあります。口伝で言えば徐福と出雲族(どうも神門家系らしい)の組み合わせですね。
楽しく拝見しています。素人考えですが、秦野市の西に、寄という地名がありまして…。余呂伎(ヨロギ)→ヨドリギ→寄(ヤドリギ)…妄想でスイマセン(汗)
地元の言い伝えでは、東海道が未整備だったため、矢倉沢往還が西国への重要な街道だったと言われています。秦野から西へ、松田、関本にいたって、足柄山を越えて、京都に向かい、東には大山街道ととして、江戸に向かいました。交通の重要な要だったそうです。
それから、天台系寺院が多く、曽屋、乳牛、醍醐道といった法華経に由来するような地名があります。
元秦野市民です!
神奈川の第1回にこんなマイナーな場所を選んでくださり、ありがとうございます。
とても興味深かったです❤