広島県広島市 花木の放棄団地となった鷹野巣集落

【花木団地開発に至るまでの経緯】
人口流出を抑制し、農業生産を振興する方策として、1958年に行政と農協は安佐町に傾斜地でも栽培可能な緑化樹を中心とした植木生産を考えました。

高度成長期の1960年代は植木市場も好況でした。安佐町の植木生産農家は供給が追い付かないため、他の産地から苗木を購入していました。このため、需要を満たすための苗木の生産が安佐町内で必要でした。

1970年から近郊農業を樹立するために花木団地開発が始まり、1972年に三国花木団地が完成。花木産地形成には多くの補助事業が導入されました。

しかし、1970年代後半から植木の耕地面積は、高齢化と農業労働力不足や減反政策によって、条件の悪い耕地から順に耕作放棄が進みました。

1973年のオイルショックは植木の市場価格を低迷させ、1975年以降は植木生産農家数・植木栽培耕地面積も減少傾向になりました。

現在の安佐町の植木生産は、人口流出が続く小河内地区西部花木団地を中心に労働力問題のほかに、生産条件の悪さがあり、山なりの造成地も多いことから耕作条件が良いとはいえず、耕作放棄地も認められます。

【下記より引用)】
https://files01.core.ac.uk/download/pdf/222944561.pdf

16件のコメント

  1. 夢破れて…と言った感じですね😢
    花の生産は思ったよりお金が掛かります。なのに、なかなか高値で売れません。難しい問題です👍

  2. 道と崩れた家と捨てられた車…
    養蜂場に蜂はいなさそう…
    足音と鳥の声だけが聞こえる、怖い映画を観ているみたいな感じがしました。

  3. 鷹野巣集落は広島花崗岩の丘陵にあり、0:34風化花崗岩の地肌が見えます。2:15この緩やかな斜面は団地を造成するには好適です。9:58なだらかな傾斜地で日当たり良好です。放棄されて時間が経っていない、冬だから、からかも知れませんが、広範囲で樹木が繁茂しないのは地質にも原因がありそうです。
    14:08風化した花崗岩の真砂土が洗い越しのように道に流れ込んでいます。右斜面は珪長質の日当たりの良い乾燥した土地でよく育つ竹です。真砂土が崩れて表土を流してしまうので斜面に土壌ができにくいようです。
    15:31養蜂業が成り立つということは、春になれば緑あふれて花が咲き誇るのかも知れませんが、緑化樹(どんな樹種かにもよる)に果たして好ましい土地だったかどうか。

  4. バブルのころなどお金があった時代は、高くても売れたと聞いたな。アジア大会前には言い値で大儲けも聞いたな。それからどんどん値下がり、お金のかかる街路樹も減り造園業は氷河期になったな。

  5. 淋しい感じ😮VSさんの心地よい足音だけが聞こえる✨いつもありがとうございます😊

  6. 荒廃した場所に限って景色は良いんですよね😅
    毎回、いい場所なのになーと思いながら観てます。
    残念過ぎる集落の多い事。
    再生する道は無いのかなー

    撮影お疲れ様でした😊

  7. 当時の耕作地たった4軒しかないのに段々畑が広いですね~😊毎日大変な作業だと思うと離農もしかたないのかも…住宅地の開発に目をつけられては続かないのも無理はありませんし。当時住んでた家族達は、ようすを見に来ることがあるのかなぁ…静かで長閑。

  8. あの廃車…実はホームレスが潜んで居たりして…😱そう言えば、安佐北区から通勤している知人から聞いた話ですが、安佐パーク墓園付近の某場所が分譲して居た頃、数件のその場所…建てた後で実は建ててはいけない場所であったと後で判明して当時其処へ住み始めた数件の所帯の主達が大変な事になったそうです。その後現在は皆更地となってるんだとか。

  9. 当時の背景や経緯は知りませんが、VSさんのお話が正しいなら、当時の安佐町の行政計画の失敗でしょうか🤔❓
    ここ、広島市内へ一応車通勤できそうな場所ですが、宅地開発とか難しかったんですかね。
    結局、1960年代は良き里山だった地域が廃れただけ😭

  10. こんな山奥だけど、かつては「ここに家を建てよう!」と建設したり、他所から嫁いできた人とかがいたのでしょうね。想像もつきません

  11. 自分の 一軒家を 建てる。
    造園業者さんを頼んで 気に入ったこじんまりとした わが庭をつくる・街路樹に ふんだんなくお金を
    注ぎ込む  そんな時代は 終わったんですね・花木センターもなくなったし、

  12. あさひが丘など手掛けた当時の理事長、後年逮捕されてなかったか…
    安佐町には市内中心部に通えるのか❓と思うような団地がほかにもあるし

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