【京都夏の散策】名刀・膝丸が切った土蜘蛛の痕跡を巡る
◾️映像の紹介
この動画では「土蜘蛛」と名刀「膝切(膝丸)」の因縁について、源頼光の病の伝説をもとに、京都に残る史跡とともに解説します。
平安時代、武将・源頼光は原因不明の熱病に侵されていました。
ある夜、怪しい法師が現れ、頼光を縛ろうと襲いかかります。
その正体こそ「土蜘蛛」。
頼光はとっさに名刀・膝丸でその法師を斬りつけます。すると姿は消え、ただ血だけが残っていました。
翌朝、四天王たちが血の跡を追うと、北野の裏にある塚へと辿り着きます。
そこに潜んでいたのは、巨大な蜘蛛の化け物――土蜘蛛でした。
これを討ち取ったことで頼光の病は快癒し、この出来事により、膝丸は「膝切」と呼ばれるようになります。
つまり「膝切(膝丸)」とは、土蜘蛛を切ったことに由来する名刀なのです。
そして、頼光に斬られた土蜘蛛は完全にその場で死んだのではなく、血を残しながら逃走したとされ、その痕跡は頼光の屋敷があった堀川一条から一条七本松周辺へと続いていたと伝わります。
かつてこの一帯、今の清和院の山門付近には、土蜘蛛が潜んでいたとされる「蜘蛛塚」が存在していました。
現在、その記憶は、三つの場所に分かれて残されています。
<清和院>
土蜘蛛が逃げ込んだとされる原初の「蜘蛛塚」が存在した場所。現在は消失していますが、伝承では巨大な石や塚があったとされています。
この清和院は、清和天皇由来の寺院です。この清和天皇、清和源氏の始まりで、源頼光の4代前の天皇になります。
<東向観音寺>
もとは今の清和院近くにあった土蜘蛛塚の遺物(石灯籠の火袋)が移され、現在は境内に「土蜘蛛の塚」として祀られています。
明治時代に、塚が掘り起こされ、土の中から火袋が見つかりました。この火袋を持ち帰った家は全て落ちぶれ最終的には、この寺院に持ち込まれたとのことです。
寺の起源は平安初期、桓武天皇の勅願寺とされ、十一面観音を本尊とする古刹です。
江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、ご結婚なされる前に当寺で勉学に励まれたと言われています。
<上品蓮台寺>
境内には「源頼光朝臣塚(蜘蛛塚)」があり、土蜘蛛退治の舞台とされた清和院の塚から明治時代初期にこの場所に移されたと言われる重要な場所です。
聖徳太子創建と伝えられ、後に宇多法皇の勅願寺として再建された歴史を持ち、現在でも頼光伝説の中心地の一つとなっています。
これらの場所はすべて、「頼光の病」「土蜘蛛」「膝丸」の伝説が実在の地に結びついた証でもあります。
妖怪として語られる土蜘蛛ですが、もともとは朝廷に従わない勢力を指した言葉ともされ、時代とともに“怪物”へと変化していった存在でもあります。
この物語は、単なる怪談ではなく歴史と信仰、そして人々の恐れが生み出した伝説なのです。
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◾️チャンネルの紹介
「京の風景と散策」と言います。
四季ごとに変わる京都の日常の風景や史跡・神社仏閣をショート動画で紹介。京都観光の参考になれば幸いです。
◾️チャンネルURL
https://youtube.com/@keita_1966?si=c1CokpzZRuMfvJ4v
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