平和記念公園  2026年8月6日 広島平和記念資料館 「原爆資料館」/「平和資料館」。2006年7月5日に国の重要文化財指定。広島市中区中島町1 #平和公園 #原爆 #広島 #広島市

    広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん、英: Hiroshima Peace Memorial Museum)は、広島県広島市中区に所在する博物館(平和博物館)。広島平和記念都市建設法に基づく平和記念施設である。「原爆資料館」(げんばくしりょうかん / もしくは「平和資料館」)とも称される。

    施設は2006年(平成18年)7月5日に国の重要文化財に指定された。

    概要
    中島町の平和記念公園敷地内に所在し、広島原爆の惨状を後世に伝えるための施設として当初は「広島平和会館原爆記念陳列館」の名称で開館した。運営は広島市出資の公益財団法人広島平和文化センターが行っている。

    2024年5月現在の入館料は、大人200円・高校生100円・中学生以下は無料。団体料金は、大人が30人以上の場合は1人当たり160円に、高校生以下が20人以上の場合は無料になる。

    重要文化財である西側の「本館」と、東側の「東館」からなり、観覧は東館から入場し、本館を見学後、東館に戻り退出するコースとなっている。東館には原爆投下までの広島市の歴史や原爆投下の歴史的背景に関する展示があり、本館では広島原爆の人的・物的被害に関する展示が行われている。特に、原爆投下直後の壊滅した広島市街地の縮小模型、熱線で全身の皮膚を焼けただれさせながら炎の中をさまよう被爆者の等身大ジオラマ(通称:被爆再現人形(後出)、現在は撤去済み)、被爆死した三人の動員学徒が身に付けていた制服の残骸を組み合わせて一体の人形に仕立てた「三位一体の遺品」や「黒焦げの弁当箱」など被爆死した動員学徒たちの遺品、本通の住友銀行広島支店から1971年に移設された「人影の石」[注釈 3]などがよく知られている。2013年現在の収蔵品は約2万1000点に及び、館内の見学は本来は3時間ほどかかるとされるが、資料館側の調査によると実際の来館者たちの見学時間は後述の通り平均45分余であるという。

    沿革
    1945年8月6日午前8時15分投下された、世界最初の原子爆弾に被爆し、多くの人的・物的犠牲を払う惨禍に見舞われた広島市では、第二次世界大戦後の早い時期から、学術機関のみならず市民の手で被爆資料の収集が行われていた。この活動の中心となっていたのは、広島大学理学部地質学教室の嘱託を務めていた長岡省吾であり、収集された資料は、1949年から広島市中央公民館の一角に設置された「原爆参考資料陳列室」に展示されていた。しかし、所蔵資料の増加に伴い、原子爆弾の惨禍を広く世界にアピールするため、これらの保管・展示を目的とする展示施設を求める声が高まっていった。

    同時期、爆心地である中島地区を新たに広島平和記念公園として整備する構想が進んでいたが、資料展示施設は公園の全体設計を担当した建築家・丹下健三により、公園の目玉施設として位置づけられるに至った。丹下の設計による「広島平和会館原爆記念陳列館(現・広島平和記念資料館)」は1955年に開館し、これに伴い中央公民館の被爆資料は「陳列館」に移されて展示・保管され、初代館長には長岡が就任した。

    開館当初の広島平和記念資料館は、現在の「本館」(写真の左手前側)のみであったが、設計者の丹下によってコンペティション(広島平和記念公園及び記念館競技設計)当初より、資料館の西側に「集会所」として広島市公会堂(現在の広島国際会議場)を、東側(画像の右手奥側)には広島平和会館本館(平和記念館 / 現在の東館)を配して、それらを空中回廊で結んで3棟一体の建築とするよう計画されていた。

    1956年に、日本を巡回していた原子力平和利用博覧会の会場に使われ、展示物は一時的に近くの公民館に移された[9][10]。その後、1958年に開催された広島復興大博覧会でも『原子力科学館』として一部の展示物は展示され、その展示物は1967年まで原爆資料館内で展示。その時代は、原子爆弾の悲惨さと原子力の平和利用を伝える施設で、見学者から『内容が分裂症状気味だ』とする指摘もあった。1967年5月に平和利用の展示は撤去され、現在につながる性格付けがなされた。

    1973年から1975年に掛けて1回目の大改修が行われ、劣化したコンクリートの補修、赤外線を遮断する窓ガラスへの交換、収納庫の新設などがなされた。また、これまで未整備だった空調設備が整備され、被爆資料の保管環境は向上した。「被爆再現人形」が展示品に加わったのもこの時であった。

    1991年には2回目の大改修が行われ、展示内容の見直し、改装が行われた。1994年に平和記念館を改築した際、旧来の平和記念資料館と併せて「平和記念資料館(東館・西館)」と呼ぶようになり、当初からの建物を西館、記念館跡地に新たに建設されたものを東館と称した。この改築に際して2館は空中回廊で連結され、以後入館時には東館から入場し西館から退館するようになった。

    1998年には広島国際会議場と合わせて公共建築百選に指定。1999年には広島ピースセンター(広島平和記念資料館および平和記念公園)として日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に指定。2006年には、資料館西館が、同じく広島市内の世界平和記念聖堂とともに、第二次世界大戦後の建築物としては初めて重要文化財に指定された。この指定を機に、従来の「西館」の名称は「本館」と変更された。

    2001年、NPO法人である「広島からの地球平和監視を考える会」によって、地球平和監視時計が2001年7月24日に設置され、同年8月6日に除幕された。

    2010年7月に策定された「平和記念資料館展示整備等基本計画」に基づき、建物の改装と展示の更新が行われ、2017年4月26日に東館、2019年4月25日に本館がリニューアルオープンした。

    平和記念公園は、旧太田川(本川)が元安川と分岐する三角州の最上流部に位置し、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された都市公園です。

     この場所は、江戸時代から昭和初期に至るまで広島市の中心的な繁華街でしたが、昭和20年(1945年)8月6日に人類史上初めて落とされた一発の原子爆弾により、一瞬のうちに破壊されました。被爆後、昭和24年(1949年)8月6日に公布された「広島平和記念都市建設法」に基づき、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため、昭和25年(1950年)から平和記念公園及び施設の建設が進められ、昭和30年(1955年)に完成しました。
     公園内には、原爆ドーム、広島平和記念資料館、平和の願いを込めて設置された数々のモニュメント、被爆したアオギリなどがあります。

    平和記念公園は広島市の中心部にある広大な公園で、世界の恒久平和を願って爆心地に近いこの場所に建設されました。

    園内には、世界遺産に登録されている原爆ドームや原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館、原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島国際会議場などがあります。

    平和への願いを込めて鳴らされる平和の鐘の音は、環境省が選んだ、残したい日本の音風景100選にも選ばれています。

    原爆ドームは、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器(かくへいき)により、被爆(ひばく)した建物です。ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、核兵器の惨禍(さんか)を伝えるものであり、時代を超(こ)えて核兵器の廃絶(はいぜつ)と世界の恒久(こうきゅう)平和の大切さを訴(うった)え続ける人類共通の平和記念碑(へいわきねんひ)です。

    広島県物産陳列館(ひろしまけんぶっさんちんれつかん)の建設
     原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)広島県物産陳列館として完成しました。建物はれんが造りの3階建てで、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に楕円形(だえんけい)のドームが載(の)せられていました。
     物産陳列館は、県内の物産の展示や即売(そくばい)、商工業に関する調査・相談などの業務を行っており、美術展や博覧会などの文化事業の会場としても利用されました。
     その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)と改称(かいしょう)し、戦争末期の昭和19年(1944年)からは内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用されました。

    被爆(ひばく)
     昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機(ばくげきき)により人類史上初の原子爆弾(げんしばくだん)が投下され、広島市街地の中心部の上空約600メートルで爆発(ばくはつ)し、一瞬(いっしゅん)のうちに広島市街地の建物が倒壊(とうかい)し、多くの人々の生命がうばわれました。
     産業奨励館は爆心地(ばくしんち)から約160メートルの至近距離(しきんきょり)で被爆し、爆風(ばくふう)と熱線を浴びて大破し、天井(てんじょう)から火を吹(ふ)いて全焼しました。当時この建物の中にいた内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社・日本木材株式会社広島支社・広島船舶(ひろしませんぱく)木材株式会社などの職員は全員即死(ぜんいんそくし)しました。戦後、旧産業奨励館の残骸(ざんがい)は、頂上の円盤(えんばん)鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。

    建物の崩壊(ほうかい)について
     広島県産業奨励館の2階と3階のほとんどの壁(かべ)は被爆により崩(くず)れ落ちました。外側の低い壁は、建物を囲む塀(へい)のようにも見えますが以前は3階まで続く建物の壁でした。

    平和記念公園  2026年8月6日 広島平和記念資料館 「原爆資料館」/「平和資料館」。2006年7月5日に国の重要文化財指定。広島市中区中島町1 #平和公園 #原爆 #広島 #広島市   20260806 @akibingo

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