東京大空襲と原爆投下 屈辱の無条件降伏
1944年日本へB-29による戦略爆撃が開始されました。
当初、軍需工場を狙った精密爆撃が行われましたが、効果が薄く、焼夷弾による無差別爆撃へと転換されます。
木造建築が多い日本の都市に対し、米軍は火の壁を作るように焼夷弾を投下し、住民の避難経路を遮断しました。
強風による火災旋風が発生し、市街地は瞬く間に燃え広がりました。
3月10日の東京大空襲では、死者約10万人、焼失家屋27万戸の甚大な被害が出ました。
アメリカは本土決戦を回避するため、8月6日広島、8月9日長崎に原爆を投下。さらにソ連の対日参戦もあり、日本は8月14日降伏決定。
もし降伏が遅れれば3発目の原爆も投下される計画でした。
原爆投下の目的は、早期降伏、ソ連の影響力抑制、マンハッタン計画の正当化など、多岐にわたっていました。