和歌山港駅裏バラック集落・国有地砂浜海岸に自由に建てた果ての廃墟を隅々まで見る・不法占拠(字幕ON)
南海電車の線路脇、公けの道路の不法占拠バラックに暮らしていたおばあちゃん、 元気にしているかなと、電車の中から確認。(このお婆ちゃんの動画URLは概要欄に記しています) 動画のご視聴ありがとうございます。今回も、和歌山市内の不法占拠バラックと言いますか、 以前から見つけていて、いつか行こうと思っていた場所、南海電車の和歌山港駅の 裏手に広がる一大集落の映像です。既に廃墟系YouTuberさんが映像化されて いますので、私の動画などいちいち見
なくてもよろしいかと思いますけれども、 一応、その区画の全ての通路を歩いてみましたので、お時間のある方はご覧ください。 場所は、茶色いトタン屋根が密集している場所になります。よく見てみると、 山の上を切り開いたように見えます。そして向こうに向かって、一直線に林が伸びて いるのが分かります。右手は海。かつては砂浜が広がり、松林のある砂丘だった場所 なのです。その砂丘列に勝手に家屋を建てた場所なんですね。手前から奥に 伸びる南海電車の和歌山港線。終点の直前に見えてきました 砂丘列の松林。 電車の中からは、集落はちょっと見えにくいですね。左の大煙突は、その砂丘を切り開いて開発した、花王の和歌山工場です。 砂丘の森の高さの感覚を掴んでおいてください。 車窓からバラックは見えないなと思っていた矢先、終点の駅に到着と同時に飛び込んで できたバラック集落。「バラックの集落なんてなんか不気味だから 行けない」という方は、駅のホームから全体像を掴むことができますので、変な言い方ですが、 おすめでございます。 実際にホームから眺めた映像をご覧
ください。集落には松を始めとして、すごい 大木が生えています。大木の足元に廃墟化しはじめた不法占拠住宅が並んでいるのが 分かります。不法占拠とさっきから言っていますが、ここは海岸部の国有地になります。 車が停まっているので分かる通り、何名かは現在も居住しています。バラックと駅は 隣接しているのに、なぜか昭和46年に
和歌山港駅が作られた時にも、利用者が 見込まれる集落側には、出入口は一切作られませんでした。不法占拠した住民は相手に できませんと言っているかの如くです。 向こう側、窓が開いている家屋の辺りが、最も標高の高いところですね。 これに続く砂丘の稜線も、高い場所にある家屋です。海に近いところが最も 低い土地になっていまして、南海電車が無かった頃は、海を見渡す別荘地のような オーシャンビューのバラックだったはずです。 この奥が集落に通じる唯一の道で、これから歩きます。 大きく迂回して集落を目指します。徒歩15分。和歌山港フェリーターミナルと連結した 駅を後にします。 左に大きなループ橋。少し歩くと南海電車の線路をくぐります。利用者減で 大幅に減便されているので、平気で2時間以上、電車が来なかったりしますから要注意です。 ちなみにバスもほとんど来ません。集落に向かうために右折したところ、青岸神社 跡地がございました。青岸というのはこの辺りの地名のようですが、住所 表記としては残っていません。 神社跡地のすぐ向こう側に、団地が立っています。 こちらは薬種畑団地という、和歌山の市営住宅です。薬種畑という地名は後から出てきますので、 覚えておいてください。団地の目の前にある路地を砂丘方面に 入ります。ここが不法占拠バラックに通じる、車の通行できるメインストリートです。 綺麗なお花を咲かせた一般の民家なども眺めながら歩くと、薬種畑東自治会という名称が出て きました。東自治会から砂丘の高に向けて道を登ります。1番高いところに近づくにつれ、 なんとなく集落の様子が変わってき
ました。 ここは動画の最後にもう1度歩きます。フェンスの向こう側は、林が広がっています。 大昔は一面、こういった雰囲気だったと思われます。 完全なる廃墟が出てきましたね。塀から壁から、みんなトタンでできています。 道路が峠に乗っ越す地点に来ると、薬種畑西自治会の掲示板がございました。東じゃなくて 西ということで、自治体が分割されているのですね。右の坂は、動画の最後で下ってきます。 すぐに道路がY字路になりました。Y字の右は後ほど行くとして、まずは左の狭い路地から。 薬種畑という知名は、この場所に浜御殿と呼ばれる 南紀徳川家の別邸があって、隠居後に暮らしていた紀州藩主が、お薬種様と呼ばれていた からという説もありますが、明確なことは分からないそうです。御殿という地名は隣接 する、もうちょい内陸側、黄色い部分に確認できますから、まあ常識的に砂浜の上に御殿が 建っていたわけではなさそうです。大きな松の木が生えたすぐその下に、 トタンの塀、トタンで制作した門が存在する物件。 庭付き一戸建てのトタン豪邸だった雰囲気のある物件です。敷地内はすでに崩壊を始めている廃墟です。 ここから更に坂を下ります。右のコンクリート作りの建物の手前側面に、ワンちゃんの置き物が存在するのが可愛くて切ないです。 コンクリートとブロックでできた廃墟。その向こう側、坂本という名前が書かれた廃墟が 最奥部の1つです。 バイクが植物に飲み込まれ始めていました。坂本ハウスの手前に、面白いものを発見 しました。なんとボートです。この地がかつて砂浜だったことを物語っているのではない でしょうか。この船がバラック集落の立地条件を如実に表しています。左側に南海電鉄 の高架線があります。この線路が建設されなければ、左向こうは和歌山湾を見渡す海の 眺めだったんです。廃屋が続く小道。トタン屋根ももうボロボロですね。冷蔵庫なんかが放置 されています。今やこの地区にほとんどの住民が存在しないとなると、先ほどの場所に唐突 に団地が一棟建っていたのは、バラックの住民に便宜を図るためだったと邪推して しまいますね。大きな松の木の袂に、2階建てのトタンハウス。今はなき僕が生まれた 時の千葉の実家と、雰囲気も色合いも
そっくりです。懐かしい。 この物件には、誰それの連絡を待つという張り紙が貼られていました。そしてそれは今も、 剥がされていません。この物件から、小道を今度は登ります。車が 何台か停まっているのは、まだ暮らしている世帯が数戸、あるからです。電気の灯ったお家も ございますね。やはり暮らしのある家はきちんとしています。で、おじいさんに 遭遇。集落の成り立ちを聞こうとしましたが、 昔ここは砂丘だった所ですよね?昭和初期とか、中頃とか。 ここ通り抜け出来ないので、駅行こうと思ってもアカンねん。 おじいさんは、僕が駅に向かう途中にここに迷い込んだ人だと認識していまして、会話が成立しませんでした。 狭い小道を、先ほどトタンの塀と門が存在していた物件側に進みます。側面から見ると、完全崩壊。国有地に全て残置して、行ってしまわれたわけですね。 ここで、かつての航空写真を見てみましょう。まずは昭和36年。砂丘の林にポツポツと 物件が疎らにに存在しているのが見て取れます。既にこの時から住みついていたわけですね。 黄色い楕円は、砂浜の砂丘列の松林です。花王の工場の 建設が始まっています。南海電車はまだ延伸されていません。 和歌山港駅は、この辺りに建設されます。 もう1度、砂丘列を見てみまして、長く連なる海とは反対の内陸側に、きちんとした住宅地が、 風を避けて、水を得やすい場所に存在しているのが分かります。 丸い部分は広大な貯木場で、松林の上に建つ薬種畑西自治会地区のバラックと、東地区の 一般の住宅は、全く見た目も違っていたのが確認できます。 昭和50年になりますと、砂丘列に住宅地が侵食し始めていますね。花王の工場が完成して、 バラック建築も建て直しただろうな
と想像できる雰囲気が出ています。戸数は この時が最盛期だったと推測しています。左の丸は、四国に渡る南海フェリーです。砂浜は、 すっかりと埋め立てられてしまいました。白黒写真ですが、昭和63年。川の向こうに 渡るループの青岸橋まで完成しています。青岸岸神社のあった辺りです。 さてY次郎に戻りまして、今度はメインストリートへ。やはり大きな松の木が大変印象的です。 さっきは昭和36年の写真から確認していましたけれども、このバラック集落は そもそも昭和20年の太平洋戦争の和歌山大空襲がきっかけです。焼け出された人が ここに難を逃れて住みついたのが始まりでして、当初は止むを得ないことでした。 戦争由来の不法占拠が未だに続いているとして、 平成4年の和歌山県議会で、議員が県知事に、「他の和歌山市民と全く異なる形で戦後状態のまま存在するということは許されない事」 と述べていたりします。つまり、令和
の今でも戦後処理が終わっていない集落が 細々と続いているということでございますね。議員によると、平成4年で約70戸の建物と いうことでした。集落内のメインストリートを1番奥まで。ここにもすごい大木が。松の葉が 一面に落下していますね。トタン屋根に松ぼっくりが落ちたら、スコーンと音が集落に 響き渡るんでしょうね。 最奥部、南海電車は目と鼻の先なのに改札口はありません。 産業廃棄物中間処理施設の建設断固反対の張り紙がございました。家の中にはたくさんの ゴミが残置してある気配ですし、そもそも住宅そのものも産業廃棄物と化していますから、 なかなか主張としては厳しいものが
ございますね。もう一度、砂丘列の坂を登ります。 左に、祠の外と中に、お地蔵様の姿がありました。 右は完全に崩壊したバラック。その向こうが開けていたので、足を踏み入れてみます。 なるほど、斜面に沿って家が建って、向こうは海の眺めだったと。何の仕事をされておられた 集落なのか、資料が無いので分かりませんが、少なくとも海に癒される土地ではあったことでしょう。 左に墓石。墓はこれだけが存在していました。もしかしたら、 ここに土葬しちゃったのかもしれませ
んね。ここら辺が、集落最高地点です。 港湾部の開発がなかったらオーシャン
ビューが本当に最高でしたね。 最高地点あたりは、今でもバラック建築がたくさん残り、そしてほとんどが廃墟です。 目の前、大木に梯子がかかり、木登りができるようにしてあります。 ペットボトル、アロエ。穴が掘ってある。何のための穴だ? すぐ下は、完全に植物に覆われたジブり的廃屋。不思議というかちょっと不気味な感じはします。 猫に迷惑しています、という看板と猫のペットボトルがたくさん並んでいたのは、 ちょっと笑ってしまいましたロケーション的に。 木登りして下界を眺めたい衝動に駆られますが、さすがにそれは躊躇われます。住民 の方に叱られそうです。バラックストリート。今、はしごの住民のおっさんのくしゃみが 聞こえましたね。向こうに降りていくと薬種畑西治会の看板の地点に戻ります。 その前に最後の小道へ。 すごい植物で、こちらもジブリの世界。 どこに穴が開いているか分かりません。こういう場所は、下手にうろつくのはやめるべきですね。 穴にはまったら、向こうの世界から
戻ってこれません。 ということで、こちらの世界に戻り、西自治会の看板のあった辺りから、西と東の境界線を 歩きます。向こうの奥に見えるのが砂丘列にできた集落の廃墟です。 今歩いているのは一般の住宅地。おそらく薬種畑東の自治会エリアだろうと思います。 ただし、これは未確認なのではっきりはしません。 砂丘列の崖に通じる通路があったので行ってみます。砂丘は擁壁によって、民家側に崩壊しない ように対策されています。擁壁の下には、1列になって再建築不可な物件が数戸、並んで いました。ここが先ほどのジブリ的物件に下から行く通路です。ここが自治体の西と東の真の境界線だと思われます。 ということで、十分に満足しまして、砂丘を下りました。 下った向こうは薬種畑団地。そして、青岸神社の跡地です。 今回もご視聴ありがとうございました。
南海電鉄の和歌山港駅のすぐ裏に、令和の世の中としてはちょっと信じられない感覚になるバラック集落が存在します。かつて、国有地の砂浜海岸に自由に(勝手に)建ててしまった家々のなれの果て、廃墟群を全ての路地を歩いて隅々まで見る映像です。
いわゆる不法占拠と称されますが、元々は太平洋戦争中、和歌山の大空襲で焼け出されて、行き場を失った人たちが住み始めたのが発端です。最初の頃は仕方がなかったとはいえ、今に至るまま、現状が続いているのはよろしくない事です。少なくとも土地の固定資産税は支払っていないでしょうし、地代も払っていないと思われるからです。
【以下、和歌山市内の街歩き映像です】
●南海線路脇の不法占拠バラックに住むお婆ちゃんとお話して胸がキュンとなった
●和歌山市駅裏の材木橋たもとに建つ市堀川の不法占拠バラックを探索(字幕ON)
●七曲市場・和歌山市ナンバーワンのディープスポット(七曲商店街)
●和歌山競輪場と線路に挟まれた築古狭小住宅群と廃屋・前足の無い猫
10件のコメント
🤔🤔🤔😮😮😮
お疲れさまです。
🙏🙏🙏🙇🙇🙇
今回も貴重な映像、ありがとうございます。😊
登記されていないから資産価値無しなので代替わりせずに朽ち果てる。鴨長明の方丈の様で、ものの哀れを感じますね。松ぼっくりのトタン屋根に落ちる音、良い感性ですね。カラスの声もいとおかしですね。
お疲れ様でした
穴に落ちたらッて怖いですね。
トタンって便利そうですが暑くて寒いような
ただの土地なので我慢できるのでしょうが
それにしてもくれぐれも気を付けて下さい
おじさん話が通じなくて良かったのではと思ってしまいました。
私が住む和歌山県内の別荘地、名前だけで山奥のバラック集落です。ほとんど朽ちています。
今はベトナムのど田舎でも2階建ての家を建てたら土地代合わせて1600-2000万円はかかるのに、日本の衰退はすごいですね
まだ当地の住民の数が多かった頃に他所から当地を訪れた方々には、住民にカラまれた経験をお持ちの方もおられるようです。
国有地に不法に住まっているという意識が心の底にあれば多かれ少なかれ余所者への警戒感が強いのでしょうね…。
近くの薬種畑団地のもつ意味は、この動画で明示的に示唆されるまでは気が付きませんでした。
チャンネル主様の最新動画を拝見して、この地に関しても色々な気付きがありました。地道ながら、流石の一編かと思います。
ん?歩行型のかたの動画見たなぁ。和歌山港や航空写真に写ってるとおり木材の扱い仕事で住み着いたんですかな。貝塚とかはこういうの残すと悪いので各戸に取り壊してフェンスで囲って入れなくしてます。和歌山お金ないのかな。団地の造成目的はまさにそのとおりでしょう。定期的に不法占拠ですと立て看板立てて通告しないといつまでも残る。
和歌山市よりすこし南になりますが、和歌山県有田市港町から初島の海岸沿いも広い同じ地番の不法占拠バラックが広がってます。いちど調査に来て下さい。
是非テレビ画面で視聴したく、数日待ちましたが、上がってこなくて、仕方なくスマホで視聴しました。
それでも、今まで見たことなかった所で興味深く拝見しました。
和歌山のオーシャンビューは、素敵だったかもしれませんが、台風によく耐えましたね。
でも大手の工場が建設されるくらいだから、さほど危険な地域ではないのかもしれません。
東と西でなにやら区別があるのではと邪推してしまいます。
しかし、薬種畑という名前が妙に気に入りました笑
実際には何人くらいの方がお住まいなのでしょう?
戦争由来の不法占拠ということですが、日本人の方が多く住まれていたのでしょうか?
難しいとはわかりつつ、今のうちに住人の方のお話をお聞きしたいと思いました。
日本各地に『そして、誰もいなくなった』を行政が静かに待っている場所が多いことよ😢
なんで電気や水道が来ているのでしょうか