【西条市】国道11号桜三里 旧桜樹村千原[等速](2025.5.31)

集落の終わり、行き止まりまで登っています。戻るとき、映像はカットしましたが、いちばん上の集落でもまだ住んでいる方がいらっしゃいました。

◎愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)より

 桜樹村地区の西端に千原の集落がある。集落は上千原・中千原・下千原の三つの小集落から構成されているが、その三集落は標高二〇〇~四五〇mの西向きの山腹緩斜面に連なって立地する。千原の集落の立地する緩斜面は、桜樹地区で最大のものであるが、これは地すべり地に由来するものである。集落は散村状をなして山腹斜面に展開し、また随所に水田がみられるが、これは地すべり地特有の湧水が各所にあり、それが飲料水と灌漑水を提供していることによるものである。
 この千原の集落は野菜栽培の盛んな集落として、桜樹地区では特異な存在となっている。山腹斜面の水田で水稲を栽培し、また常畑では、夏作のとうもろこし・あわ・きび・甘藷、冬作の裸麦などを栽培して、自給的な農業を営んでいたこの集落に、商品作物としての野菜栽培が始まったのは、昭和三二年ころからである。野菜栽培が開始された契機は、丹原農業改良普及所の普及員が準高冷地という立地条件に目をつけ、住民に奨励したことによる。

 丹原町千原の千原鉱山は、往時松山藩士により採掘製錬されたというが、その時代は不明である。明治初年に佐々木貫一が廃山を開坑して以来盛衰はあったが、経営者も久門益太・春原隅太郎を経て明治三七年(一九〇四)に中江種造に移り、人正三年(一九一四)まで採掘製錬を行った。大正四年福田祐ニに移り売鉱中心となったが、同九年中江産業が鉱業権を取得し、昭和初年まで月産鉱量一〇〇〇~一五〇〇トンを採掘したが、昭和一三年休山した。主として本鉱地区から銅量三六七トン、硫化鉄鉱(含有硫黄華)二・七万トンを産出した。昭和二三年に千原鉱業㈱が再開して、同三八年九月の休山までに二坑、三坑を中心にして銅八七五トン、硫黄二・五万トンを出鉱した。昭和三一年当時の従業員は五三人で、坑内夫が三一人を占め、半農のため四四人が自宅通勤者で、社宅も七棟あった。

☆初走行
撮影機:DJI Osmo Pocket 3
撮影サイズ:4K 30fps
撮影モード:10bit D-Log M
露出:オート(ISO Max1600)
ホワイトバランス:5500k
フィルター:ND8/PL
編集ソフト:DaVinci Resolve Studio

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