【大阪・十三の歴史 前編】十三の地名の由来とは⁉ 村瀬先生のぶらり歴史歩き 大阪・十三 前編
さあ始まりましたブらリ歴史歩き今回は重の界隈をねブらリしていきたいと思います かさんよろしくお願いしますお願いします さかぎさんやっぱりジュースを言うたら川岸さんの中ではどんなイメージの街 やっぱり飲みがいあそうやね 美味しいお酒が結構しかもリーズナブルな価格で飲めたりとか うんあとはやっぱその花火が見えるな そっかヨ川花火なそうジソの花火大会とか 確かに確かに ますごい下町感のある過ごしやすい街だなってイメージはあるんですけど巡るほどの歴史があるんかっていうのはちょっと [音楽] もうほんまこれやから素人さん困る すいませんめちゃめちゃ見所あるんよ あほんまですか そうああだからこうハでもありまた飲み屋さんとかも多くてまそういう賑きがってる町でもあるんやけどその歴史を紐解いていくといろんな実はね編線があるそんな土地柄なの へえええ 今回の舞台は大阪梅田から電車でわずか 1駅昭和のおかげが残る情緒溢れる 町意外と知られていない重の地名の由来と は重層名物気安総本本舗の見らし団子 もそれではブラり歴史歩きの始まり始 [音楽] まず2 人は淀川沿いの堤防へいやもうこの堤防 元気よかったら気持ちいいよね 気持ちいい最高ですねねちなみにね10層 はいほら13って書いて10 層って我々にとっては結構身近な呼び方やんかでもやっぱり全国的に見たら難独致名って言われるうちの 1つやねんなうんでちなみにさんはい 重層の由来はご存知でしょうか いやまやっぱ3 人よれば文字のたよう言うたもんですけどそうそう 13人種が集まって ちょっとこの住層のこのこの界隈のマッチどうやって発展させていくってこうみんなでこう相談したわけですよ ここはもう我々13 人が考えたんやっていうことで 純走 ま多分な間違ってるから半急電車もバンバン通ってるわ うるさいな私が懸なこと会いてたのに なるほど13 人集まれば文の知恵以上のパワーが出るわけやはいそういうことです じゃあねその由来ちょっと今日はね詳しいスケット うん お願いしておりますんでちょっと行ってみましょうか はいはい ということでここからは街歩きしながら歴史が学べる大阪遊ぼの井川さんに話を伺うことに [音楽] 重層の知名の由来って何なんですか はいはいじゃあちょっとこちらにはいはい あやっぱこれですかはいやっぱこれうん はいえこちらにありますように住層の渡跡 大阪から西へ向かう中国街道沿いに住層はあります 重層には街道を通る人たちが淀川を船で超えるために利用した私場があり 重層渡と呼ばれていました はい てことはここに渡しがあったってことですか うん皮を渡してたんですね うんああできる相当できない 非常に重要な私だったんですここは うんなぜ重要だったんですか 中国街道と言ってまして江戸時代ですね参金交代で最国の大がここを通っていったんですね 非常に重要な私のと言われております 昔そんな今みたいにガンガン箸があったわけやないやん ほら川を渡る手段って言ったら何しかない あ船船 それで渡し船っていうのがたくさんあったんですよねうん あちこっちにありましたうん そこからなぜここがじゃという呼ばれるようになるんですか 重層と呼ばれるようになったわけは色々あるんですけれども上流から 13番目の私だったん そう淀川には昔ねたくさん私ってあったんだけどその上流から 13番目の地点がこちらあ いうことだよね それで重あですご場所だったってこと そういうことほら見てよ重層私とってちゃんと日まであるんですよね なるほど ちなみにあのなんて言ったっけ 私の考察なんですけれども あのやっぱりあの13 人衆が集まってこの血をどうやっての開拓していこうかっての話ったわけですよでそこから色々こう発展していたわけですよねその 13人っていうところから10層とはい まそういう説もあるかもねかかったか なんかどっちかです甘やかさんで あのマで車飛んでますわ [音楽] ちなみに重層の地名の由来は他にも古代の上理性で数えて西成軍の起点から 13 条目の場所に当たることから重になったとも [音楽] ちなみにさっきイカさんがおっしゃった私 資料残ってます あ実際にこんな様子だったってことですよね これでヨが川渡ってたんですよね そうですねえ結構人いますね大きいお船なんですか?そんなに そんなには大きくないやろ くないなんかもっとちっちゃい小を想像してたんですよ あ1人ぐらいを想像してたんです渡 されやったら誰も乗せ 義しん川さんまで突っ込まれちゃってますよ この私私船宗っていうのは いつまで続いたんですか明治の11年 1878 年にえ重橋という木橋ができため私はまりました に明治42年1909 年に完成した淀川今の淀川はこの年に 完成しましたで川幅が広がっため 川の南側の乗り場は川となってしまいました そこもうないんですよね今はね 川の底に沈んだあほんまそこが いやただここでかさんなんか気づいたことある 今我々淀川淀川言うたらこの流れをイメージするやんか はい なこう宮島のあのマの水門辺りからドーンとこう大阪になほぼまっすぐで到達するって川が淀川やん はい昔は違ったんですよねはいそうです そうなのよ え昔はどうだったかってことですか そうこの川がうん 馬はズドーンとほぼまっすぐにね大阪館に向かって流れてるよね昔は はいでも昔はなんかそうくねくねしていた あ 結構いいろんなところあ分かった いろんなところにやっぱ橋渡しないとあかんから こうくねくねこっち渡しこっち渡しなで川の形はやっぱりくねくねしていた え川がこう渡してくれるようにこうくねくねしてくれた おできた川やな川ってな この辺りは海やったでそれで川の砂が運ばれて この川が海やったやつがこういろんなところにぶつかりながらこう陸を作っていった うんていうのがうん あのこの川の成り立ちなんです なるほど でこの川は中津川と呼ばれてました うんへえ この川の名前覚えといた方がいいよ 中津川ですねうん ただなんでこんな曲がってる皮がまっすぐになったんやろか [音楽] 人の手によって作られたんですか はいそうですええあえてまっすぐに人手 はいそうです [音楽] 水害の多かった淀川明治18年の洪水を きっかけに洪水対策が本格化し淀川改良 工事が行われました川幅を広げて大量の水 を直線的に素早く海に流せるように解釈 そして概治42年に工事は完了しました しかし淀川の誕生によってかつて重層の私 を営んでいた生子村や重層という一名は 消滅してしまうのです ではその後どのようにして層の地名が復活したのかその理由を探るべく阪急重駅前へ 阪急の駅前にやってきましたけどもう馴染みある風景っていう感じなんですけどなんか関係あるんですか うん走という地名がここにあの残ったのは 急電車とちょっと関係があるんです おの42 年に新川が対策されて橋がかかりました でそのがねかかってありま電気呼ばれた現在のですねそれが全ですねはい それが開通しました うん でその時に淀川の堤防のところに重駅が作られた うんはいのとこに作られた 今の一もちょっとちょっと もうちょっと向こう南側はい でこちらになったのは対象になってからこちらの位置に移動してきたといううん ええそうやってなんか理由あるんですか でやっぱり上行客が増っていうのとあと武田製薬が あの大きな工場が近くにできたっていうので はい 鉄道が走り街道も交わる川リッチその便性に当時土町で開業していた武田薬品が工場用地を購入 [音楽] こうした企業の増加をきっかけに重層は交通の要少となり人が集まり駅前は繁なりました [音楽] [音楽] ただシャ使名の由来もう1回戻そうよはい うん でここが重駅っていう風になったわけですよね それはなんでなんですか?うん あその元々の重 の地爪を取ってこちらにか [音楽] そっか 本来ならこう川の底にも沈んでしまったけど 半球の全身がこう改造したことによって駅名に重ってつけたんでソジソって名前が残ったわけですか はいであちらですねソ東町中町盆町とかいろんな地名がついておりますね [音楽] うん半さんええ仕事しりますな 本当にねえなんか息ですね うん さあか木さんこちらね 明治時代のこの辺りの地図なんですよ あと全然違うくないです 周りが本当に母ハだらけ 建物とかも全然なくっていうのが広がっててもう今の重層のこの繁栄ぶりから考えたらちょっともう全然想像できひんでしょ うんすごいですね うんえなんかそのが気になります そうやねでねちょっと注目して欲しいのは駅の東川に鳥のマーク見えへん あります本当に駅からちょっと 神社があるんよねええ [音楽] ということでやってきたのは重駅から徒歩 5分のところにある上神社 一体どんな歴史があるのでしょうか [音楽] どうです?ここにこんな神社があるってご存知でした いやあ知らなかったですも結構街中の ねにあるのでちょっとまさかっていう感じではあったんですけど歴史としてどれぐらいなんです そうですね大体ねあの440 年ぐらい前ですねはい えちょっとまはっきりわからないんですけどもえ私の祖父があ偶事まその時は車掌っておったんですが 昭和の4年にですね車の解除を 行いましてえその時にあのたまたま胸札が 出てきたんですよ 試しにつぐっただこういう感じになるんですけどね 今はないんですけど現物はこれ8 万宮と書いてま8 万さん待つてると天少年中感情より知らずと天少年間 [音楽] 大体まあの大阪城ができた頃でね今から 440年ぐらい前ですね細川市主足立と うんお足立ですからねま私の先祖 がおそらく私はまあ3 代目なんですよ実はね えだまそのま関係のある鮮度が分かりませんけども はい さらに胸札を見ると分録遠方法映の年に再建されたと記載されています [音楽] おそらく争いことがあってね燃えたとかねえそんなんでま戦えられたわかりませんけどもこの村の人たちのま信仰が熱いというかねそれ立てられたわけですね [音楽] そうとやっぱりこう地域の人が復活を遂げてるわけですよね [音楽] はいで小8万宮といううん名前で [音楽] 当初は旧知名の小島にちみ小島八と呼ばれていましたその後明治 44 年に現在の上神社という名前になったのですがその由来とは あのヒントの1つはまだありますもんね はいはいあります北側に北側にな流れとる あああ川何川神崎川 そうそう神だの神ですね1つ ああそういうことですねもう1 つは難しいかも普通は はいえこれ分かったらすごいよ すいません私あの川の名前結構詳しくて はいはいえほんまに あのすいませんけどご期待に添えずそう はい中津川ああ素晴らしい だから 神が川人社なんですよそちょうどね両方の川に挟まれた子ということで上村ができたわけですそうですよね 伊達に川岸師って名前じゃないよね 村瀬先生もびっくりの大正解 明治の中頃神崎川と中津川の両下線に挟ま れた地域に上村があったことからこの名前 がつけられたんだそう さらに光神社では重層を富と読んだト富 恵比寿も有名で1月にはエベさんで多くの 人で賑わそしてには珍しいものがあるそう でこちらになりますねえう わありがとうございますう わよいしょすいません えすごい何て書いてある 上にあそうだ正解です [笑い] [音楽] 大阪唯一の浜であったき川明治18 年の淀川大洪水後に移転現在のは重小学校の皇帝に再現したものを一したんだそう この焼き物はですねあの戸田平という方が運年間 の終わりですね えま京都で焼き物の修行に行くんですよ 文化元 え大阪の重層で はい玉を開いたんですよ ええなぜ重層という地を選ばれたんですか 実はあの京都でね はい芸子さんのあのお里さんという その方と結婚しましてね結ばれて はいうん でそのお里さんのあの出身が住やったんですよえ ですか?そうそれであの重でカを開いたね ああ でも土とかの銀はもう外から持ってきて でま言うたら奥様の言うたら実家の近くで開いた 重層の地で重月として釜を構えた田兵 いつからき釜と呼ばれるようになったのでしょうか 完成10年ですかね えちょうどまあの第11代の徳が家なり その時にねその方があの打上大臣のなるわけでその時のお祝いに大阪の水のり うんうん それがあのお祝いの品物は持っていきたいということで で作らすわけですね鶴と亀のあの貸 うんですねそれを持っていったんですよ でそれをものすごくまあの家のありが喜んでたわけですね ええそしてまあの亀の海ガのま交互なんですけど亀の荒野からき はい そっから基地に向かうきという用をもらうわけなんですよ ええそっから来てるんですか そっから来てるんです そして現在も片市記と東大阪市布市一市一でもきの伝統は守られているんです 今後の上密神社をどのように発展させていきたいですか うんこれからま重をまだどんどんね変わっていくが分かりませんけどもねやっぱりま人々のま心のまあの安らぎねそういうま場所になったらと思いますけどもね なんかも元気めっちゃ出てきました さ最初オープニングでな 重層に歴史みたいなあるんですかとか言ってなかった [音楽] そんな言ってなかった 言ってないですはい あると思ってましたもんあましたはい 調子いいですね さあ続いてははい やっぱり重名物をねちょっといてみたくないです いやあ行ってみたい はいやっぱり駅降りてすぐのところにある清さんの見たらシャンゴ うわ行ってみたいと思いますはい やってきたのは重で愛され続ける我菓の名天木安総本舗名物はもちろん見たらし団子 注文は受けてから1本1 本丁寧に焼き上げ香ばしい焦げと甘じっぱい特性のタレがたまりません 2人も早速いただくことにき うお一気についたうわ オうんでタレがしっかりからんで はいうんしやああもう2口で早いな 見たらしたも決めてますね そうすると食べ応えはあるんで そうですね うんああほんまやうん 香場と甘じっぱさ はいでうちのはタレに特徴があるんですけど ご存知ですか ちょっとね他ではあまり効かない ちょっとお出しっぽいはいお正解です 何が入ってる和風みたいな だから本部の出汁が本部はい 今カツオとか言おうとした そしてお店では団子の焼き加減を選べるんですがそのままで食べるなら焦げ焦げがおすすめなんだとかこれは食べたことないな [音楽] [音楽] 先生も初めてはい本当焦げ焦げですよね はいうんうラス団子と思わない食パリパリ [音楽] 転みさもすごいうん タレト合う美味しい 持って帰えると焦げにしない方がいいんです そうなんですよやっぱりこねえぐみになっちゃって冷めるとやっぱりえぐくなったりするんで [音楽] でもその場で食べる人も是非おすめ はいこちらのお店は元々その和菓とか見三し団子から始まったんですか [音楽] いやあのね創業が昭和23 年なんですけども場所はここでやってたんですけど当初は坂まじというあの深した案々のまもちろん今もあるんですけどそれがメインと言いますか最初土台を作ったといます [音楽] よく売れた時はま1個5円でえ1日20 万円売上があったとお坂まだけでことで 20万すごい売きですよねね ね 昭和35 年頃から作り始めたという見たらし団が人気商品となったのは意外なものがきっかけでした えその後ね1000年ぐらいですかね 1999 年にあの団子産兄弟って言ったりましたですか うん あれが全国的にてえまそれうちも乗っかって 見たら出し団子がもう遠うように ああなんかさちょっと1個だけ ちょっと意義あるんですけど 冷さんの見たらしは4兄弟ちゃいますはい 5兄弟ごめんなさいだからうちは3 兄弟プラスお父さんお母さんついてますね ファミリーセットファミリーセット あなるほどうまいます はいさすが関西の商売に間違えますね そして村瀬先生ずっと気になっていたことがさん並んでる時にずっと中見てるんですけどっていう放送の速さ はいはい あれなんで早く出来あるんですか いやあれはねもうもうここで70 年以上やってるんですけどやっぱこの場所柄というかな あのこっち側に信号があったりあっちにこ駅があったりして お客さんに施かされるんですよ ちゃんもう層の人々が鍛えてくれは はいそうです育てただきました ということでこの道35 年という流れ田さんに商品の包みを見せていただくことに よーいスタート ええおすごいええ赤やああえあ はいはいはいえこれ何秒でした15秒15 秒 えしかも放送してさらに紐までかけて15 秒でしょ しかもめっちゃ綺麗なんですよ時間かけてやったみたいに 私時間かけてやっても絶対こんな綺できないですよ えこれスピードアップする秘訣ってどこなんですか いやもうお客さんが並んでるんで早くしないとっていうかされてプレッシャー お客さんプレッシャーが大きいですか [音楽] 今回のブラリー歴史歩きはここまで2 人が巡った地図はご覧の通りかつては中国街道が通る交通の要少だったジソ今とは違い私船で川を渡っていた歴史など意外な一面を知ることができましたはい [音楽] 次回も重の歴史を深り それではまたお楽しみに [音楽]
【村瀬先生のぶらり歴史歩き】#83 大阪・十三 前編
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今回の舞台は大阪・梅田から電車ですぐ。
昭和の面影が残る、情緒あふれる街 十三の歴史を深堀りします。
難読地名・十三の由来は「十三番目の渡し」?
中津川と共に消えた「十三」復活の理由とは
焼き加減が選べる?!名物!喜八洲のみたらし団子
村瀬先生がわかりやす~くご案内します!
出演:村瀬哲史・川岸ゆか
00:00 オープニング・十三の街
01:25 十三の地名の由来を探る
05:20 幻の川・中津川や十三村が川底へ消えた理由
07:50 街の発展で交通の要所となった阪急十三駅
10:00 十三戎が有名な十三の氏神さま 神津神社
13:49 境内で見られる珍しい貴重な窯「吉向窯」
16:46 喜八洲のみたらし団子に舌鼓!早包みを見逃すな?!
【#82 京都・嵐山 後編】はこちら
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この番組は、大手予備校、東進ハイスクールの人気講師・村瀬先生が古地図片手に、
今と昔の街を見比べながらぶらり歩き様々な歴史スポットをたずねる番組です。
古地図を見れば知らない歴史が見えてくる!
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11件のコメント
13:00
🤣伊達に川岸と言う名前ではない!!
子供の頃、父親が酔った時お土産に喜八洲の酒饅頭をよく買ってきてくれました。
包装職人芸見るだけに行きたくなった
灯台下暗し
いいね
きっしゃんいつ見てもかわええわぁ😊
喜八洲の近くにある天六屋っていか焼きもおすすめ
村瀬先生 ぎっしゃんよろしくお願いします!
4秒くらいの次回予告がもう楽しそう
おもしろかった~。
そして久々に近代…明治以降のお話が聞けてよかった。
次から川の歴史が絡む回は川岸さんが担当かな?
十三といえば
ナポレオン
十三 懐かしい 40年前になるかな よく亡くなった兄貴と 行きました