歴史講話往還道をあるいて見た瀬戸山道編2 2
はい、久田です。え、今いるのは山口県 柳郎の浜ですね。え、前回は3月24日に 大畑公民館の公民館で行った、え、歴史校 は、え、王間道を歩いてみた瀬山内編の 前半の動画を見ていただきました。えっと 、今回その後半です。え、瀬戸山道という のはあの柳石、大端の間を流れているから 、え、岩国の長野というところに通って いる道です。え、前回はですね、後ろに あの高圧線の鉄塔が立ってる。あれが瀬山 なんですけども、前回はその高圧線の鉄頭 のそばを通り過ぎたところで終わりました 。え、今回はその高圧線の鉄頭の下に、え 、国道188号が通ってるんですけれども 、そこから出発して、えっと、柳内市と 岩国市の社会まで歩く会をまず見て いただきます。で、え、この歴史公和は、 え、大羽公民館の主催なんで、そこまでで もいいんですけれども、実は私はその先の ですね、え、岩国市党と岩国市優党の境を 見ていただきたかったんですね。というの もこの辺り、えっと、柳内市の旧大畑町 エリアにお住まいの方、あるいは、え、 岩国市のその新党にお住まいの方でもご 存知ないことがあるんじゃないかなと思っ たからなんですね。え、それでは、え、3 月24日に行った歴史校は、え、大道歩い てみた瀬戸山道編の後半をご覧ください。 え、そばを通っているのは、え、国道 188号ですね。え、その向こうが山陽 本線です。で、前回はですね、こちら、え 、画面右の上になるんですけど、ちょっと 高いところで終わりました。で、こちらの 山が瀬戸山なんですね。瀬戸山を通ってる から瀬戸山道です。で、ここからは国道 188号から左に入ります。このガソリン スタンドを過ぎたところ。ここは左に入っ てきます。それで今回出発してまだ 200m 弱なんですけども、ここで右手に、え、一部有意有値が残ってるんですね。え、それはどういうことかと言いますと、実はここに小代駅があったんですね。あ、今三角で、三角で示したんですけどね。 大畑の1本紙にある東北にある 国鉄の土地だったから有地のままの写真を見てください。 次郎駅の写真です。 え、明治32年から対象5年まであったん ですけれども、これ写真の下の方を見て いただくと、え、素次郎 滝特山陽線高次郎駅と書いてあります。ま 、ローマ表記の方は上代ステーションって 書いてありますけどね。この写真を見ます と門中というか広告なんでしょうかね。 時刻表が貼ってありますね。登りが7本、 下りが5本。 結構止まってますね。で、この辺りにこの駅舎があったということです。滝と書いてありましたけれども、あ、今ゴミ、 ゴミ車のあれ国有地ですわ。あそこがね、ここから 1.67km ぐらいいたところに滝があるんですね。えっと、岩尾の滝と言います。え、こういった滝です。 [拍手] この岩尾の滝に、え、病気治療というか 両用にいらっしゃる方がたくさんいて、で 、それで、え、特接駅って書いてありまし たでしょ?夏の間だけ開業する駅だったん ですね。ま、海水浴も元々は病気の治療の ために行われていたんですからね。で、 その様子がこちらの写真絵はきです。皆 さんこのようにね、滝に打たれて、ま、 病気治療されていたということですね。 こ次郎岩尾滝 滝水欲滝のことですね。で、明治32年に ここに駅ができてからたくさんのお客さん 来るようになったんでその療用保用のため の施設休憩施設が10数と作られました。 え、こちらの写真です。ま、あ屋のような 休憩施設からそれから宿泊もできる施設が あったようです。 これ今行ってみてもこの名残りが全くないんですけれどもね。こういった大きなこれは旅館でしょうかね。 え、こういった建物もあったようです。で、滝からは人車もこっから出てたようです。それと今ここのオタの方に聞いたら、えっと、駅舎はですね、ちょうどこの家の裏手にあったということです。ではもうちょっと進んでからの見ましょう。あ、ここは次代次代浜ですね。 [音楽] 高代駅があったところから100mぐらい ですかね。え、川のそばまでやってきまし た。前はここにあの高浜のバス停があった んですけど路線自体がなくなりました。え 、それではいつもの次下映像を見て ください。 こ代郎村製図です。ここが瀬戸山です。 この赤いのが瀬戸山道です。瀬戸山を 超えるので、え、瀬戸山道というんですね 。で、え、今日はここ瀬戸山を下った ところ、ここに浜って書いてあります けれども、ここから出発をしました。で、 これをやってきて、ここに川貝が枯れてい ます。で、ここだけ拡大しましたんで、 こちらを見てください。え、今いるのが この手前ですね。橋が描かれてます。これ 板橋か土橋か分かりませんけれども、この 橋を渡進むとこの先に橋、今の橋より ちょっとにあったということですよね。 今直接がこう橋を渡って進みましょう。右に入ります。 この滝側を渡った右側の家がなかなか味わい深い家なんですよね。平田さんがこれが、これが近代計算ですね。 [音楽] で、これがどういう高させるというと、こちらの写真をご覧ください。昭和の初めか対象ぐらいに立てられたんでしょうかね。 [音楽] 和設中になっていますが、実はここはこ代 郵便局だったんですね。橋の方側から入る のが郵便局だったんでしょうか。こちらは 局長さんの自宅の玄関なんでしょうかね。 そして、え、向こうにちょっと映っている この建物は旧次郎村場です。この写真が 撮られた頃には農京の建物になっています 。ありました。うん。 なったのは昭和45 年のことです。それまでは大畑ったんですね。そして次郎は昭和 30年以前は高次郎村でした。 で、皆さんはもしかしたら柳内の方だけ じゃなくて岩国の方にも工事があ るっていうことをご存知かもしれません けれども実は昭和30年に高次郎村を東西 に分割してですね、え、東は、え、旧悠長 今の岩国市夕町に返入し、え、西は、え、 ナルトソと合併して大畑になり、その後、 えっと、大畑町になり柳内市になっている と。え、なので東の方がは今新党という 言い方します。 こちらは、ま、いわゆる神聖という言い方もします。え、そしてその高次郎村薬画の建物がこの高代次郎郵便局の隣に昭和 20 年代まであったということです。え、左手に神社場のあれがありましたよね。 小八宮です。こちらは、え、 9 号車ですね。号車八万宮と来られています。ま、国者権車号車ってあるんですけど。 で、この鳥は原力6年にキ川広が進した ものだということです。キ川広って言うと 前に熊町の岩雲八宮の鳥を奇進したり柳内 市場の筒石八万 の鳥を奇進したという話をしましたけれど も、じゃあハイデまで上がってみましょう 。大きな木ですね。これ江の木です。 同八橋の配電まで上がってきました。 えっとこちらはですね、遠方2年江戸時代 に、え、大雨で裏山が崩れてですね、あの 、ま、有意書とか遠隔を書いたものが失わ れてしまったようなんですね。 ですけれども、あ、桃山時代の文4年に、 え、京都の岩水8万からこちらに誕生され たと伝わっています。じゃあ、次上司を見 てください。ここに、え、小8万と書いて あって、ここにはこひと書いてあります。 で、こちらの社代に合死されてるんじゃ ないかと思います。これゴシ屋です。あ、 この鳥は、え、店舗、え、木と羊秋かな。 こちらが車です。22車が祭祀れてると いうことなんですが、その22車が ちょっと今すぐには分かりません。で、 もう1度上司映像を見てください。 いや、グ士さんが分かで八様を降りてちょっと進んだところにご札と書いてあります。高察がこの先にあったんですね。じゃあ瀬戸山道に降りましょう。え、瀬戸山道沿いまで降りてきたんですけれども、あ、小 [音楽] 8万からすぐなんですけども、右にお道があります。 これは宮山大指導、え、南部第34番札所 、あの88箇所の映しですね。あ、南部 っていうのはこの地区の名前です。 あ、毎月21日宮山 大 があるんですね。え、他の札は見たこと ないんですけど 大指導でした。え、それからですね、あの 、安静殿様、御場柳内おいで、え、室元 誤参系の木によりますと、 で休憩してるんですよね。え、にて お場祭り 構え、え、これあり、え、しばらくごばさ れ総こと。え、ただしこのところへ下字 よりお供型への地を混ぜ飯、え、 つまり構前これあり、えっと差しでそろう ことっていうことで、あの瀬戸山で持ちが 出たばっかりなんですけど、ここでまた 混ぜが出てるんですね。ただどこにお場を 作ったのかは分かりません。ま、私たちは 今浜って言うと、あの、さっきの滝側渡っ たあの辺りを言うんですけれども、えっと 、おび所があったあの辺りなのかもしれ ませんし、あ、それからここ5考察って 書いてあるのはどこかこの辺なんでしょう かね。 小マ宮から200m弱でしょうかね。ここ で、国道188号のほとんど路ソ体のない ようなところを、え、800ぐらいやって きました。では、ここで、え、京保3年に 作成された、え、岩国料地図を見て ください。 ここに高裏と書いてあって、これずっと やってきたんですけれども、ここですね、 宮山花と書いてあります。花っていうのは み先のことですね。 人間の花のように突き出した地形のことを花って言います。だからみ咲という字を書いても、え、花と読みます。で、この辺で突き出した地形って言ったらあの辺でしょうか?みんな聞いたら 宮が花って言ったら宮、え、首環境衛星組合の衛生、ま、いわゆる市名処理上ですね。ま、運動公園もあるようです。 [音楽] 平成センター入り口から670ぐらいで そこから岩西になります。で、ここで鉄道 を超えるようになってます。ということで 、え、次回から岩国市浸透を歩きます。 次回お楽しみに。 これでまあ大体えっと 9町内
を歩いたことになるんですけど、 [音楽] あ、鉄道は明治30 年です。広島から、え、徳山まで通りました。だからその間はもうみんな駅も 30年、明治30年ですね。 で、えっと、先ほどの問体と出てくるのはこの 地図ですね。で、大体こう岩に名前ついとったんですけど、今もうだいぶなくなってますよね。 それと、えっと、もう 1枚は KO3年に作られたではこちらです。 これでもやっぱり今より今よりはちょっと上流に橋がかかってますね。今直接もうすぐに今の橋あの平田さんのところ前行くあれですからね。ちょっと上にあったのかなって。 で、えっとこれ今もあるんですけれども うん。エじりでここに、え、恵比道が書い てあるんですけれども、これあの道、あの 、えっと、浜の海水浴上だったところと いうか、あそこに行く道ですよね。だから 、あの、王間道は実際はそのまま抜けたん じゃなくって、一旦188号の近くまで 行って、188号そのまま、ま、あれ 広がってますから、ああ、ま、でも大体 国道ぐらいから、え、国道に出てたのかな と。あそこに確かね、なんか祠があります 。恵比寿、恵比寿だったかどうだったか ちょっと見て分からなかったんですけども ね。はい。ということで大体 これはあ、それでね、先ほどのえっと8番 様の下のところに考察があった。考察が 書いてあて言いましたよね。それが 8番様があって降りたところにご って書いてあります。で、家のような建も 、あの、絵が書いてありますけど、これは 、ま、復言されたもんなんですけど、 こういうものです。これは萩市が復現した もので、ま、ちょっと大きいかなっていう 気はするんですけど、こう行ってみたら すごい立派なもんがあります。大体、ま、 馬口が2件の奥行きが 8尺ぐらいかな。うん。だから、まあ3m 60の1m20とかぐらいおく行きなん です。で、これはご考察っていうのは幕府 とか反のハット置き手みたいなものを書い た木の札。この五角形の札 ここに置き手とか貼ってとか書いてあのま 、それ以外のものもありますけどね。色々 書いてあの掲げておく。で、人通りの多い 辻にこういうものが設けられてきたんです 。で、一説にはこれがあったから日本人は 従めた。だからペリーが日本にやってきた 時に日本人なんと賢いって90何%ぐらい の人が文字が読めるびっくりしたっていう 。それはにこういう考察を作っていろんな 法律みたいなことあれしちゃいけ、これし ちゃいけんとかってうん。 大体どこも同じこと書いてあるんだけど、 馬を馬を勝手に捨てちゃいけないとかね。偽物の薬を売っちゃいけないとかね。そういう風なことが書いてあったんですね。だから昔はませてる人がいたってことですよね。犬やのように。で、 [音楽] [音楽] で、ま、これどういう置き手が今、ま、復なんでなん書いてあるのかなと思って見たらですね。 [音楽] 萩市民検証が書いてありました。これね。 ということで、それで、ま、あの、大端町内はこれで大体終わりなんですが、よくね、私はあの、こういう番組作ってますと歴史が好きなんですね、私は歴史をね、大嫌いなんです、実は。 ま、社会の中でも1番歴史が特に日本市が 嫌いだった。あの歴史って明けてか 信長を裏切ったとかで両地をぶんどったと かそんな話が歴史なんですよね。あ、精子 っていうま日本の正式な歴史とされる ものっていうのは大体戦争で勝った側の話 なんですよね。で、私はそういうのもう 大嫌いで、だからここまでお話してきた中 でも歴史の話は私は一切してません。事実 として殿様がどこに行ったとかそういう こと言ってるけれどもこれきっと歴史好き の人だったら爆末には大勢川で爆府軍と 戦ってとか大島攻められて松山軍に攻め られてとかっていうそんな話をされるんだ けど私それ嫌いなんですよね。じゃあ歴史 好きでもないんだ。こんな番組始めたん ですか?みたいな言われるんですけど、 こういう言葉聞かれたことあります?自 っていうの。あの、自のはその、え、地域 ならではの生活文化や磁場産業などを素材 とした地域 で企画するご知歩き のイベントとかありますよね。ああいった ものなんですね。で、それは昭和の割 ぐらいから人々のその旅行に対する考え方 が変わってきまして、で、それまで、ま、 私らも20代の頃って車内旅行とか行くと 、えっと、貸切りバスで、え、温泉地 みたいな回って、で、モさんにいろんな とこ見て回ってさ、夜は温泉に入ってどん ちゃん騒ぎ行くみたいな、そういう旅行が 多かったんですけども、そういう旅行今 これ今ま、今また復活して来てますけど 一時期入らなくなったんですね。で、それ はあの要するに個人の思考性が変わ多様化 してきたっていうこともあって、え、 例えばニュースなんかでご覧になる ん、ご覧になったことがあると思います けれども、え、大阪の方の中学生が 修学旅行で大島に来て農村魚村体験する。 あるいは広島の平和公園に行って語りの人 からその戦争の話を聞くていうそういう まあなんていうかな観光のスタイルがこう わーっと観光地見て大騒ぎするんじゃ なくって個人個人のその共容を高めるため であったり体験をしたりするそれが目的に 変わってきたっていうことがあります。で 、それあのちょうど平成の昭和の割ぐらい からグリーンツーリズムとか農業体験する グリーンツーリズムとかあるいはあの環境 に負荷をかけない旅行のあり方エコツリズ ムっていうこと言われてきました。で、私 もどっちかというと、ま、お酒飲むのは 好きだけども、それよりもこう歩いて いろんなものを自分で発見していくその方 が楽しいので、そういう旅行というか旅の あり方をやりましょうよって言って、柳内 市内をずっと歩いて回る番組が作ったのが この発見自旅っていう番組なんですね。で 、これは今は、ま、私が関わっている番組 の入り口になってますけど、ホームページ のね。だから自分で歩いて発見する、発見 する番組をやろうよって言って始めたのが 矢し内で発見した旅っていう番組で山陽道 を歩いたのはこっちありますけども、 えっと山陽doっていう番組なんですね。 だから山用するみたいなちゃうマークが ついてる。決してこうみんなでこれがいい からこれをやろうっていうような言葉私は 苦手。言い方は苦手なのでこういうのあり ますけどやってみますみたいな。それと今 お話をしている王感道を歩いてみた。これ も歩いてみたんじゃないんですよ。王感道 を歩いて見たんですよ。だから私は歩き ながら自分でいろんなことを発見したいの で発見することがま、喜びなんで、え、 その発見したものをお伝えをしている、お 伝えしてるとかこんなもんありましたけど っていう、そういう番組を作りたいと思っ てやってきてます。それでこの生徒山道編 を作る時に、え、私も発見がありました。 で、その回をちょっと見ていただこうと 思います。 それまで私も知らなかったんですけど、 実際にこう歩くために色々調べる図を読ん だりとか文字を見たりとかして発見した ものを お伝えします。これは大葉だけじゃああり ません。新党の歴史民族資料館の形をした あそこの前からの話です。今いるのは山口 県岩国市というところなんですが、この 辺りは江戸時代には、え、高次郎村と言い ました。え、そばを通ってるのが国道 188号です。で、前回あの船の形をした 歴史民族資料館が見えるところまで行き ましょうと言いましたが、それがもうすぐ そこです。あれが岩国市歴史民族資料館 です。なので、あの資料館の前まで行って いつもの得を見ることにしましょう。 もうすぐ暦みの上では春立なんですけど、 まだ寒いですね。こちらが有歴史民族資料 館です。それではいつもの次元気上司映像 を見てください。 ここに城河と書いてあります。それから しばらく進んで何もあ、そうだ。これは ですね、今北に向かって進んでるのでこう 見た方が実際の地形に近いですかね。で、 ずっと進んできて、え、しばらく何もあり ません。ここに 歴史的なこと言えばって小川高とか方に由来する地名なんですよね。 ちょっと砂浜が西の方側に引っ込んでるところの辺りにいるんじゃないかと思います。ここからはしばらく、え、国道 188 号進むんですけれどもそこになんか説明版が見えます。ハゼの木と書いてあります。あ、大きいですね。 枝の部分しか見えなかったから大したこと ないかと思ったんですけど、これは風の実 を取るために植えられたということです。 ハの実を取ってどうすんのかというと、ハ の実からロソの原料になる生労って言い ますけれども、それを採取するために植え られたということです。で、この絞った生 を大阪に送って販売して反の財政を支え ましたということですが、徴州犯全体でも ね、風の木を植えたんですよね。膨張3泊 っていうのは聞かれたことがあると思い ますけれども、米、塩、紙ですね。それに 、え、この風の加えて膨張4泊という言い 方をすることもあります。しばらく国造 188号を進みますが、ロソ体が狭い。 その先さらに狭い。 自動車整備構造の前を通りすぎて、え、左 に緩やかにカーブしてますが、このカーブ を曲がったところが、え、水集会所なん ですけれども、その前に白い、え、小さな 祠のようなものがあります。 祠自体はコンクリかなんかでできてます けれども、これは、え、 あ、カモ車って書いてあります。神鴨下か 分かりませんけれども、京都のカ神神社の 文例が祭祀んでしょうか。さあ、それでは ここで造法村を見てください。ここから です。ここから、ここに水と書いてあって 、海の近くに辻って書いてあります。これ が今見たの祠のことなんでしょうか。え、 そしてもうちょっと行くと川があります。 これ多分水川のことです。で、もう ちょっと行きますとここに、え、ク軍、 大島軍と書いてあります。軍海です。前回 言いましたけれども、え、村は大島軍だっ たんですね。明治9年にク賀軍に移され ました。で、この山のところに軍書いて あります。 それでは大島軍とク賀軍との軍会を目指して瀬戸山道を進みましょう。 188号です。祠から 560m くらいでしょうか。この番組のです。ずに描かれている水川です。名前は水橋です。え、そしてここから見ますと向こうに山が競り出してるところがありますよね。先のようになっているところ。あれが、え、軍酒海じゃないかと思います。 自画像シを見てください。 荒けてこの辺に水とは書いてないんですけども、多分この辺にいるんだと思います。 え、そして、え、ここに、え、これよりク賀軍夕村酒と書いてあります。そして教会はですね、この飛び石の花と書いてあります。そしてこの辺りからだんだん瀬戸山道は海からちょっと離れて進むようになっています。山の方に進むようになってます。 [音楽] それはこの先国道が大きく右カーブしている表示がありますけれども、あの辺りから線路を超えて山の方に入ってたんですね。しかしあそこは左に入れません。線路があるし道がありません。海の末はもう枯れてまってないんですけれども、ちょっとあったという場所に行ってみたいんですが、え、あそこから行けませんので仕方ないのでこの水側沿いにちょっと入っていこうと思います。 [音楽] 上に白いガードレールが見えてますけれども、あそこまで行こうと思います。あれは瀬戸山道じゃないですけれども。で、え、道路車はそこまでしか入れません。あ、ここはコンクリートガじゃなくて石垣なんですね。国道から 100m 弱だと思いますが、そこに小さな橋があります。これを渡ります。 水川を渡って、え、左はですね、え、 さっきの水尻集会所かしらの祠があった ところです。そのちょっと裏を通ってます 。川から780mで低ジ路になります。左 に行くと国道188号で自動車整備会社の そばに出ます。で、ここをに曲がっていき ます。 路曲がって450mでここに説明版があり ます。え、水尻用水路サイ本と水トって いうことですが山陽鉄道がここ通ったんで 水川が分断されてしまったんですね。で、 え、考え外様要水として使っていたので 鉄道の下約1mに再本原量を及した直径 50cm長さ10mの暗拠水路を設け4m ばかり立ち上がって水を吹き上げさせる 装置が作られましたと。現在もこの水路は 使用されています。この下に水路があると いうことですね。そして線路を渡らないと いけないんですけれどもそれはこの ちょっと霜物そこです。え、遮段機のない 踏切りを渡らないといけません。そして 渡って向こう側そこ橋があります。白い ガードレールが見えますけれどもそこに 行きます。 ここ警報機もありませんでした。 怖いですね。 橋まできました。これを渡に進めます。 足を渡るとだんだん急な坂になりそうです 。 水川から250mぐらい登ってきた でしょうかね。まだまだ上がります。お、 ここにベンチがありますけど、これ途中で 休憩しましょうっていうことですかね。 はい。休憩しません。道沿いにずっとある 教会はこれは山口県のですね。 下り始めて100mぐらいで道の右に説明 版があります。軍の町。江戸時代には 旧次郎村は大島軍に属していましたと。で 、賀軍と大島軍の境を示す松の大木が 飛び石崎になりましたが昭和40年代に腰 しました。現在はその位置を示す石中が約 100m下に立っています。この約 100m ってどっちに下なんでしょう?そこから下っていう意味でしょうか?だけどここまだあの新透との境じゃないんですよね。えっと新透というの境はあと [音楽] 100m ぐらい行ったとこなんですよ。そこまで行きましょうか。 だからこの100m 下に瀬戸山道が通てたってことですね。昔の新との境はこのガードレールの始まる辺り。 この辺りなんですけど、この下に石中があ るっていうことですかね。ちょっと降りて みましょうか。ここまで。うわ、偉いこと になってます。こうやって種を遠へ運ぶ 役割を担わされるんですね。はい。ま、こ お墓がありますね。ここまでは普通に皆 さん来られてるんですね。で、え、ここを 左に曲がって降りていきます。よいしょ。 この辺りが優党の境だと思うんですけれど も、石中のようなものはありませんね。と いうことで軍会の待つ後の石中はどこに あるのか分かりませんでした。ということ で今回はここまでです。え、次回はこっ から始めるとどこにいるのかさっぱり 分からなくなるんでさっきの、え、軍酒会 の説明版のところから始めましょ。竹が 踏えたから分からなくなってんですね。道 がね、道に見えるとこがみんなその だんだん畑だったところでどこがどこなの かがもう全然分かりませんということで ですね、あの大島君だったんですよ全部。 で、お、あの、ここだけではありません。で、大島軍だったのは、あの、うんとね、く、熊毛軍、上の関長の長嶋、 [音楽] [音楽] うん。 八島、え、岩島 から今の、え、平尾町の佐島、 それからひ市の、え、牛島、 あそこまで大島、ま、平軍はもちろんですけどもね。で、それらが全てあの明治 [音楽] 9 年にあのそれぞれのま、熊軍になり、ク軍になった。それは明治 9 年な。だからそれ以前は大島軍だったということなんですね。 で、大島軍なんだけど、大島軍は班の領事 なんですが、ここら辺は大島軍だけど吉川 県の領地だったということで、非常に ちょっと複雑な事情があるんですね。 ま、そういうことで、え、今回、え、 瀬戸山水について、え、お話をさせて いただきました。え、何か、あの、ご質問 なりはい。はい。 さっきちょろとあの言っちゃったんですけど、あの撮影の仕方な他のや、 1人でやってますから 1 人でやってるので例えばえっと観光センターのとこからこう上がっていくんでもずっと上がったところで 1番上にまだ150m ぐらい上がって構えてスイッチをしてーっと降りてって何事もなかったように歩きながら早かセンターの上ですって言って で、喋り終わったらまたわと行ってま、いいし 切るという。
うん。 だからあそこなんかまだいずれ歩けばそこまで行くからそこ切れるんですけど横から取ってるところなんかは行って終わったら降りてきてまたスイッチ切ってそれ持ってまた上がらないといけないというあ、 1 人でやらなければ随分時間を短縮できると思うんですけどね。うん。 はい。え、3月18日と24日に行った 大馬畑的公民館、公民 え、歴史公和の王感道を歩いてみた瀬戸山 道編をご覧くださりありがとうございます 。えっと、王感道歩いてみた、え、瀬戸山 道編をご覧になりたい方はYouTube チャンネルのこちらの再生リストから、 そして歴史工画のオークアンド歩いてみた 瀬戸山道編を最初からご覧になりたい方は こちらからお願いします。そして チャンネル登録もよろしくお願いします。
江戸時代の往還道(街道)を歩く番組。
2025年3月に大畠公民館が行った歴史講話「往還道をあるいて見た」の講演会の様子です
出演・監修・撮影・編集は久保田修治
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