戦後80年『壽無涯』 : 和歌山大空襲の記憶を訪ねて 8月15日まで公開
戦争って言われたらやっぱり教科書で学ぶ一部というか やっぱりそのげ現地というかその時代を生きてないんで見たこともないですし、ま、自分にとってはやっぱりもゆかりもないというか、まあ多分いつ終戦とか聞かれても分からんようなレベル 戦争をまず、ま、ずっと言われてるのはもう度と繰り返してはいけないとか悲惨なこ と、で、ま、それを、ま、もうちょっと詳しく言ったらくさん人がなくなったりとか、家とか施設が崩れたりとか、ま、食料なくなったりで病気が流行るとかいろんな意味があって、え、 2度と繰り返してはいけないこと。 教科書で習った空習っていうのと、まあ、今和歌山の空習、今自分が住んでる和歌山であっても、その空習ってあんまり変わりがない。 そうですね。 和歌山からと言ってまあまあ他の地域よりはま、ちょっとは多分思い入れはあるとは思うんですけど、まあ、まあ、なんて言うの?平行というか、並列ではあると思い、 まあ、だから教科書の中で見るようにリアティのない話 そうですね。リアリティはあまりないかもしれないです。 和歌山市っていう場所も、ま、実は空習を受けた町だったりするんですけども、そういうのって聞いたことあります? はなかったです。あ、 実際街中歩いてみてもなんか空習があったってことを感じたりすることありますか? いや、全然あの、感じることなくここまで来てました。はい。 夜中になったらね、ビのね、バコがね、 気がつくと私はお城を見ていました。山の上が真っ赤です。 あそこにね、大きな死体の山できた。あの、市役の職員がなんかですよな。 あの、全部しないから分かってだけ運んで きて、あそこに積んだんですね。 回ってこうて逃げるこのままできたいと思いました。 私はあの戦争のことは知らない。 そして分からない。 研究室に保存されていた 先輩たちが撮影してきた昔の人たちの言葉を聞いてみた。 気がつくと私はお城を見ていました。山の上が真っ赤です。 お城から火が吹き出しています。お城の下 の方にも日の手が上がっています。 お城が前焼き落ちる。国報の和歌山が燃え てしまう。アメリカも後ろから先に攻撃 するなんて、 みんなをがっかりさせてひどいと思いまし た。 母は私を暴空号の奥へ押し込んでくれまし た。 シュシュシュシュしシュしバンバンバンシューバンバンバンザーバンバンバンバンバンく 暇もないくらい玉が落ちてきます。玉の 落ちる音でだんだん 音が近づいてくるのがわよくわかるのです 。バリバリバリガーガーン 。 母の背中にしがみついていた私はガタガタ ガタガタ古が止まりませんでした。燃えて いる柱や途端板が目にも止まらる速さで ビュンビュンと水平に飛んでいきます。 日の子が吹雪のようです。 これは何?こんなことが起こなくて 熱くて熱くて ほっぺタが痛くて息が苦しくて顔もずも しまいそうに暑いのです。 県庁地の横を通って 今の市役所の西に立っている昔の消防書の 前候 会議所に着きました。 お掘りの中に真っ赤な消防自動車が 吹き落とされていました。 堀の周りの松の木も倒れてきます。 私たちは白い大きなおにぎりを6つもらっ て帰りました。 わあ。お米だけのおにぎり。美味しい 妹たちは久しぶりにいただく白まの おにぎりを大喜びで食べました。 だけど私は人が真っ黒に焼けた 男の人か女の人か分からない まで生きていた人なのにと頭の中で渦が 巻いているようでした。 この空州で亡くなった人は1101 名。怪我をした人が4438 名和歌山の空州から 一月余りして広島長崎に原始芝爆弾が 落とされ 広島ではたった1発で7万4000 人なくなった。 8月15日戦争は終わりました。 戦争に負けた日本人は戦争の恐ろしさ、 虚しさ、悲しさを知りました。 310万人死亡。 やっぱり紙芝居でイラストがあることに よってすごくなんか情景が想像しやすかっ たです。で、それでやっぱり事態って急速 に変化していったんだなと思って、 やっぱり 急にサイレンが鳴ってで、隠れたと思っ たらすぐ爆弾が落ちてきてとかで、そう いう状況の中で必死に生き延びてその時を 必死に生きて 来たのにでもその運が良かったから助かっ たみたいなそういう状況がすご なんか残酷だなと思いました。 うん。 あの、ま、今の話すごい繊細に覚えとられますけど、 やっぱり僕の中で戦争は怖いものだという風なイメージは持ちました。 え、それまでなかったってこと? いや、あったんですけど、やっぱりその実際に体験された方の話を聞いて、なんか今までその言葉でしか聞いたことなかったものがそのリアルなその映像として頭の中に浮かんできて、で、それがやっぱりその昔体験された方も鮮明に覚えてて、よっぽど強烈やったんだなっていう風に思いました。 なんか うーん、 重みが違うなと思いました。やっぱその時のことを思い出しながら言ってるからうん。伝えたいところとかがすごくうん。心に直接届くっていうかそんな感じがしました。 戦争なった日はどうやった? う、みんなね、受警報って はい。 おお 警のこれもみんな帰ろかってあれ夕方も ボツボツがこのグランドをこう明りけ消け てそのま、あのもうみなそれぞれ家帰って ほで家帰って来たけども高級警報って言う んだけどどんだけし おかしいなって急出たら夜のあれ11時 ぐらいやったと思うんですけどね。夜中に ね 、いよいよ空衆で 行動B29のねったらあんだらあまり聞い たことないよ。ないですね。 ので は 僕はあの県所の裏でお城の西側にあるにそ からお城の上は海に飛んでくね もそれ逃げようって逃げようって言うて 大き ちゃったやそこへみ入っちゃっ 兄貴がおかしいな。 これ1 匹ちょっと見てみようかってほで蓋開けて喉いたら裏がね学校の進行じゃない燃えてんで これあ逃げなかんわって言うてほれで防軍から逃げて防具を出しで砂せて こっちた砂せてほれで賢場の裏から表も前に出て 3年下がってねの 病院がないでな。 はい。 それずっとまだまだあの 花山まで行こうとしたね。 行こうとしたんやけどもね行きやんなね。やからの病院の前のお掘りのとこで石垣こんな食らえててね。 うん。こに比えてたって比べて 中へ入ったんかと思った。中に入った人おらん。 お中入た。そう。お母さんはね、真ん中の方からね。 子供ねの次を折れていてたけどそこでまあ何回で頭でかなか夜中になったらねブービングのね音がねおカドバカンガドバガン寝がしれも後ろ燃えてた わけ から あっちゃ行けやん、こっち行けん。もう おの中で水まで腰まで水使って お城の中で若いお姉さんはお姉さんわから んでみんなで探しに行ったんやろ。 わからんて言でみんなで逃げ逃げたからあの瀬戸の病院の角の俺あの風の堀へ堀でねとこでね使って死んでやった。 うん。 うん。 うん。う、知らない。だから 親さんの自転車どこから飛んできたんか知らんけど、あのね、あったんでね、自転車の方に東てそれま、あの 3 年だから登ってほでこの今の不用のところお姉さんのことが お姉さんはようね。 うん。うん。 ほんで要塞とかもすごいできる人やったね。 お姉さんのように思うだけどな。 だけどやったな。 うん。 死んでも うん。和歌山城周辺のお話をたくさんして くださってたんですけど、やっぱ和歌山城 周辺って今毎日のように通ってるんです けど、なんか今までと同じような 気持ちで通れなくなったなっていう、ま、 私でこれなのでやっぱ当時体験された方は もっとなんか特別な思いとか、ま、 思い出したくないこととかうん。 そういうのを感じながらあの辺を見てるのかなと思いました。 ま、だから僕が数中で通学路で使ってみて た道の近くとかでその当時の状況でその人 が死んでいなくなっていたり で そこでその倒れてる人とかを見たりで なんか僕が今見てる町の景色とその実際に 体験された方が今見てる景色っていうの は、そのやっぱりどこか違うところがあって名前は中村浩司野は浜と書くんですね。 ああ、はい。 時は6年の2 月の20日に生まれまして はい。 で、生まれたのがあのお城の堀の前の 3番長 戦争中というのと、ま、戦争ちょっと前もご存知ですよね。 戦争始まる前も 戦争始まる前も やっぱりなんか世の中の空気が少しずつ戦争になってくなってな感じました。 空気はね、僕らまだちょっとまって言ってもまだどうや小学生ですんでね はい。 もうすでに品という変な名前ですけども それは始まってたんですね。 はい。 そんでも僕ら子供ですんでねした問 うん。 という頭がありまして、今日満州とずっと 買ってきてましたんでね。で、え、子供心にも戦争したら勝ちまうんで何も心配らんということだったんですね。 じゃあどちらかと社会の空気としては戦争始まって困ったっていうよりはもうなんかもうもう少しうん。うん。もうもうもう愉快愉快なくらいです。 ああ、やっぱそういう空気的にみんながそう。 ま、夕方寝てたんですよ。 11 時頃寝覚めて、あ、えらい寝過ごしたよと思ったら警戒警報になった知ったんですけど 風習警報知らなかったん出てて で街中がし音が何にもせずで飛行機の音も急行なかったんです。 ほんで1 人で見覚めてあることもないしご近所に僕の同級生の家があったのでそこやまたまたま遊びに行ったら言葉悪いですけどもそんな軽い気持ちで 行ったんですね。 そこで空習警法に入ってんで引いた直後にもうその家へ行った友達の家そこのあの侵害の学科ですね近で僕 3 番でんで裁判の裏本歩いて子供の足でねもかからん近んでほでもすぐもう油断っちゃしてほんでそこのご主人が 入てって言われてで、ま、僕入ってたんですけども、どうもそのオタの中へも修おったんでしょうけど。 ああ、 ご主人が水かけ出したんですね。で、もう逃げなあかんなって皆さん言ったんで僕も逃げるつもりでたんですけども逃げる路地のどマの中に将団がってもたんですよ。 で、とっても 旗通りやんしで友達ので行ってるけど僕の 状態も知らんしよかったなと思って 立ち止まってたら女に逃げたその家のお ばあさんがたまたま防国から実績張って 立ってたんですね。 ほんで僕おばあちゃん一緒に逃げようか言うてでそのおばあちゃんの手出を取ってじゃおばあちゃんもねほっとってくれ言うてましたけどね うん おばあちゃんの出取ってで赤の他人さんの家の中を土足で通ってねえ今の街の前の方の道から 3年高の うん 降りたところのお風呂のとこまでまつ おばあさんやんでね。走りませんね。 あ、そうですね。 歩くなんで手持っててもま、話してくれ。話してくて言うんですけどね。僕せっかくて握ってんのに一緒に行こうか言ってで僕恐ろしいけどもおばあさんに合わせてゆっくりゆっくり歩けなような感じでその堀から岡口門というもんがあります。 はい。 あそこの下まで歩いて逃げたんですね。その頃はまだね、 3番あたりは煙でいっぱい出したけども 火の手はまだ上がってなかったんですね。 ああ。 で、その後に行きに行く時にあの多分細さん いや、あのその日の朝 はい。 たまたまあの捕事の前にあの沖縄靴のきあってそこにあのあ方のご家族が 1 人お嬢みたいに亡くなったんですよな。お 1人うん。 寝てやってね。で、その周りを家族で閉じ込んで座ってましたね。 ああ。 あ、ほんであ、あの方帰っておられるけどもなくなったんでごやんねと思で大ねなくなってる方の死体運ぶ方法ないもん。 うん。そうですね。 後日のことですけどね。ま、焼けてもうほんまに即と言ってもいいぐらいでけもあの市役所前のカーブのところに公園があって はい。記念日かなんか立ってますよ。 あ、あの西宮右 あそこにね大きな死体の山できた。あの市役の職員がなんかですよな。あの全部しないから分かって死体だけ運んできてあそこに住んだんですね。ほら山みたいな死体に山が。 あ、それも見られたんですか?で、あの、今でも僕はあとこ役者前の方がんのが嫌なんですよ。 で、ま、実際あの、ま、今の話聞いてるとすごい繊細に覚え取られますけど、やっぱりそれって心の中にもう焼きつくような話だ。 もうね、やっぱり死体を自分で踏んだりとかね、したらやっぱり登りますぜ。 ああ。死体だって見ることなかったもん。 そうですね。 自分とこ式でもそうなんて関係入ってしたいな感じにしませんけど裸で福に焼けたかの山を積むのを見たりしていたらで僕らも終戦なってあのはい。直後が出ましたよ。抽選の直後。 はい。 あれ聞いた辺りから負けたんかという あの天マ陛下ののことあのラジオから わけのわかれへんや そうですね聞いて何言ってるかわから あるあれを聞いてにああ負けたんかなという意識を持ってある程度掘ってしましたし気はまとしかつかんのですけども電気がつけられる って、ま、焼けてないとか言ったんでしょうな。え、それで戦争が終わったという意識は持っただけです。 ま、ちょっとでも若いも場合やったらそれからしばらくしたらあの米兵がこう中してくるわけですね。 たなあれはね、慎重的た時でもね、最初はあの黒人兵見た時には恐ろしかったで ああ、 あんな大きな暗い黒い人がで持ってきたら日本軍やってて負けるなと。 あ、それは逆にそれ見てあ、こんな大きい人たちと戦ってたんだという。 うん。落ちちゃったんだ。まあ言うて悪いけども女性の方は恐ったと思うわ。 うん。 うん。 ま、実際そういうこともあったんですかね? あったんだよ。で、僕らね、そんな噂はね、全然聞こえなかったですけどもう もう多分あったと思いますよ。僕はもう極端に自分からは絶対戦争の話はなんだ。嫌で うん。 ですんでね、戦争の話をし出したのはだいぶど行ってからですて ああ、 戦争での体験を極力話したくなかったっていう風に話されてきて、でもそういった感情を持った方が今こうして戦争のことについて話してくださっているっていうその思いなんで ここまた今になって話してくださったんかなっていうその思いとかを僕たち若い世代は何か組み取ってうん。なんか理解していかなかしていかなければいけないなっていう風に感じました。うん。 うん。ま、やっぱみんな口揃えてやっぱり 思い出したくないとかやっぱひどかった なっていう話をしてるのでやっぱ今まで私 の中で経験したことないぐらいうん。 そんな事態を生きてるっていう点で 、ま、それを乗り越えたっていうのが すごいなって思います。実際に体験された 方の エピソードというかはやっぱり音であっ たり、その匂いであったり、その感触で あったり、そういったものが やっぱり なんて言うの?やっぱ教科書では描かれ ないようなところまでやっぱ鮮明に話され ていて、やっぱそこでやっぱりちょっと よりリアルなものだ。うん。 リアルな風に移りました僕には。はい。 右は公園。 うん。 ま、死体が積み上がってたとか、今は慰例費が経ってて、 そのなんか立ってるのは知ってたんですけど、それがそういう慰例費だとかは知らなくって、なんかやっぱイメージしてまいますね。ここにたくさん人が死んでたのか。うん。 ま、和歌山城が焼けてたとかも知らなかっ たので、ここ一面日が経ってたのかなとか そういう あ、で、あの、やっぱり音とか匂いとかっ ていうのは分からないじゃないですかなの で、その、ま、多分みんななんか叫んでる 人がいたのかなとか。うん。 まあ、痛いがあったってことはすごく匂いとかもひどかったのかなとかそういう気持ちがあります。それも女知らなかったことやね。待ってた。 知らなかったです。 知ってだ。知らなかった方が良かった。 あの、正直なかった方が良かったと思。 ああ、その場所開く時にね。 はい。 なるほど。でも、ま、そこにそれを知りたくなくても知らざる。 生きてきた人もやるわけやからな。 うん。 本当に恐ろしい。 もうあと10年経ったらまた僕らと同じ ような思いをする若い方が生まれるんじゃ ないかなと思う。 うん。なんでま、歴史は繰り返すという こともほんまに そうなるというのは気の族やけども よっぽど若い方が反戦の意識を持ったかな 。 流されますぜ。 強い人に見えた人たちが生きてた時代を乗り越えて、ま、こういう方々なくなってくる。その時代に生きてる今ってどう感じます? いや、多分なんか忘れていくのが怖いなって思いました。 なぜ? うん。やっぱり今はもしかしたらその若い人らがうん。 なんか、ま、それそうになった時にもしかしたら機動修正してくれるような、あの時のことをまた教えてくれるような人がま、いますけど、ま、いなくなったら 戦争は怒るか怒らないかで言ったら怒る可能性は全然あると思ってます。 でも やっぱり戦争は良くないものだっていう風 にどっかの心の中でとめておかなければ いけないなっていう風には思いました。 今の人たちの話聞いたからにならないよう になった気がする。 でもそれはみんなが知ってるわけじゃない からこの話を知らなかったらやっぱりまた 間違った判断をする人が出てくるんじゃ ないかなということかな。そうです。なん か うん、ま、戦争、ま、軽く見たよう、軽く 見たようななんか発言と考えたりする人で その人にまた反論してまたそこで争い 生まれたりとかそういうのにつがったり しないかなって少し考えました。 ま、でもそしたら、ま、あなたとしては、ま、例えば、ま、そんなに別に自分にどこまできるかは考えなくて、これからの世の中にあなた自身若者としてどうしていったらいいと思いますか? うん。 よし、それはできることはなんか自分が また教えたり知識広めることかなって思う ので、 ま、またこういうせ、終戦何年とかの節め とか、ま、もしかして自分に子供ができ たらそこ に教えるとかそういうことで伝えれたら いいなと思います。伝えきますか?はい。 このようにどれでもうだけどな。だけどな。 うん。 死んでこ うん。戦争はもう絶対しちゃだめよ。
#戦後80年 #和歌山大空襲 #和歌山大学観光学部
日本本土への空襲へ向かうB29は、和歌山県南部の潮岬あたりで集合し、そこから編隊を組んで各地に向かったと聞いています。そのため、和歌山県には数多くの空襲がありました。その中でも、7月9日の深夜から7月10日未明の空襲は和歌山城を焼き、多くの犠牲者を生んだ、最大規模のもので、それを「和歌山大空襲」と呼びます。
本映像では、和歌山大空襲を経験した、山本喜美子さん、細畠清一さん、中村公一さんの言葉を紹介しています。そして、それを若い学生がど「その記憶」をどのように受け止めていたのか。それをまとめた映像です。
本日の和歌山大空襲の日から8月15日まで、公開します。