懐かしい町並  碧南市築山町  愛知県

    碧南市は衣浦湾と矢作川に挟まれた半島状の地域で、築山町をはじめこの辺りは江戸時代には大浜村といい大きな村であった。現在行政地名として大浜は残って居らないが、小学校・幼稚園・保育園・漁業組合・郵便局・橋などにその名前が残っている。
    元の矢作川の河口は現在より東に約10㎞程の所に有ったが、川幅が狭く洪水の被害が多かったので、慶長8年(1603)木戸(現安城市)から米津(現西尾市)迄の間に、水路を開削し、矢作川の本流を南西の入り海に流した。
    矢作川の上流からの土砂は南の入り海を埋め、鷲塚は半島に変った。そして正保元年(1644)米津と鷲塚の間に築堤が築かれ、入り海の一部が陸続きになり油ヶ淵が誕生し、この辺り一帯の新田開発が進んだ。
    領主の変遷は複雑を極め、慶長9年(1604)幕府領からはじまり、寛永2年(1625)・寛永20年(1643)・正保2年(1645)・万治2年(1659)と領主が代わり、明和5年(1768)の大浜藩成立の時に陣屋が置かれ、安永6年(1777)沼津藩領、明治元年(1868)上総菊間藩領となるも陣屋は引き継がれた。
    大浜村では塩浜が開かれていて塩浜役もあり、大浜塩として矢作川を遡り信州まで運ばれた。また酒造でも有名で三州酒の産地であり江戸へ運ばれていた。明和4年(1767)には酒造屋が6軒、天保13年(1842)には10軒の酒造家がいた。安永元年(1772)には味醂造りがはじまり、酒粕を利用した漬物業も始まった。寛政元年(1789)には味噌・醤油業も興ってきた。
    畑作の半分は綿作であり、木綿や繰り綿が多量に取引された。廻船は大浜湊を拠点として遠隔地取引に重要な役割を果たした。
    慶長9年(1604)の家数240、明和4年(1767)の家数1,116・人数5,461とある。明治24年の家数1,112・人数5,472とある。
    古い町並みは大浜湊(現在の大浜漁港)の廻りに展開している。これと云うほど連続した古い町並みはないが、黒板塀で囲まれた建物が点在する。黒板塀の味醂屋さんも健在であった。
    それとこの大浜地区を歩くと寺院が多いのを目にする。三河地方教化のため、応仁2年(1468)京都を出た蓮如がこの地に上陸している。蓮如の来訪は当地方の浄土真宗の発展に大きな転機となっているので、寺院が多いのもその影響だろう。

    古い町並を歩く  長年の私のホームページです。
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    音楽:中北音楽研究所

    1件のコメント

    1. 🤓潮風の当たる海辺の、黒い板壁ですね。我が家の屋根も三州瓦ですが、やはり黒い燻し銀です。

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