【敗戦への道を旅する】ハワイ→東京 太平洋戦争の経過を見る旅行

アメリカ軍が日本を幸福させるために通っ た最も主要なルートはハワイを出発して まずマーシャルを占領。その後トラック島 を攻略して裁判も占領。そして広島や長崎 をめとした全国を空するという流れだった ようです。今回はこのルートを全て辿どっ てみました。 旅のスタート視点は東京成田空港です。 夕方の便でまずはハワイへ。乗便は全日空 184便2階建てほる行きです。 夏休みが始まってすに1週間声がいっぱい 聞こえていますね。家族連れの人たちで 乗り場の前は大変混雑していました。円安 の時期でもハワイへ行く人は結構いるん ですね。子供たちは飛行機の中に乗り込む とすぐに静かになりました。このルまでは およそ8時間。私も疲れていたので ぐっすりと眠り早くも朝になっています。 そして速やかに飛行機はオアふ上空に到達 。編成風に乗り今日はいつもよりも早く 着いたようです。眼下に見えるのは新珠 です。 有名な新珠攻撃の場所となったところ、 アメリカ軍の反撃の拠点としても使われ ました。 飛行機はハワイに降りる時、大体いつも 左手に新珠を見ながら進みます。毎度心の 中で手を合わせるようにして景色を見てい ます。ダニエル系井上空港に予定より30 分ほど早く到着しました。ハワイの間には 5時間の時差があって、私は飛行機の中で ずっと寝てはいましたが、しかしまだ やはり眠いです。ま、ちょっと異常な光景 だとは思うんですが、このベンチで入国 審査の後横になって3時間ほど睡眠を取り ました。 今から新珠板を訪れますが、そこを訪れて いる時に、あびをしたくないと思ったので 、眠気は全て取ってしまうことにしました 。そして無事に守り切ったお財布の中を 見ると1ドル支幣がまだ残っていますね。 あ、3枚ある。よし。3ドルあればバスに 乗ることができます。やってきたバスは 20番アロハスタジアム行き。20番の バスがこの空港から出る主要バスで、これ を使えばタクシーやUbberより圧倒的 に安く移動できます。10数分ほどで新珠 に到着。左手に新珠の軍関係基地が早速 見えてきています。 ここには次の止まるバス停が一覧で出てい ますね。ここに2つとありますが、この2 というのは太平洋戦争を指揮したアメリカ 海軍の召喚の名前。チェスター減水の名前 を取ってこの道に名前をつけています。 この道が多分ほのルールでり1番重要な 一般道だと思いますが、それぐらい重要な 道に名前がつく、どれだけ活躍した人なの か感じられますね。次はアリゾナ記念館 です。車内放送がかかったらこのケーブル で引っ張りバスを止める合図をします。 端式のものもありますが、このケーブルの 方が多いかな。目的の定流場に着いた後は 手で触るとドアが開きます。勝手には開き ません。こ新珠に到着。この新珠は当時 太平洋においてとにかく重要な基地だった そうで、だからこそ日本軍も先制攻撃した わけですが、その後アメリカ軍は日本に 反撃するために国力を上げて巨大な船を 大量に作り上げ、多くは新珠に送られまし た。としてここ拠点に反撃ののろしが 上がることになったそうです。 この新珠の公園には入場だけであればお金 を払わずに行くことができます。もちろん 日本人も歓迎されています。ただ荷物を 持って入るということはできません。鞄を 持ってきた人はこのバケージストレージの ところで7ドル払って預けます。新珠の 見るべき施設は主に4つで1つは最大の 被害を受けた戦艦アリゾナーの慰例施設。 そして日本軍を終戦に至らしめた長員の 場所売りの展示館。あちこちで鉄の弾丸と なって命を散らした飛行機の展示もあり ますが、今回は潜水艦博物館を訪れたいと 思います。 一見地味に見える潜水艦ですが、日本が 負けるに至って致名的な役割を果たしてい たのだそうですね。まずは横にある展示 施設へ。アメリカの軍関係の展示はかなり 分かりやすく作られています。当時日本が どのようなことをやっていたのか簡単に 指示を作ってご案内いたします。当時日本 は盗南アジア諸国を占領し、そこから天然 資源を本国へ送って武器などに作り替える という理屈で戦争をしようとしていました 。であるならばその輸送戦を潜水艦で沈め てしまえば日本は戦争を続けられなくなる という仕組みで実際に多大な効果を発揮し たそうです。つまりこの潜水艦が戦争の 仕組みそのものも破壊したということです ね。この不水艦にはボーフィンという名前 がついており25ドルで学することができ ます。 第2次対戦の中でも特に活躍した潜水艦の 1つだそうです。潜水艦に乗るのはとても 危険な仕事だったそうです。このような船 では敵の攻撃を受けた場合脱出する間も なく沈没してしまうということが多かった そうでこの中に1度入った後は鉄の観桶の 中での仕事ですね。入るとすぐにベッドが ありました。そしてその下には魚来があり ます。 今はこのように展示観光地のような姿もし ていますが、実際ここから発射された魚来 によってとてつもない数の人たちが海の底 に沈んでいったという事実があります。 あの磨かれたところの中に魚来を差し込ん で戦望鏡で敵を見つけたらば狙い打ちを するわけですね。この潜水艦には魚来を 合計24本積むことができたそうで逆に 言うと24本しか詰めなかったようですね 。この部品は戦争中9回も出撃して50隻 近く日本の感戦を沈めていったと言います 。特に有名な船は学童海線の津島丸では ないでしょうか。この船は沖縄線を前にし て子供たちを長崎へ避難させる任務追って いましたがその時明らかに軍用の輸送戦に しか見えなかったからということか。王品 はこれを激沈して1500名ほどの子供 たちが亡くなったそうです。 潜水艦の中に当時の落書きが残されてい ました。当時首相への悪口が書いてあり ますね。そしてこの小さな反線に対して 防フィンが浮上して銃撃している様子が 描かれています。 潜水艦ではありますが浮上して戦ってもい たようです。このように水の上に出てくる 気重が設置されていて、小さな弱い船では これを使って魚来は使わずに攻撃をしてい たそうです。その方が魚来の節約になると いう理屈らしいですね。 戦争の終わり頃になると日本は木造の反線 や漁選なども同員して物を運ぶために使っ ていてなるほどこうやって攻撃されていた のかと当時の苦労を忍ぶことになりました 。 また 横には女性たちのイラストが他にも多く 貼られています。 おそらく当時こういった船に女性は全く 乗っていなかったはずですから雰囲気を 華やかにするためということか。実際この 辺りでは戦争という雰囲気はあまり一見 すると感じられないような印象もありまし た。ボフィンの外に出てくるとたくさんの 石碑品が並んでいます。これは何かと見て みるとなんと1つ1つが沈没した潜水艦の 慰例費だと分かりました。1つの石で1隻 分ですね。 アメリカは戦争には勝ったかもしれません が、大勢の若者たちが太平洋の底に沈んで いったという点では日本と何ら変わる ところはないのだと改めて思い直しました 。また潜水艦が1回出撃するごとに青 できる確率が85%ほどだったそうです が品は9回も出撃したので計算すると 23%ほどしか生きて帰れる確率がなかっ たようです。そんなことは世界の誰にも もう経験して欲しくないと思いました。 新珠の見学は今回はこれぐらいにしたいと 思います。続いては太平洋方面にいよいよ 出ていこうと思いますが、この日はもう 飛行機の出発がないので1泊する必要が あります。翌朝まではどこかのホテルに 滞在ということでサンドルでバスに乗って ワキきビーチに到着しました。この辺りに はホテルがたくさんあります。どのホテル に泊まるか?白トンホテルが大人気。その 横の同じ敷地にありますロイヤル ハワイアンホテルに今回は資格します。 このホテルはかなりの高級ホテルでハワイ を代表する場所だと言っていいと思います 。なぜ慰例の旅でそんな場所に行くのか もちろん理由があります。この建物は とても古く1920年代の海業歴史ある リゾートホテル戦争中もこの建物は存在し ていました。そして戦争中は海軍専用とし て借り上げられていたのだと言います。 一般の人は利用できなかったようです。 そしてこの建物は潜水艦の乗り組員の方の 休暇施設として特に専用的に使われていた そうです。 部屋はもちろんリニューアルされています が、当時と同じ区画だと思います。3名1 組でここに止まり、1人当たりの宿泊台は 1ドルほどだったそうです。目の前がすぐ Yきビーチ。潜水艦の人たちはここで10 日間ほど極上の休暇を過ごしたのだそう です。 そんな特権が与えられるぐらい潜水艦 乗り組員は死にやすい仕事だったという ことですね。ロイヤルハワイアンホテルは ワイキビーチのすぐ目の前にあってリッチ はすごくいいです。さらに寄せてくる波も 見放題。波には癒しの効果があるようです ね。見れば見るほど私の心も癒されてくる ような気がしましたがここでふと気づき ました。彼らはきっとこれが最後の休暇に なるかもしれないと思いながら同じ波を 見つめていたのでしょう。とても彼らの 気持ちを想像することはできないと思い ました。 おはようございます。今日はもう早く出発 する必要がありますね。ダニエル系井上 空港までいよいよチュー部太平洋へ出ます 。ここまではUbberを使って30ドル ぐらいかかりました。朝の5時20分なの に空港がめっちゃ混んでるぞ。みんなどこ に行くのかな?あ、みんな7時の ユナイテッドサンフランシスコ行きに乗る んだね。僕が乗るのはその後のUA132 便7時15分発真行きです。今から乗る 航空便は世界的にも珍しい運行方法で、 まずマーシャル諸島の首都と目ジロにより その後ミクロネシアのポナペとトラックに よった後もう1度アメリカの準州グアムに 飛んでいくというやり方です。戦争中は このグアムが日本によって占領されてい ました。そしてトラックから目ジロまでは 1945年まで国人の移任統治として日本 が統治していました。つまり今から飛行機 はかつて日本だった場所を飛んでいくと いうことになります。よし、チェックイン 完了。ちょっとね、特殊な瓶なので チェックインに手間がかかりました。え、 こちらが登場券発行されたんですけれども 、これ罠なんですよ、実はね。分かり にくいんですけど、ここにあと2枚隠れて て、これちゃんと3枚全部持って帰らない と飛行機には乗れないみたいですね。 いつもこの場所日本人が多いんですが、今 はミクロネシアの人が多いですね。これが ユナイテッド航空132瓶。 途中の島に寄り道をしながらガムまで行きます。全部乗ったら 13 時間ぐらいかかるんじゃないですかね。この飛行機小型のボーイング 737が使われています。 ではいよいよ乗り込みます。まず次の気候メジ郎まではおよそ 5時間です。 結構長い旅になります。ドンキホ店。これ本当に特殊な運行のようでパイロットや整備士のような方、そして客室乗務員さんまで座席に座っていました。なかなか自分の座席にたどり着くことができません。 これは結構荷物の積み込みで混んでいるの かな?うん。上の荷物棚が全て大きな荷物 でいっぱいになっています。だから自分の ちょうどいい置場を見つけるのも大変な ようです。この瓶に乗るお客さんは本当に お荷物の人が多いですね。 ようやく自分の座席に到達しました。窓側 を指定してあります。 お客さんの荷物の場所をうまく当てうのに かなり時間かかっていました。この荷物の 入れ替えに あそこでまだ荷物の当て替えをやってい ます。この荷物の入れ替えにものすごく 時間を用したのでホノルの出発は20分を 遅れました。いつもこんな感じみたいです ね。ではようやく荷物をしまい終わりまし てユナイテッド航空132ピ称アイランド ホッパーは各島々を経由してルアムへ向け て出発です。本当に荷物の積み込みだけの 理由で遅れていたみたいです。一度滑走路 の方へ向かうとあっという間に離陸しまし た。空港自体は空いていたみたいですね。 このルの港の上を飛びます。ここで期待を 傾けてお前方にワイキビーチや ダイヤモンドヘッドがちらりと見えました 。この後大きく右へ先開することになる わけですがこのまま大きく曲がれば右手に 新珠の出口を見ながら進むことになりそう です。戦争中の新珠は基本的には安全な 場所で最初に1度だけ日本軍の攻撃があり ましたがその後は攻撃される危険はなかっ たようです。ですからここまでは安全な 場所だったということですが、この新珠の 海軍基地を出発すると、いよいよアメリカ 兵の人たちは戦場へ送り出されるという ことだったわけですね。 眼下科に複雑な形をした天然の旅行、新珠 をよく眺めることができました。またここ でお聞きいただいているBGMについても ご案内したいのですが、これは日本の水槽 学部などでもよく演奏されるという怒りを 上げて、アメリカの海軍の人たちが出撃を する時などに自らをコブするためによく 流されるそうです。当時の人たちもこの曲 をラジオなどで聞いていたことと思います 。 ここで機内色が提供されます。これから先 11時間ぐらい私も乗り続けるのですが、 それにしては心もないようです。これは 仕方がないことのようですが、あらかじめ 分かっていたので食べ物は調達しておき ました。 簡単なハムエッグのサンドイッチや ハンバーガーのようなものが提供され、味 自体は美味しかったです。 まずは次の気候目ジロまで5時間飛びます 。飛行機の旅というよりも船の旅をしてる ような感じ。何度も飲み物が提供されます 。リンゴジュースをお願いしました。 カロリーを多く取っておいた方がいい でしょう。またこの機内には日本語が 目立ちます。この飛機はガムを拠点に運行 しているそうで、ガム東京間での運行も 多いので日本が充実しているようです。 早くも日本の文化がちらりと見えるような ところへ入ってきていることを感じます。 ちなみにこの飛行機の登場率はかなり 高かったです。運賃も高めとなっています 。競争がないからですね。 いよいよ最初の気候地マーシャル連邦共和 国の名ジが近づいてきました。まずは日付 変更を飛びます。アピルまで日付変更を 超えるので日付が変わったという実感は なく不思議な体験。そしてこの辺り複雑に 分割されている各国々の領土の上へ間も なく差しかかるというところ。もう1度 飲み物が提供されました。いかに長い フライドか感じられます。オレンジ ジュース。そしていよいよシートベルト 着用サインが点灯しました。間もなく到着 する真白干賞というのはすごい場所で 首飾りのような形をしています。火山活動 などによってこのような地形になっている ようです。そして戦争中はアメリカの軍艦 がこの中に入り、まるで軍艦のポケットの ようにして収容されていたようでとても 都合のいい場所だったようです。この中は 波が絶対穏やかになりますからね。 このようにとてつもない数の船が入って 反撃の拠点になっていたそうです。ただ この場所自体では戦いはなかったようです ね。しかも元々は日本が統治していた場所 なので、日本の作った滑走路などを アメリカ軍はただで利用できたようです。 なぜこういうことになったのかというと、 ま、当時日本が劣星に立つにあたって絶対 国防権というのを設定し、この線よりも 内側を重点的に守るという構想を持ってい たのですが、現在地はその線の外側だった ので、日本軍はあらかじめ撤退していまし た。だからアメリカ軍にとっては簡単に 取れた場所ということです。そして いよいよその細長い島の形が現れました。 わあ、これが干渉というやつか。日本には このような地形はないので見るだけでも 美しい景色だと思いました。この内側に 軍艦がたくさん入っていたのですね。 飛行機は一旦目ジ干賞の西側の細い土地の 上を飛び越しました。ほお、確かに細長い ところの真ん中に家や道路などが建設され ています。ここがマーシャル連邦共和国の 首都もう1度大きくタしてこの細長い島の 上を目がけて飛行機は行動を落としてき ました。 見たことのない景色だ。生涯でそう何度も 体験できないと思います。細長い干渉の 手前のところにも水の寄せてくる様子が ごくわずかに穏やかに。そしてこの干渉の 反対側を見ると太平洋の白い大波が寄せて いるのが見えます。 干賞の内側と外側で波の様子も違うんです ね。そして細長い土地の真ん中に水を確保 するのも大変な場所ではないかと思います が、工場などが立ち並び、それなりに色々 ある様子が感じられました。 やはりマーシャルの首都ですからね。家や 道路なども皆立派だと思いました。この 辺りでは手に入らないものの方が多いので はないかと思いますが、車も多めに通って いて頑張ってる様子が感じられます。 そしてアメリカの施策もあって大きく拡張 された空港に到着。 あ、結構立派な空港ですね。飛行機は比較 的余裕を持ってブレーキをかけていると 思いました。今私が乗ってるのは小型飛行 機737ですが、もっと大きな767と いう飛行機も止められるそうです。 アメリカも相当力をかけてこの空港を整備 しているのでしょう。 というのはここは独立国のマーシャル諸島 連邦共和国という場所なんですがでもこの 国の軍事はね、これアメリカがやってる そうです。 すごい。あそこも私が今立ってるのと同じ 島ですね。はるか彼に霞むようにして 大きな建物が立っている景色が見えます。 これが干渉という場所の眺めですか。 初めてこのような地形に降り立ちました。 さらに空港ターミナルの横を見るとこちら にも々と島のようなものがつっていますが あれも今私が立っているのと同じ土地なの だそうですね。こちらが今から到着する 空港ターミナルです。 ここからが面白いところで、今機内モード を解除しました。すると日付が7月26日 土曜日から27日、日曜日に変わりました 。時計の針は2時間戻っています。日付 変更を過ぎて最初の街、マーシャル ショット目ジに到着しました。そして一旦 ここで降りることができます。私はここが 目的地ではないんですけれども、飛行機が 一時止まってる間空港ターミナルに行って もいいことになってるんですね。うわあ、 なんだこの屋根。木星じゃないですか?私 は初めて綺麗でできている空港という場所 に着きました。建設資材があまり手に入り にくくということなのかな。え、このプリ ディパーチャーラウンジという方に行き ます。マーシャルが目的地の方は右の アライバルの方に行くんですが、今回は こちら。 この出発ロビーで待ちます。結構お客さん が来ていました。 そしてここでできることといえば、ま、 唯一できることは売店ですね。スナック タイムと可愛い書き方です。実際 アルコールなどがかなり売られていますが 、食べ物もあって値段は安めでした。私も ここで食べ物を補充。お、ナウル航空と いうポスターが貼ってありますね。ナウル インターネットで有名ですよね。ここから 乗り継いでナウルに行けるみたいです。 またベンチにはこれ台湾の会社ですね。 フォルモサグループと書いてあります。 マーシャルは世界的にも珍しく中華人民 共和国ではなくて台湾の方と関係を持って いる国らしいです。小さい国ではね、その パターンがあるみたいです。 またトイレにも日本からのODAという ことでアルコール除菌が置かれていました 。ま、空港以外にもね、色々日本からの ものはあるようですね。 ではまた戻る時間になります。30分ほど ターミナルにいましたもんね。また今乗っ てきた飛行機にもう1度乗り直します。 ちなみに一時後をする場合には荷物は全部 持って降りる必要があります。出ないとね 、忘れ物扱いとなって回収されます。 またスパム結びを購入しました。これは あれですよね。いろんなところで食べ られる太平洋名物。タのお米を使ってる ようです。 お米は日本の文化。そして上に乗っている スパムはアメリカ軍の文化。 アメリカ軍の携帯として普及したスパムと日本の職文化が融合する太平洋の名物でハワイでもこれありますし沖縄でもありますね。ここマーシャルでもこの先のミクロネシアでもある戦争が産んだ名物と言えると思います。 [音楽] 現在地すでにだいぶ日本に近づいてきていますが、またさらに 2 時間ほど西へ進みます。次の気候地はホナペです。 [音楽] お、プライベートジェットが飛んできまし た。基本的にはもう航空便っていうのは ごくごくわずかなものしか来ないようです ので、ああいったものがないと仕事や行政 なので確かに困るでしょうね。 プライベートジェットも大事なインフラな のだろうと思いました。そのプライベート ジェットが中期場の方に入ったのを見て 私たちの飛行機も出発。お、ナウル航空の 拠点までありますね。ということはこの場 で航空機の整備もできるんでしょう。 ちなみに私たちの乗っているユナイテッド 航空132便にはこの飛行機自体に整備 資産や交代の客室乗務員さん、交代の パイロットの方なども乗っています。 まずは滑走路の1番橋まで行き、ここで 進行方向をぐるりと変え、滑走路の長さを ギリギリいっぱいまで使って離陸していく ことになります。 [音楽] 細長い目ジ干賞を今飛び立ちました。 おそらく出発車と大きく進行方向を転換 するはずなので、今止まっていた空港が どのような場所であったか見られると思い ます。うわあ、美しい眺め。 でもこの美しさはなんとなく戦争の悲惨さ と連想させてしまうような気がしますね。 こういう美しいところで太平洋戦争が行わ れたという印象があります。そしてうわあ 、こんな場所に今いたのか。 ぐるりと竜の頭のように形をげる目ジ郎 干賞。その比較的太くなっているかなと 思われるところをいっぱいいっぱいに使っ て今止まっていた空港が作られていたの ですね。 これだけでも貴重な経験をしたと思いまし た。 さらにその後飛行機は向きを変えて この島全体を見ることができました。 なるほど。この中に日本を反撃するために まずはここを拠点にしようとアメリカ軍の 空母や戦艦やそして潜水艦たちが集まって いたということですね。そして生きて 帰れるか分からない任務にここを拠点とし て何度も出たり入ったりしていたという ことでしょう。 ここで機内色の変わりということか アーモンドが配られました。一応アメリカ 製のようですね。 他にもいくつもの干渉を見ながら飛ぶこと ができはかなりいいです。 でもどれも標が、ま、3、5が関係して いるので標が高くなる理屈がないようなん ですけれどもどれも標が低いですね。昨今 海水面の上昇が問題だと言われていますが 、なるほど。こういうことかと目で見て よく分かりました。それぞれの地域に住ん でいる方たちにとっては資活問題だと思い ますし、またアメリカの国の国益にとって もこういった場所を空軍基地として使って いるということを考えると回数面の上昇が 国の安全保障を左右することにもなるの だろうと想像されました。またここで機内 色は配られないんですが飲み物は配られる のでお腹が膨れそうなコカコーラを注文。 次にマーシャルからミクロネシア連邦の 領空へ飛び越えます。 こちらはミクロネシア連邦の首都ポナペの 島が見えてきました。 ほお 、今から降りるポナペはこのような形をし ているのですね。島の周りをまるで バリアーのように、3ゴ賞が一周してい ます。 ここもかつては日本が統地していた時代が ある島です。そして島自体が火山の関係で かなり標が高く一方でマだら模様を作るか のような、3の浅瀬の景色も見事だと思い ます。どこを取っても美しいと思いました 。そしてここはかなり経済的にも拠点に なっていて、おお、3号賞を切り裂いて その中に船が入れるような道筋が太く作ら れていますね。あれは人工的なもの でしょう。海際のところにも人が多く住ん でいて、自分たちの船を使って暮らしを 営んでいるのではないかと思います。間も なく到着するこの島はかつて日本人も2万 人近く住んでいた時代があるそうで、 日本が太平洋で持っていた海外領土の中で はパラオが1番大きく続いて裁判だった そうですが、まもなく到着するポナペは 裁判に続いて3番目の大きな町だったよう です。お、今でも何か工事をしていて 砂つき場か何か作っているんですかね。 そしてお引いていたのですがマグロ漁線が いっぱい止まっているのがちらりと見え ました。で、隠されてはしまいましたが、 実は私たちがよく食べているマグロという のはこの辺りの回避で多く取られている そうで、ここコナペはマグロ漁選の給与 などの拠点として今でも機能しているそう です。だから沿業の漁師さんたちにとって は結構来るような場所なんじゃないですか ね。日本のODAによって滑走路も延長さ れています。ですので飛行機は比較的余裕 を持ってブレーキをかけて止まることに なりました。ま、とは言ってもカスルはま 、短めですね。お、遠くに結構大きな町が いくつも見えます。ここが首都の島です からね。オナペにもまたいつかじっくりと 売りたいと思います。この島は戦争の歴史 はあまり関係がなかったそうで、直接ここ が軍事的な戦いの場となることはありませ んでした。だから今回の度には必ずしも 関係しないと思うので飛ばさせていただき ます。 でも興味深いものは多くので是非ご覧 いただきたいです。向こうにもいくつもの 島が浮かんでいて眺めも見事だと思います 。素の真ん中に着陸したようですね。 そして遠くにはあれは日本が昔立てた東台 ではないかと思います。もう使われてい ないように見えます。 日本が昔作ったものがもう使われていない という光景がこの辺りには多くあるよう です。お、置き合いのところにもマグロ 漁線がいくつも止まっていますね。多分 マグロを取ってきたものをあそこに 詰め替えて日本や他の国々へ持っていく 募線となるんじゃないでしょうか。専用 漁業の光景はこういうものであるのかと 自分たちの国の様子を社会化見学するよう な旅になりました。 横にちっちゃい船も来てますね。ここで また時計を確認しますと1時間の時差が 発生しました。 このミクロネシアでのインターネット通信 についてソフトバンクから通知がありまし たがうわあすごい金額だ。10MB24 時間で1万9600円。 現地でスマートフォンを持ってる人たちは 別なのかもしれませんが、外から来た人に とっては通信に少し苦労するようです。 ここでももちろんおります。 先ほどのマーシャルでもそうでしたが、 同じように こうですね、ぐるぐるとスロープを置いて 、これ結構立派なターミナルじゃないです か? このポナペの空港ターミナルも日本の ODAによって作られたものでかなり立派 なものだそうです。 ここでもまた次の出発まで空港の中だけで も見学してみます。 VIップラウンジっていうのがありますね 。ビジネスクラスの人たちはここを使うの かな?ま、私は今回はエコノミークラス ですけれども、横にも簡単な売店があり ました。そしてこの地域のラきものも売っ ているように見えました。何か手作りの 食べ物はあるかな?カップケーキがあり ましたね。1.5ドルチョコが付いて しまいましたが、他にも炭酸飲料などが 売られていました。 中国から輸入しているようです。またここには時計というものはないようでディスプレイが設置されそこに時刻が出ていました。ただ全く関係のない時間が表示されていたので時計としては役に立たなかったですね。 さらにトイレに行くとコロナ対策で手をしっかりと洗ってくださいと書いてありましたがここに石鹸を意味する言葉で現地後世間と書いてあります。日本統治地治時代の名残りで当時導入されたものは日本語で呼ばれているそうです。 そういったものがミクロネシアには本当に 多いそうですね。 空港ターミナルも立派。これも日本の インフラと思えば国を見学しているような 気持ちになります。そしてある意味 懐かしい貢献が残っていました。ベンチに は1つ開けて座ってください。ソーシャル ディスタンス確保ですね。医療資源は限ら れています。 では空港だけが見学することができまた 飛行機の中へ戻ります。 ちなみにユナイテッド航空では乗り込む時に毎度乗客に対して消毒用のダッシュ面っていうのか、こういうのを提供しています。 結構いいですね。 引き続き登場率は高いです。 あまりぴったりと取ることができませんでしたが、空港の係りの方がみんな袖で一斉に賑やかに手を振ってくれました。そして飛行機はもう一度カ走路の 1 番橋へ向かいます。お遠くに白波が寄せて砕けているのが見えますね。 あの辺りに周りをぐるりと取り囲む3章の 干渉のようなものがあって内側の海はいつ でもないでいるわけですね。天から授けら れたまさしく天然の良行だと思います。だ からここが日本統地時代にもそして今でも この辺りの拠点として活躍しているという ことなんですね。昔は東京からの航空便が あったようですね。 [音楽] では、例によって東から吹いてくる風を 向き、飛行機は間もなく離陸します。出力 を高めて一気に加速。この辺りの島々では 皆そのようなやり方を取っているそうです 。カ走路の長さがかけられています。 あっという間に滑走路が終わりました。 なるほど。短い。これでもだいぶ延長して いるようです。 真下に見えるマダラ模様が見事。この ユナイテッド航空でも今乗っている アイランドホッパーの路線は色のいい路線として宣伝しています。波が穏やかなのがいいですね。周りをぐるりと干渉によって取り囲まれているので大きな波が中まで入ってきません。そのとても穏やかなの上をいてきそうに一気に突き進むぐの姿がありました。この辺り中は船を多く使って用車のように自由に海を使っているのではないかと思います。 [音楽] [音楽] どこで録画をやめようかということさえ 迷ってしまうほど美しい景色の中。 飛行機は雲を縫うようにして飛び、 そろそろ島の周りを取りかく干渉の外へ出 ます。これからはもう1度外要の旅という ことで、先ほどもお伝えしたことですが 飛行機の旅というよりももはや船の旅をし ているような気持ちになりました。 フルーズ線に乗っている時と気持ちは そっくり同じでした。では次の気候地は トラックです。トラックまでの間飲み物 サービスがあり、慌てて途中で取りました 。ちょっと見た目が汚くなってしまいまし たが、欲茶を注文。 およそ1時間少々でトラック島の影が見え てきました。シートブリートの着用サイン が点灯。いよいよ1度見たいと思っていた トラックの姿を見られるのですね。では 再びこの飛行機がどのように飛んできて いるのかご案内したいと思います。このル を出発してマーシャルの目ジロに寄った後 、ミクロネシアのポナペによって次が トラックです。このトラック島の島の姿は 凄まじい状態になっているそうです。 何でもこんな状態で周りをぐるりと ラグーン、つまり干渉に取り囲まれ、その 中には大将もの友人灯があると言います。 しかもそのラグーンの巨大さはこれまで見 てきたものの中でも一際は大きいそうで なるほど。今まで見てきたものよりも巨大 だということお分かりいただけるでしょう か?まだ雲のはかいところを飛んでいます 。まずはトラックの干賞の内側に入りまし た。外側は白い波が寄せていますが、内側 には波は全く立っておらず、波を穏やかな 船を横付けさせたり、あるいは止めておく にはいい場所だと分かります。 トラックの海は水深が深く広くて、そして いつでも波が穏やかだということで訓練を 好きなだけ行うことができる都合のいい海 だったようです。そしてあまりにも広い海 には最大で300隻ほどの大型の船を止め られていたのだと言います。 1番人口の多い夏島では2万人もの人が 暮らしていて、カフェや百貨点などもあっ たそうで、また大きな公園では運動不足 解消のためにも運動会などがよく行われ、 極楽のような雰囲気であったということ です。そして本土から戦艦大和や戦艦武蔵 などが送られてきた時、人々はそれを見て 最大の安藤を覚え、どんな敵にも負ける はずはないと確信したと言います。 この辺りの島々にはそれぞれ日本語でも 名前がつけられていたそうで、今から着陸 するのが春島です。戦前には夏島が1番の 拠点であったそうです。 雲の間にまずは夏島を見ることができまし た。あそこに人口が2万人ほどいたそう ですね。とてつもない規模だと思います。 あの小さな島に飛行機は今秋島の上を 飛び越しました。それぞれの島は船で簡単 に聞きすることができます。春島の トラック不助を見ながらその彼には水辺の 平穏を守る干渉ラグーンの姿も見て横一戦 におわる穏やかさ。これがトラック島です ね。こういう場所だったんですね。 まもなく飛行機は春島の飛行場に到着。右手には港も見えます。今の町の拠点となっています。 ちなみに今もなく到着する飛行場は元々日本軍が作ったもので、線後にそれを拡張し、なんとか我々の旅客機も着陸できるようになっているとのことです。滑走路が始まりすぐにドンと着陸しました。 機内でも少し悲鳴のような声が上がってい ます。滑走路が短いので一気にブレーキを かけます。 普通の空港のようにでは着陸したのでここ で少しずつ逆噴射をしてとやる余裕はない のですね。 カソ路の長さが大体1800mほどだそう です。 今回も無事減速することができました。 [音楽] 短いカ走路の反対へやってくるとあ、もう すぐそこが海ですね。本当にこのカ走路を いっぱいいっぱいまで使っていたのだと 分かります。ちなみにこの島の全体のこと はトラックではなくチュークと現地では 呼ばれています。 おお、早速個人の方が運行する船が自価の ごとく横を行き過ぎました。 基本的にこの干渉の内側はいつでもないでいるので船で簡単に生きすることができます。自動車より船の方が便利だという人も多いでしょうね。 おそらくこの空港が島の中で 1 番文明的な場所になるのかなと思います。戦前と同じあるいはそれ以前のような暮らしをしてる人も多いということです。到着しました。結構大勢の人たちがおります。出稼ぎ帰りの方が多いようです。 ここトラックにはほとんど産業とか現金収入の源となるものはないようですが、アメリカに行けば違いますからね。わ、すごい。出迎えの方々の数だ。今ちょうど規制シーズンなのかな?そして結構いろんなところに日本語が書いてあるんですよね。 あ、これが日本から送られたものなんだ。 後で手は洗いましょう。 はい。こうして中空港に到着したのですが 、 衝撃的なことにトイレが税関検査を抜ける ともうないらしいんですよね、多分。で、 こうもうそのまま外になっているので冷房 は効いていません。 ちょっと謎の階段があるので行ってみよう 。 ないみたいですね、ここも。 ま、どっかにトイレあるでしょう。も、 とりあえず出発することにしようと思い ます。治安は結構いい場所らしいです。 あれ気づいたんですけど、この車ナンバー がついてないと思ったらね、どれもついて ないんですよね。そうか。ここは自動車を ナンバープレートで管理するということ やってないんだ。日本からの中古車 ユニオンが多いようで右ハンドルが多くあ 、ここは東京の江戸川区で使った車なん ですね。 オ、thanンキュー。 僕が泊まるホテルの方が車で迎えに来て くれました。あ、あの車はナンバーグアム のやつけてますね。 一応ね、ホテルに送迎があるのでそれで 送ってもらえるんですけどお断りしてあり ました。メールで行ったんですが念のため 来てくれてたみたいですね。 やっぱりね、島は歩いてこそ分かる。上陸 した瞬間にそのまま歩き始めるのがいいん じゃないかなと思って。ホテルまでは片道 で2時間ぐらいかかるんですけれども、 歩いていきます。みんなめちゃくちゃ安全 運転だな。なんでなんだ。よし、渡ります 。すごくゆっくりなんですよ。で、道も めちゃくちゃいいですね。これ僕が ちょっとネットで調べた話では日本が整備 したらしいです。元々帝国海軍がなんか街 の道路を整備した後にもう1度戦後になっ てだいぶ立ってからODAで開発した時 聞きました。そういうのってたまに間違っ てることあるんでね。気をつけます。 みんなめちゃめちゃ安全運転だ。なんで こんなにゆっくりなんだ?馬車のような 速度で車が走っている。 お、パトカーだ。あれがパトカーなのか。 パトカーにもナンパがないどころか走行中 に飛び降りてるぞ。とりあえずYワイ シャツがあまりにも注目引きすぎるので、 ここにあった焦点で水1Lとこのシャツを 買いました。シャツは7ドです。水はね2 本で、 これ2本で1ドルでした。そんなんでいい のか?店の人にトイレ貸してくれない かって聞いたら、中には他人のトイレを 使う文化はないですよって言われましたね 。親切だったんですけど、トイレは自分の お家ホテルでするものなんだよって教えて くれましたね。なかなか絶望的な状況じゃ ないのか。でも本当にトラックの車の安全 運転関心させられますね。こ車が見え始め てから向こうも来ますけど今の車が見え なくなるまですごく時間がかかるんですよ ね。街の見通しもいいしゆっくり走って くれるので交通事故の心配はなさそうだ。 あれここになんか中古車屋さんみたいな車 集めてるとこあるんですが、 この韓国からの中古車は中ステートって 書いてあるんですよ。ここ中なんですよ。 え、じゃナンバープレートという精度は あるのか。おお、なんだこれ?このお家の 前のところにあるのはこれ新幹線のレール じゃないですか?うん。新幹線とか東海道 本線レベルの主要鉄道のレールが切断され ています。続いて教会がありました。日本 時代はお寺とか神社があったらしいんです が、今は教会ですかね。あ、でもさすが 教会の前はゴミがほとんどないですね。 さっきあえて触れなかったですけど道どこ もゴミだらけだったんですがお色直しもさ れて大切にされているみたいですね。 うわ、なんだなんだなんだ。あそこに なんか生き物がいるんですけど。あれ犬 じゃないぞ。これ豚だよね。イノシシって 感じじゃないのね。ちょっと家畜化され てる感じがしますよね。頑張って暑い中に 来てるな。草むに今から入ります。 ブーブ行ってて可愛かったですね。しかしカ走路からもここまで来ると随分道もう全くの見になりましたね。ちなみに僕が聞いたところによると中区の言葉で空港のことを滑走路と言うらしいです。日本時代の名残りですね。空港そのものを全部 滑走路と呼ぶらしいです。 そしてこのでかい水溜まりを避けて歩いて みたんですけれども、ぬかるみに靴が はまってしまってしっかりとドロドロの コーティングですね。ま、中に入り込んで ないだけまだ良かったわ。舗装って大事な んですね。昔の人がなんで頑張ったのか よく分かりました。 ちなみに人はすごく親切ですね。みんな 挨拶してくれるし。 [音楽] 今の車の人たちもそうでしたね。問題は ここを超えられるからやな。 やばいな。ここに来て最後の最後の南関だ 。ここはもう通らないとホテルに行けない んでね。 正直大なしく送迎を利用するべきだったな 。よいしょ。ま、案の上なんですけれども 、この横の壁でですね、手をすり向いて しまいましたので、ちょ、この水で洗って おかないといけないな。 あ、どうやらついたようですね。これまで 歩いてきたところの中で1番綺麗で歩き やすい チュー最コのリゾートホテルにして最高の リゾートホテルらしいです。ブルー ラグーンリゾートに着きました。歩いて くることを想定してる宿じゃないと思うの で、チェックインの場所がね、案内がない んですけれども多分ここかな。 近くにいた方から教えてもらいました。 ここでね、チェックインをするそうです。 チェックインすごい速さ終わりまして、 もう名前を言って紙を書いて鍵をすぐ もらいました。403どこが403なのか な。多分この緑のやつがそうなんでしょう ね。場所も聞いてないんですけど、自分で 探す方が楽しい。 あ、あった。ここが403だ。 猫現れました。ちょっと痩せてるな。おお 、トンネル。あ、すり寄ってきて餌を もらおうってことなのかな。開けられる ものは持ってないんだよな。食べ物 持ち込み一応制限があるらしいんでね。 建物は木でできてるみたいだね。 あ、でも本当に素晴らしい眺めだと思い ます。戦争中もみんなこういう景色をある 意味楽しんでいたようですね。じゃ、えっ と、これは感じ。多分こうだ。お、すでに 冷房があ、キンキンに冷えてる。うわ、 めちゃくちゃいいじゃないですか。確か僕 の勘違いでなければ2泊で 170ドルアメリカドルぐらいです。 ちょっと今回予約を直接ホテルにメールを 送ってしたんですけれども値段を聞いて なかったんですよね。これはねボートの 値段なんで値段がいくらなのか今のところ 分からないけどでもここは相当すごそうだ 。お、見事じゃないですか?カーテンも よく動くし。 いや、普通ではない心の安らぎを感じます 。 それは多分波が立たないからでしょうね。 ハワイではざざザーと寄せる波を見て心を 落ち着けたのですが、ここは周囲を全部 干渉に囲まれているからはほとんど 波み立たずまた別の安らぎを与えてくれ ます。 [音楽] これだけでも素晴らしいと思うけど戦争中 当時は水の上を見れば戦艦山と引きる連合 艦隊が100隻ぐらいいたそうですね。 巨大な国はとててつもない景色だったん でしょう。 しかもここはお食事も体操美味しいと来て います。今も素晴らしいそうですし、当時 も本当に良かったそうです。 レストランは豪華解放的な作りです。天井 が高いですね。 注文したのはアイスティ2.5ドル、 そして11ドルのこれはマグロのお刺身 です。量がこうやってみると大分かりに なりますかね。かなり多いです。ここは まさにマグロの産地ですから。比較的安く 手に入るようです。そして現在でもマグロ を生で食べる文化は残っているそうです。 私が日本人だったのでお箸まで提供して くれました。 いろんなものが美味しくそしてお醤油も あります。お醤油は現地の調味料として 普通に使われているそうです。 昔トラック島では戦争中であっても物が 豊富にあってかなり贅沢な暮らしができた という話ですが昔の人もこんな感じだった のかな。本土と変わらないあるいは本土 よりもものがたくさんあるという状態だっ たそうですね。こちらはカ丼です。 メニューが日本とはちょっと違うんじゃ ないですかねとレストランの方から言われ ましたがいや同じだと思いますね。醤油を 使っている同じ味がしました。 アイスティは2.5ドル1°払うと飲み 放題になります。何度も補充されるので お得感がかなりありました。味は 美味しかったです。 お米も日本と同じような感じだ。昔の トラックもそうだったんですね。南国の リゾートのような雰囲気で本土と同じか それ以上の暮らしをすることができるもの は何でもある。もちろん私は観光客だから こそこんな体験を今できているわけですが 、味噌汁も出汁がっぽくこの豊富な メニューも簡単にご案内したいと思います 。メニューは相当豊富です。レストランも 自がかなりいっぱいいるみたいですね。で 、朝食メニューとかランチメニューとか 色々あるのですが、さっきのお刺身はこれ ですね。11ドルとなっています。 [音楽] わさびとあとはラインのが添えられてい ました。ま、他にもかなり色々メニューが あるのでまたご案内したいと思います。 あと飲み物がコーヒーはわずか2ドル。え 、そしてホットチョコレートココアが3 ドル。あとはアイスティーは飲み放題と いうことで贅沢な暮らしをしました。戦争 中も一時期は贅沢な暮らしだったようです ね。 翌朝は予定がないのということもあって9 時30分にレストランにやってきました。 もう閉まってるかなと思ったんですが、まだやってましたね。朝食メニュー色々ありますが、この 4 番のローカルブレックサスの新聞かな。インターネットはこの FSM テレコムというところがやってくれてるんですが、繋ぐとすごく高額なので、今のところやっていません。ホテルには Wi-Fiがありますんでね。これである 程度の通信ができます。 センキュー。 レストランの店員さんは愛そが一見良く ないように見えて小さく小さく微んでくれ ていますね。レストランの利用代験は全部 チェックアウトの時にクレジットカードで 生産できるみたいです。こちらコーヒー 2ドルですね。え、それからこれが豪華な 朝ご飯なんですが 多分かなり豪華なブ類イのご飯になると 思いますが野菜はないんだよな。 新鮮野菜は栽培が特に行われていないよう に見えます。どこかにはあるんでしょう けれども、基本は輸入品のようです。だ からかなり高いと思います。 でもこの食事はとても美味しい。バターで ちょっとムニエルみたいに焼いてくれて いるみたいでしてバター上優にして 食べよう。ちょっとかけすぎか。 直感的にかなり美味しい味です。 バター醤油にさらに胡椒までかける。ご飯 も日本とそっくり。これで美味しくない はずがない。 朝ごは食べている間に雨が降りました。いいですね。昨日より柔度弱しいな。そしてそ風つき。壁に英語で注意書きがありました。短いスカートを特に女性が履くのはあんまり良くない文化ですよと書いてあります。翻訳してみました。上半身裸の水着とかあの足がいっぱい出てくる水着とかは良くないですね。 確かに女性の姿は多く見かけるんですが、 みんなロングスカートです。 リゾート敷地の中には動物が色々いて、猫 が今自分の足したようを砂で埋めて綺麗に していますね。 かなり入念だな。衛星を保つのは大事です ね。 これですね。部屋の中に水タンクを設置し てくれていて、これでのみ水が確保でき ます。便利ですけど。これもなのかな? 飲料水もだとしたら結構大変ですよね。 お水もね、蛇口からもう出るかな?さっき 出なかった時もあったんです。ああ、今 出るようになってますね。1日に2回 ぐらい電気の切り替えで水が出ない瞬間が あるようなんですが、ま、こう綺麗そうな 水は出るんですが、まあでもね、歯磨きと かもこっちの水使っておいた方が我々日本 人はいいかな。12時になると部屋が ノックされて掃除の方が来ました。あと 30分で出かけるのでもうちょっと待って くれますか聞いたら申し訳なさそうにのと 言われたのでそのまま部屋に入ってきて もらいました。僕もそろそろ出かけます。 12時30分に部屋を出発。実はこの ホテルには船付き場が併設されています。 船に乗こから出発することができます。車 はなくても大丈夫。これからトラック島の 過去を知るためのツアーに出発です。 現地に反省機場を住んでいる末永さんという方に今回は連絡を取ってガイドをお願いしました。水 あ、雨水なんですね。 から走ります。 はい、分かりました。 雨がちょっと うわあ。時速 40km ほどの猛烈な速さで船は水の上を滑るようにして進みます。 通常太平洋のど真ん中でこんな小舟で時速 40kmもしたら波が全身を洗うようにし て飛んでくると思いますが、ここは周りを 干渉に囲まれた内海ですからとても 乗り心地が良かったですね。 さんは公開のようにして前方を見張り、 時折り朝瀬の場所を確認しながら、じゃあ 次はここを見に行きましょう。この船を 総戦されている現地の方に合図を出し ながら船は先体を傾けるようにして進み ました。 最初に見に来たものは左手水の上に突き出 ているようにして見える。かつて日本軍が 使っていた部位です。あの部には連合艦隊 機関の戦艦武蔵がりつけられていたそう です。あれに取り付けられていたのか。 ただ戦艦武蔵はずっとこのトラックに待機 しているだけで実際に使われることは ほとんどなかったそうですね。もはや戦艦 が時代に合っていなかったということだ そうでやるせない気持ちもあったろうと 思います。奥の山の上には東台がもう光っ てはいませんが立っていました。昔は夜で も船が忙しく出入理していた証でしょう。 周りには他の人たちの船もいっぱい行きっ ています。この辺りは本当に道路よりも船 の方が便利だし、コストもかからない様子 で どの船もスピードを出しお互いに縫うよう にしながら生きします。 昔は東京湾でもこんな景色が見られたと いう話ですね。江戸時代とかの話ですね。 この辺りでは今でも江戸時代に近いような 雰囲気が至るところで繰り広げられてい ます。まさに海の国の眺め。 お互に水が十分あるところを安全に確保し ながら、しかしもスピードで先体を傾ける ようにして進む。この体験は日本では なかなかないと思いました。 あそこから向こうは危ない場所だと地面に 悔を立てて朝瀬の場所も警戒させています 。 それは先ほどまでいた春島のお隣かつて 連合艦隊の拠点として使われていた夏島に 到着。この辺りは水深の浅いところが多い ので3гэн省に注意しながら船は進ん べき道を慎重に見極めて進みます。最後は これも江戸時代のようですね。竿を差し ながら到着しました。これが夏島のかつて 海軍の人たちも使っていた船つ場だそう です。ここで下ろしてもらい東内の山作に 行きます。その間は別のところへ回して もらいます。 あ、この3橋が日本海軍の拠点のトラック の入り口の1つとなったんですね。かつて 海軍が使っていた三橋はこの1段にある ものでこれを修理して今も使っている みたいです。また海から拾ってきたそう いうロープとかを拾ってきてここに くり付けて船付き場を整備したりしてる ようですね。いろんなものが海から 流れつくようです。 はい、お願いします。田 さん、植物なんかあんまり興ないですか? いや、かなりあるんですが、今回はあの、どっちかというとその あれですね、歴史的なあれを紹介した方がいいのかな ね。何でもかんでも学園の とお話をしながら島の中へ入ってみると全てジャングルのようになっていました。しかし今でこそ自然に帰っていますが昔は島の玄関口のような立派な道だったようです。あ、入口のを守るための軍事施設がありますね。統地下だ。 この中に入って、もし敵が来たらば反撃 するための施設だったようです。 足元もコンクリートのようなものが作られ ています。水を外へ流して道を整備する ための仕組みだったようです。 この道を進んでいきますと、海軍病院の 敷地へ。ここにはお風呂があったようです 。そしてガイドの末永さんはここで実際に 風呂に入った方と話もしたことがあるそう ですが、ここは脱だったようですね。あ、 なるほど。木造だったんだ。で、ここに もううも漏れていますが、コンクリートで 作られた浴草があって、 当時本土にもなかなかなかったような設備 。石油を使って安定的にお湯の温度を保つ ような仕組みがあったらしいです。本当だ 。パイプが残っている。今のトラックにも そういうものはほとんどないでしょうね。 お風呂場後から1段上がるとよく整備され た平らな道がありました。海軍の一台拠点 の夏島を結ぶ道路の後、今でもよく使われ ています。お向車が来ました。ラ 自動車はほとんど通りません。 これも昔の日本もこんな感じだったん でしょうね。 はい。こちらはなんと在東京の ミクロネシアの大使の方の実家だそうです 。ここにあったのか。トラックにちょ犬が ね、迎えに来てくれるんです。ちょ、犬が ね、迎えに来てくれるんですけれども、 ちょ乾きてね、よくしつけられてるんだ けども、ちょっと噛むみたいなんでな。ま 、長ズボンは履いてるんで悪いね。 巨大な水槽。そして こちらは上の家は木造で後から使っている ものですが、家の基礎部分がコンクリート になっています。 これは日本軍が使っていた時の基礎をそのまま流用しているそうです。このように日本軍のものを流用しているものが至るところにありました。 そのまま一緒。 うん。 あ、そうですか。 今と聞こ写真も あ、ちょっと噛んでくるな。噛ずっと噛で取れなくなって遠くまで来るの珍しい。 はい。 こちら教会です。 この場所は日本の領土ではなく日本が国連からオッケーをもらって統治していたという場所なのでその時の条件として元からあったキリスト教はちゃんと保護してくださいねというルールがあったそうですね。 とても心地いいですね。 解放的な外の風が入り込んでくる南国にふさわしいような作りです。 元々スペンやドイツなどの植民地だった時代がありましたからね。 キリスト教も普及していたということです。 むしろキリスト教が1 番根付いていたようですね。 またその横には、あ、これは昨日もあった鉄道のレールが、 ここ島には軍の夏島本線という鉄道を建設する計画があったようで、その時に使うようのレールだそうです。 いや、これはもう一流のレールです。 当時の日本ではこのような立派なレールはほとんどなかったはずなのですが、軍事郵送のためにいいレールを持ってきたんですね。 出たけど、 もう草に埋もれていますがでもコンクリートの立派な階段がいくつも残っていましたね。 ここは海軍病院の後だそうです。衛星を保つために今の時代でもそうですが、ほとんどの建物は高ゆ岡式だったようでコンクリートの基礎部分だけが今でも見事に残っています。でもこんなもんではなく私の印象ですが 10 倍ぐらいは大きな病院だったようですね。 そして悲惨な貢献がここでも繰り広げられ ていたようです。トラック島は日本から かなり南にあって、むしろパプは ニューギニアに近いぐらいのところなの ですが、この辺りにラバウリアガル カナル島などの激戦地があって、そこまで の後輩基地としてトラックが重視されてい たそうです。この辺りでは地獄のような 苦しい光景が本当にたくさんあったそうで 、インターネットで調べると当時の悲惨な 要素を多く見ることになります。あまり 悲惨な映像をここではお見せしませんが、 この地獄のような、特に戦艦大和や戦艦 武蔵はあまり戦争では使い道がなかったの で、ここで豪華なオフィスビルのような 使われ方をしていたという話です。 しかしラバウルやニューギニア方面から 撤退してきた怪我や病気の人たちがこの 病院で悲惨な思いをしていたという光景は あったそうで、トラックにもその死の危険 が近づきつつある状態ではありました。 病院のところを過ぎると立派な道が引き続きなります。 いや、本当に大きな道だったんですね。 いい道を整備したんですね。この手前のところにもう草で埋れていて分かりませんが高い石垣きがあって、まるで大阪城の上から下を見下ろすような立派さでした。この下にはかつて 5 年間まるで大阪城から地上を見下ろすような景色でした。 この下の低くなっているところには巨大な 倉庫が並んでいて、5年間トラックの人 たちが飲み食いできるだけの食べ物が蓄え られていたと言います。そしてこの道の 左手のところに連合艦隊の司令部があった そうで山本磯6長官などもここで勤務して いたということですがその手前を見ると 見事な排水溝が残っていました。こんな ものが整備されているぐらい当時の トラックは本当にある意味発展していた ところだったんですね。ここに水が流れて いたようですが、今では土や草などが 埋まって使えなくなっています。 軍事的に重視されるとはそういうことなん ですね。入り口には石の玄関口があります が、ここに札をかけて連合艦隊、司令部 などと木札団がかかっていたと思われます 。 また入るとここにあったのは、ま、ハイル にあたっての主営所のような場所で、当時 のことを知っている方から私も色々と またきということで教えていただいたん ですが、山本磯長官であってもここでは 身分証明書を提示してから中に入ったよう です。でも本当に大きな警備書ですね。今 の自衛隊基地のものよりも大きいです。 足元にはこれは歩きやすいように整備され ている石が敷き詰められています。 遅れはに鶏が今慌てて逃げ出していきまし たが、ここに連合艦隊司令部の立派なあっ たそうで、木造の建物は全部なくなってい ますが、車妖請が見事ですね。ここに自動 車が何台かやってきて、山本磯長官などが 降り立っていったという光景は確かに想像 できます。そういう場所だったんですね。 戦争が激しくなってくる昭和19年頃まで はここでは比較的豊かな暮らしが送られて いたそうです。横には 高松の宮電荷がここを訪問した時に作った という記念費があります。末永さんが 分かりやすく加工した資料を見せてくれ ました。月のように書いてあるようです。 大正4年新天地特を迎えて夏の国の果てに も君が千歳と祝う春脇に蹴り 天皇陛下の時代が1000年続くようにと 祈る時代になりましたという話ですが実際 には25年で終了しました。ちなみにこの 場所は現在地となっていてあの奥の建物に いる方に5ドルぐらいだったかな。お金を 支払いました。つまり有地の中を今見学し て練り歩いているということになるのです が、う、これは日本軍の貯水タンクですが 、現在でも使われているようです。この 右手の緑色の建物は日本軍の建物の基礎 部分の上に建設されてさらに天井を伝って 現在でも貯水タンクを活用しているよう ですね。 色々使えるものは使って頑張っているよう です。これはグアム大学が支地の中に建設 した。ここが連合艦隊の第4艦隊の司令部 であったと書いてあります。これはここに は司令官のトイレがあったそうですね。中 は弁です。ま、80年前とはいえちょっと 落ちたくはない場所ですね。さらにここは 地の中ということでそれぞれのオタクの中 を見学するようなこともま事実上できてる わけなんですがこれはその辺から取ってき たパンのみという植物をあの石の中で発行 させて今保存色を作っている光景結構 珍しいそうです。匂いは私たちにとっては かなりきついと感じられるものになりそう です。 さらに有地の中に竹が生えています。本来 トラックに竹は生えないそうですが色々の 材料に使えるということで日本統地時代に 持ち込まれて現在でも使われているよう です。 うん。景色としてはしっとりしていて綺麗 ですね。外来種ではあるのですが、日本で も昔物の材料として竹をいろんなところで 栽培して、現在ではもう誰も竹を使わなく なったので、いろんなところで竹部が大 繁殖しているというのがあります。ここで はご覧の通り例えば物干などとして竹は 便利に使われているようです。このお家が 使ってますね。敷地の外へ出てきました。 現在もロータリーのような状態になってい ますが、かてここには日本軍の検問所の ようなものがあったそうです。ちょうど 交差点だったので、またこのすぐ近くには 日本海軍が管理していた有郭もあります。 この景色の中にも当時の名残りが。 まず奥の住宅は当時の建物の一部を今も 流用して建いようです。奥にはその郭の 女性たちが入っていたお風呂があったそう で、手前には有郭の入り口で行列を作って いたお客さんたちが使っていたトイレが あったそうです。この辺りに休みの日に なるととてつもなく長い行列ができたのだ ということでした。また手前に コンクリートの悔いが上っていました。 海軍幼地と書かれています。確かにここは そういう場所だったのだと理解できました 。有郭は海軍が全て管理していたそうです ね。 その先昔の景色がよく保存されている場所 があります。 入江の真ん中を埋め立てて自動車が通れる ようになっています。これは元々日本軍が 整備したものを後の時代に中州の事業とし てもう1度同じように復活させたのだそう です。だから日本時代とほとんど同じよう な景色らしいです。エンジンの音が聞こえ ます。 ものすごい速さで船が遺跡近づいてきまし た。やはりここは自動車よりも船の数の方 が多いようです。昔もそうだったでしょう ね。船の速度はだんだん落ちてきました。 実はあの部分だけ橋になっていて入江の もっと中の方へ入り込むことができます。 あの橋には当時名前がついていたそうです 。ちょんちょん橋とかちょめちょめ橋と いうそうでこれは有郭がこの先にあるので それのイ語なのだそうですね。現在でも 英語のパンフレットではこの場所を ちょんちょん場所と紹介しているそうです 。当時はこの辺りが工場地帯になっていて 色々な建物があったそうです。今は何も ありません。 少なくとも見えるものは何もなく、工場は全てなくなったようです。元々工場とか火兵経済というものを必要としていた地域ではなかったのですね。戦争が終わって元の姿に戻っています。 あ、 日本時代のもう120 年も前の作られた建物で現地の子供たちが通った日本語学校の学校って書いて高学校って言うん。 これはこれ今から行きます。その前にちょっとクリありましたね。 あ、本当ですね。 これみんなよくこ座ってるんですよ。だから綺麗なんだけどこれは当時のこの山町の道路の細送道路の ああ、じゃあとても見事な装があったんですね。 うん。だーっと全部装。 ああ、木基礎は3ゴですか?これは。 そう、そう、そう。あの、下にベね。 あ、当時は島のあちこちが装されていたようですね。そして見事な装が残っているところの脇に 1 段低くなった運動場があります。これも日本軍が整備したトラック公園で現在でも運動場として活用されています。 鶏が歩いていますね。鶏は相当昔からいた ようですね。もしかしたらスペインとか ドイツが持ち込んだものが未だに野生化し ているのかもしれないですね。こういう 公園は大事なものだったようです。海軍は 船に乗ることが多いのでどうしても 運動不足になりがちでここで運動会をやっ たり船のりの人たちが皆運動して体を鍛え たりしていたと言います。横に先ほど紹介 いただいたトラック島の高学校があります が、これは当時の建物が未だに使われて いる貴重な例だそうです。今は夏休み。昔 は学校がたくさんやっていたそうですが、 最近ではお昼前に学校が終わってしまう ことも多くなったと言います。 ス永さんが道を切り開いてくださいます。 この先に見るべきものが残っているそう です。日本語が書かれた石碑がありました 。感じでトラック公園と書かれています。 対象時代のものでこの公園が整備されて からずっと立っているようですね。また横 には巨大な木があり、これは海軍市間で あった高松の宮電下がここを訪れた時に 記念に植えられたものだそうです。今でも 元気に育っています。 この辺りには百貨点とか色々なお店が並ん でいて相当の賑合いぶりだったようです。 しかし建物も表に見えるところは随分 少なくなってきて道の舗装も壊れ一歩歩く ごとに中に水が入ってくるような状態に なりました。 しかし確かに道の脇には昔日本軍が整備を した排水溝が 取りかった地域の方が皆こんな感じで挨拶 してくれます。昔はここが賑いのメイン ストリートだったんですね。さや色々なお 店が並んでいたのでしょう。当時の姿を私 の頭の中で思い描いてなんとなくAIで 生成してみました。戦争中にわずか一夏見 られたような賑ぶりだったと思います。 しかしこの横の排水路は本当によくできて います。雨の多い地域だからですかね。 横にはかつて使われていた桟橋が現在でも 使うことができます。日本時代のその桟橋 に小舟をつけていただきました。これで 夏島の周りをもう少し回ってみましょう。 滑ることもあるので慎重に壊れかけている 3橋から船によって勢いよく出発。他にも この辺りにはたくさんの桟橋があります。 みんな日本時代に作られたもの。 これは水橋というそうで確かに当時の コンクリートなどの構造がまだ残ってい ます。 ここにやってくる軍艦に水を給水する タンカーを発着させていたそうです。その 桟橋のすぐ近くには沈没した水のタンカー も実際に今も姿をとめています。昭和19 年2月17日と18日の2日間トラック島 は激しい空を受け壊滅し2度と復興しませ んでした。当時トラック島は中部太平洋に おける最大の拠点であったのでアメリカ軍 も入念な準備を行い大量の飛行機で新珠 攻撃の倍以上の構成を見せたようです。 ここにあった重油タンクや止まっていた 郵送線がこごとく沈没されていき、地獄の ような光景であったそうです。当時日本で は多数の船を民間から徴用して輸送線とし て使っていまして、特に豪華客線などが 多くトラック島にもやってきていたそう ですが、こうした船が次々沈没していき ました。 現在トラック党の中に沈没している豪華 客線たちは世界の人たちを魅了する ダイビングの名所として知られています。 特に平安丸は横浜に保管されている客線川 丸と同じタイプの船だということで豪華な 船の中を大バの人たちが見て回るという ことで外貨を獲得する手段にもなっている そうです。国を代表する貴重な観光資源に なっているそうです。貨物線藤川は 1997年の映画タイタニックで沈没線の モデルとして使われました。 復讐の時には干渉の中にいた船が皆外を 目指して逃げていったということです。 特に有名な船の中には赤木丸という貨物線 がいて、これにはトラックから内地へ逃げ ていく人たちを多数乗せていましたが、 これもアメリカ軍の攻撃によって沈没した ということで誰1人生き残ってはいない そうです。連合艦隊はトラック党が危ない ということを知っていたようですが、輸送 戦にはその事実は知らされていなかった ようです。 さて、ここからは向こうに見える 1万 t地区を目指します。ここは現地の人たちの間でも 1万tと呼ばれている場所だそうで、 1万t の船がつけられる大きな桟橋が昔から存在していたそうです。現在でも大きな船つき場が残っています。 40 年ぐらい前に日本の ODAでこれ修復し来たんです。 あ、そうなんですか。 あの海軍の1番の3場所。 あ、は。 じゃあ今もそれなりにも 昔からあったやつ。 あ、そう。あれもそうなんですか。日本時代の実際今も 1万tつけられるんですか?ここに。 えっと、水深眼壁で9m あるから全然問題。 ああ、行けますね。 当時の日本が作った1万t岩壁は今また 1万t の船がつけられるように日本の経済協力によって復興し、実際にコンテナがたくさん運び込まれていますね。またこの 1万 3橋の近くには巨大なタンクがあり、中部太平洋を行動する軍艦の燃料として使われていたようです。 トラック空習の時にこれが潰れてしまったものもあり、これは最近まで姿をとめていたのだと言います。しかしつい最近ここにあった重タンクは全て撤去されて広い土地が作られました。 ここに今度新しく工場を作るそうですね。戦争中にはトラック島にいくつも工場があったんですが、日本軍が引き上げていきアメリカの統地も終わって現在は工場というものはなくなっています。 ま、ある意味では原子的な生活に戻っている印象を受けますが、まもなくここにヤの実から接石鹸などを作る工場を作るということです。すると地域の人たちもここにヤの実を船で持ち寄って現金収入を得られるようになると言います。 昔から このも取れるから では次に向いの島へ向かってみましょう。平たい島がありますね。向こうに見えるのは日本語竹島。 [音楽] 見るとこの島は周りほとんどが人工物で あることが分かります。まず石垣が組まれ ていることからしてお分かりいただけます が、ここは人工的な埋め立てによって成立 した島で、梅立て地としての出来かなり いいそうです。この竹島の飛行場は とにかく重要だったようで島の周りの大 部分を埋め立てて使っています。今の長崎 空港などに似ていますね。当時で言うと 羽田空港よりも大きな埋立ての滑走路だっ たようです。ちなみにこの写真はブルー ラグンリゾートのロビーに飾られていた ものから切り抜いて使わせていただきまし た。 セ永さんが先に上陸して船を切断して くださいます。石垣きは日本軍が組み上げ た当時のもののようです。トラックと空の 時でしょうか、爆弾が落ちて大きな穴が 開いているところがありました。 しかしこの爆弾の直撃を受けたところ以外 は石垣きが今でも残っています。かなり 高い技術で整備された優秀な岩壁だった ようで、今でも使い続けられています。 現在ではこの辺りはほとんどジャングルに 戻っていますが、昔は飛行上だったのです ね。 続いてまた船に乗って移動。今度は元の 夏島へ戻ってきました。波が少し 競り上がるような坂道が海へ向かってい ます。ここには夏島の水上飛行場跡があり ます。 車のような感覚で船を事在に使う波の 穏やかなトラック。 上陸すると当時水上飛行機を水の上へ 下ろしていたスロープの跡が何箇所も残っ ていました。 波の穏やかさが美しく 当時の景色も簡単に想像することができ ます。このような水上飛行機を水の上へ 下ろしてあは水の上で一気に加速して離陸 していたのですね。山本を磯海軍大将も 最後にここから飛行機に乗って南方へ 向かい戦死したのだということです。横に は日本軍の反撃用の陣地統地化が コンクリートで作られています。その上に 何やら建されています。ここには一時期 学校が存在していたようです。で、日本軍 の軍事施設の上をうまく利用して学校の 施設を使っていたみたいですね。足元には 金属の我がいくつも並べられています。 これはここに飛行機を固定するためのもの 。に補助カソ路があって カ走路ですのであちこち舗装されていますが破壊されている部分も多いです。この先はもう装がほとんどなくなっていて 水じゃなくてドロドロなんです。 靴の中にたっぷり水が入り込んできました。 1 度塗れるとなかなか湿度が高いから乾かないんですよね。 あそこに高校の時の名残りのバスケットコートがしかし当時の様子がよく残っている場所も部分的にはあります。 日本人の感覚だと80年前と比べて現代の 方がインフラが充実しているような印象を 勝手に持つのですが意外にそうでもないの ですね。当時使われていた軍道路でしょう 。この脇のところにも見事な排水溝が設置 されていて、当時の雰囲気が感じられる 場所がありました。これは本当にいい 排水光ですね。これが昨日停止してしまっ た。今あちこちで水浸しになっているのも 納得です。 ここにも日本語での解説看板がグアム大学に作ってもらったやつがありますね。現在は学校も別の場所に移転したようです。 近くには船が打ち捨てられています。これは空習で船が破壊されたわけではなく、戦争が終わった時にもう日本軍が絶対反撃できないように持っている資産を全て廃棄させられたのだそうで、その時船も無理やり朝瀬に乗り上げさせられて使えなくなったのだそうです。 またこの場所から飛行機が海へ行って出発 するわけですが、船を捨てつつバリケード のようにして使って表情も使えなくさせ られたのだということですね。当時ここで はこのような姿が見られていたようです。 週に4便大日本航空で横浜までの航空便も あったのだと言います。また打ち捨てられ ている船の脇には 自動車のエンジンやこれは昔のバネですね 。 戦争中に使っていた軍トラックらしきもの も海へ捨てられています。ここまで徹底し て武装解場を行ったんですね。現地の歴史 でも戦争が終わったことを解除と教わる そうです。おトヨタマークがそう、これは 末永さんが教えてくださったのですがこの トヨタのマークは戦前からあるものだそう でトヨタのトラックだったんですね。こう やってみると戦争はそれほど昔の時代でも なかったのかもしれないと思いました。 近くには大量の車が打ち捨てられています 。日本軍はどこまで抵抗してくるか分から ない。戦争が終わった後もアメリカ軍に もしかしたら危険を働いてくるかもしれ ないからということで武装解除は徹底し、 絶対に反撃できないよう最新の注意を払っ ていたと言います。実際には平和的な武装 解除ができて、最後に日本軍がアメリカ軍 に浜辺の歌とか軍艦マチとかを演奏して、 クラック島での日本軍統地は終了したのだ と言います。これも自動車の車ですかね。 周りのゴムの部分は残っていますね。 トラック島のあちこちの海岸に行くとこの ように機械が捨てられている光景を多く見 ます。本当にこういうのはいっぱいあり ました。 それではまた船に乗って いよいよ春島ブルーラグーンへ戻っていただきます。 トラック島で最後に日本軍によって演奏されていた曲の 1 つでしょうか。浜辺の歌を聞きながら鏡のように光る水面を時速 [音楽] 40km で突っ走しります。こんなにビタと止まった鏡のような海を見たのは本当に生まれて初めてです。 昔トラック島に戦争でやってきた人たちも なんと素晴らしいところなのかと完激した のだということですが、昔の人の気持ちも 分かったような気がします。 戦争という大変な時代の合間にあっても、 また戦争という悲惨な歴史を学ぶ中でも 全て忘れさせてしまうぐらいにトラックの 独特の自然は美しいもので向い側から 時折りやってくるフレの姿がまたここは 普通の海ではないのだと感じさせました。 あそこにはダイビングの船が止まってい ます。カナダのバンクーバーあたりから やってきたようです。そしてダイビングを 楽しむ人たちが時折り休憩したり止まっ たりする場所としてサービスを提供し続け ているのだと言います。ずっとここにいる 船なのだそうです。 向から次々 仕事や用事を済ませた船が自分たちの島へ 戻っていきます。トラックの人たちは皆親 で向いからやってきた時、お互いにこんな 感じで手を上げて挨拶します。海の上でも 丘の上でも同じです。 一生こうしていたいぐらいに水の上での 体験は良かったです。 末永さんが歴史の写真を見せてくれました 。戦艦和と戦艦武蔵が同じところに止まっ ているたった1枚の写真です。本当に 大きかったんですね。 ね。 東京駅と一緒だ。あ あ、そうですか。東京駅と同じぐらい大きい船がここに 2 つ並びそびていたということですが、その大きさの感覚もよく知ることができました。そして戦争は本当にあったのだと今更ながら感じられました。なるほど。確かにこの場所だったんですね。 [音楽] これで今日の午後を使った夏島や周りの島 の戦席巡りはとりあえず終わりとなります 。 トラックには本当に多くの見るべき場所が あって、ダイビングを卓越した技術があれ ば水の中も当時のゼロ線とか船が色々見 られるそうです。 しかしこの鏡のようにぴたりと止まった水 の上を浮くだけでもトラックらしさは十分 感じることができたと思いました。 さて、こうして見学は終わったんです けれども、靴がね、もうびちょびちょに なりましたので、ブルーラグ近くの商店 ですね、これ雑り購入。商店ではやはり島 ということで加工食品が多く売られてい ます。元々は天然の木の実などを食べる人 が多かったのですが、最近はこのような 加工食品が入ってくるようになって、逆に 生活習慣が悪くなってしまっているという 人も多いようですね。日本から入ってくる お醤油も人気で色々な種類があります。 トラックの人たちがよく使う調味料の1つ だそうです。 雑り購入しました。2.5ドルです。あ、 これさっき言ってるかもしれないですけど ビーチサンダルのことをここでは雑りと 言うんですね。この部屋に戻る木星の階段 なんですが、基本的にはね、どれも大丈夫 なんですけれども、1個新しいやつがある じゃないですか。この新しいやつの手前の ね、ここだけはちょっと相当口てるみたい なんだよね。ま、奥の側の板が大丈夫だ から多分大丈夫と思うんすけど。ちょ、 飛ばしていこう。 あれ、僕の部屋飽きっぱなしじゃん。今日 の夕食は焼きそばです。昨日食べたカ丼 よりも値段が高いのですが、 なんか日本人の感覚だとね、活動の方が 高い気がするんですけど、多分あれなのか な。野菜がいっぱい入ってるから、それが 結構効果なんじゃないかな。味は日本で 食べるのと同じような感じだ。相当 美味しいですね。心欧米系の方にも人気 みたい。向こうでも食べています。さらに 名物だという揚げアイスクリームを注文し たんですが、お、すごい大きさ。 ここでのお食事をする時は部屋番号を伝え て番号を書くだけで後で生産することが できます。部屋付け可能。この伝票には 日本語が書いてあるのが目につきますね。 消計税チップ合計ありがとう。また来て くださいなど。日本語を話す人はいないん ですけれども日本語での案内が手厚いです 。理由があるようです。トラック島の沈没 線の中の1つに豪華客線の愛国丸というの がありました。この愛国丸は軍に徴用され て輸送線としてトラックによくやってきて いたそうです。 昭和19年の空習で沈没してしまいました が、その時トトラック島で日本語教育を 受けた日経のキオセックスさんという方が このことを見てとても悲しく思いうために ダイビングを始め、今は世界1の ダイビングショップとしてここが知られて いるそうです。 はい、よさんになりました。おはよう ございます。お隣でね、夫婦喧嘩してる みたいなやつね。何言ってるのか分から ないんですけど。 隣の部屋との音がね、さすがに夫婦喧嘩になると聞こえてくるみたいです。朝の 6時半ぐらいなんですけどね。 なんかガンガンとか物としめ大丈夫?今日の朝ごはご飯はチャーハンです。シャーハンは 11 ドルなんですが、ま、それなりのお値段がしますが、でも具が入っていて美味しそうだ。コーヒーは安いんですよね。 2ドルです。卵が相当貴重品らしいんでね。うん。 野菜もそう。あ、美味しいね。香ばし日本 のチャーハンと同じような感じだ。昨日お 世話になった末永さんにまだガイド量をお 支払いしていなかったのですが、事前の 約束通り町へ車で一旦送っていただきまし た。その時ガソリンスタンドを見学させて いただけることになりました。気になる 張り紙がありました。生産機にお金を払っ てください。か係かりの人にはお金を払わ ないでくださいとあります。トラックでは お金を預かるとかお金を貸すとか信用、 それから義務とかそういった概念があまり ないようです。だからここでもしの方にお 金を払ってしまうとその人のポケットに そのまま入ることになって会社の口座には 入らないということで絶対に係りの人には お金を払ってはいけないということになっ ているらしいですね。昔から木の実などを 拾い自然の恵みを食べていくあまり殺伐と して社会ではないのでこうした文化になっ たのかなと思いました。よし、じゃあ今日 はまた2日ぶりにこの島をグアムへ行く 飛行機の出る日なのではい、チェックアウ トってということですね。チェックアウト をしに行ったらなんとフロントの方から 言われたんですけど、今日の飛行機は結構 になったので今日はトラック島に閉じ込め です。僕が予約してたユナイテッドは今日 は来ないと言われました。なんでそんな ことになったんだ?別に天気は問題ないと 思うんだけどね。とりあえず仕方がないの でお昼ご飯から食べることにしました。 お昼ご飯は牛肉の炒め物。かなり美味しいですね。醤油と胡椒ョで味付けがされています。美味しくないはずがない。 はい。 いくらでもどんどん食べられます。レが美味しいんだよな。現地の方はご飯に醤油をかけるということもやるそうです。やってみましたがそこまでは美いしくなかったかな。 でもやっぱりここら辺のソースとか美味しいと思いますね。多分料理文化も日本が初めて伝えたというものがかなりあるんじゃないでしょうか。だから味覚が本当に近いと思いました。夜は激しく雨が降りました。おはようございます。トラック大材最終日です。今日は久々に天気がいいのでもう朝この時間になると通勤ラッシュがあるそうですね。 いろんな船が仕事、ま、もしくは用事など で各離島から20いくつの島があるそうな んですけれども、それぞれの船に乗って 一斉にこちらへ向かってくるそうです。 こっちにもいるかな?あ、いるいるいる。 海の国の景色だね。ちなみにこのホテルの 建物は今で言うユナイテッド航空かなの。 当時のコンチネンタル航空がこのホテルを 作った時にニュージーランドから炭水を 移入して持ってきたものだそうでかなりね いい材質のもので長持ちするようですね。 杉って本当にいい木材みたいです。だから 日本にもいっぱい生えてんだな。コーヒー は飲み放題。今日はコンチネンタル ブレックファストです。フルーツの 盛り合わせが付いてきますね。あ、しかも 結構輸入されたいいフルーツばっかりだ。 地元でもある程度取れるはずなんだけどね 。そして皆さんさらに問題が続質です。 今日こそトラックを脱出するはずだったん ですが、元々飛行機は2時間30分遅れと いうことで聞いてたんですけど、さらに どうも今日も運行しないらしい。しかも今 太平洋に津波が迫っています。現地も大変 なことになってると思うんですが、え、 ロシアのカムチャッカー半島で王子が発生 したそうで、え、この関係でアメリカの 圧島等とかにアリューシャンレッドに津波 警報注意法、え、ハワイにも津波警報で、 え、グアムにも津波注意法が出ています。 で、私のいるミクロネシアはこの辺なん ですけれども、え、どうも30cmから 1m程度の予想の津波がこれから到達する ようです。ま、幸いにもここは天然の防波 堤に囲まれたトラック島ですから、周りの 津波は全部外側で打ち消されてしまう だろうと思います。おそらくほとんど津波 については無視して問題ないものとは思い ますが、ちょうどね、情報も手に入れる ことができたんですが、津波の件はまず 心配いらないようですね。もうすでに日本 沿岸には到達していますが、30cmとか が来ていて、ここまでの津波となると途中 で海流に破壊されるし、ま、しかも周りに はトラックの干渉があるということで何も 問題はないようです。あと飛行機が結構 する理由なんですが、一定以上遅れると もう労働時間が超化してしまうということ から、え、24時間遅れ扱いで翌日便に、 え、途中のところで打ち止めにして 振り返するらしいんですね。で、昨日は それが発生したみたいなんですけど、今日 遅れる理由は謎らしいです。2日連続って いうのはちょっと聞いたことないんだよな 。このホテルにいるだけなら快適なんです けどね。でも僕はもうこの島を出て、この 撮影もそうだし、他にも東京とかで案件を こなさなきゃいけないので、もう出ていか なければいけないんだけど、出る方法が ないから外に行くことができず、ただここ で贅沢ざ昧をするだけか。 ちょっと焼きもきした気持ちになりますね 。連合艦隊がここにいた時もそんな感じ だったのかな。まあ、今の僕の状況とは 比べ物にならないほど大変だったと思い ますが。本日は気になっていたトラック風 すき焼きを注文しました。これすき焼き 日本のとは違いますけれども味はかなり 美味しい。これはね、白滝かなと思ったん ですが春サメみたいですね。春サメがある んだな。意外に味は日本のすき焼きと近い です。肉の種類は全然違うけどね。朝は 天気が良かったんですが、午後は西の風が 吹いてちょっと悪くなってきましたね。風 が強いです。ですが、海を見るとこれね、 そんなに波は激しくないんですよね。 ちょっと水面が動いてるかなぐらいなんか もっとザバーンみたいにはならないじゃ ないですか。周りを全部囲われているから ですね。だから今日みたいな天気、今 みたいな天気でも沖合いの方を見ると やっぱり船が動けている。いつでも小さな 船を動かすことができる。だから海軍も ここに目をつけたし、今でも便利に使われ てるんですね。トラックらしい眺めだな。 お皆さんの荷物が付いてますね。団体の 荷物が一塊り。今日はね、日本から新前の 皆さんが大勢ここに訪問されているそう です。ここ大変いいホテルなんですけど、 たまにね、トイレの水が流れなくなっ ちゃうことがあるんですよね。という時は これもうバケツの代わりにゴミ箱があった のでこれに水を溜めてそしてこの中に注げ ばトイレは使えるようになるはずだ。 1回この中に呼び水溝水をしておけばよし 、大丈夫だね。で、あとはもう1回自動で 給水されるようになりますから。 今ね、ユナイテッド航空の方がこのホテル にいらっしゃるので情報を聞いてきたん ですけど、昨日飛行機が来なかった理由は ホノルの出発が遅れすぎてあまりにも 遅れるとね、途中の場所を飛ばすらしいん ですよね。それで中が通過されたので結局 ことができなかったと。で、今日はまた それと似たような状況になりつつ津波注意 法も出てるので、それで中はやっぱ来ない らしいんですよね。あの、この地元の方が いっぱいいたんで、そのみんなと英語 みんなペラペラですから喋ったんですけど 、ここはもうラグーンだから全く津波は 一切関係ないよと言ってました。だから別 に津波とかそういうことは起こらないんだ けど でも飛行機は来なかったんですね。僕は 明日帰れないと案件に支障してしまうん ですけど。 あの蚊取られたな。 あ、葉っぱが奪われた。今あそこに大きな カの穴があったんですけど、その中にカが 蓋をしようとして葉っぱを持っていったん ですが、結局ね、あの、今出てきたカは 奪われてしまったみたいですね。ま、 葉っぱなら他にもいっぱいあるでしょう。 あのカはちなみにめちゃくちゃでかいです 。うわ、いっぱいいるな。ちょっと気持ち 悪いな。あのカは人間の握り拳ぐらいの 大きさがありますからね。ああ、なるほど 。今日11時に中を出発してポナペに1時 15分に着いてでポナペからこの夜7時に 遅れてホノルから来るやつに乗って中を 飛ばしてグアムまで行けばまこんな感じ ですね。中クポナペグアムと行けば強に グアムまで出られたみたいなんですけども 後の祭りだキャンセルですよ。4時35分 予定だった中華初む行き明日に最長だわ。 夜になってかなり風が出てきました。 さっきハワイにも津波が到達したそうで 1.7m結構高いですよね。来たんです けれどもここトラックは全く何もありませ んでした。あ、でもXによるとナウルでも 何もなかったみたいですね。ナウル結構 ここから近いのでうん。こういう位取り ですね。ま、ナオルで何もないんだったら トラックの方も多分この今私がいる干渉の 外側でも多分大きな出来事はなかったん だろうな。 それでは今日こそ最終日になるはずです。 朝ご飯はフレンチトーストとコーヒー。 今日この島を出られないと大変なことに なります。 とりあえず飛行機には乗れるようです。 空港行きのシャトル。このシャトルは有料 みたいですね。無料送迎ではないようです 。 しばらくの間はデコボコした道の上を進ん でいきます。アメリカが一度ここに アスファルトを敷いたそうですが、 トラックの方で整備をすることはあまり なかったようで、今は元通りボロボロの 状態になっているとのこと ですので、このようなぬるみ地帯が多く あるんですね。アメリカがODAをやった 時、アスファルトでは壊れてしまったので 、その次のODAではコンクリートの整備 しやすいものをこれ作っていったようです 。コンクリートであればあまり保守管理と かメンテナンスはしなくてもいいようです ね。これで空港に到着。空港にもトイレが あります。このトイレは元々は使えた らしいんですが、どうも聞いたところに よるとトイレができたその日にはトイレが 使用不能になったそうです。 どうしてもやっぱりこういうものを維持 するという文化がないので、ま、文化の 違いですよね。 え、空港には来たんですけれども、その後 大変なことになりまして、もう今からね、 とりあえずグアムに急いで行かなければ いけないんですが。で、この、え、中華初 グアム行きの瓶も、ま、今日は運行するん ですけれども、ところがね、この座席番号 SBY。これ何かスタンバイですね。昨日 も昨いも結構続いてお客さんが多すぎて今 大勢順番待ちになっているそうです。この 空港はかなりの長い行列になっていました 。出発の2時間ちょっと前ぐらいに長い 行列ができて、お客さんは順番にチェック イン。自動チェックインなどはないので 1人1人長い行列に並びます。また一応 上級会員用のプレミアアクセスと エコノミーの列が別々になっていましたが 、皆あまり関係なく並んでいるようでした 。これがそれぞれのカートですね。ただ みんなお互い順番は譲り合っています。 そしてやってきました。ユナイテッド航空 154便がホノルルから到着。4日ぶりの 飛行機ですかね。ということで、いや、 これ乗れないんじゃないかな。今から順番 にお客さんが機内へ案内されます。私は 登場券は持っていません。もしも飛行機の 中で突然の空席が生まれたり、意外に乗る 人が少なかったりということがあれば、 航空会社は予約多めに受け付けたりするの で、私の番が回ってくるようですが、でも 空席待ちをしている人たちはものすごく たくさんいるのだそうですね。もう東京に 帰らないといけないのですが、このことを 見かねた。 同じ日本からやってきた方が私にジュースを持ってくれました。うーん。なんとかならないかな。 お客さんはもう店の人は全員機内に呼び込まれたようです。しかしま椅子に座ったまま動かないお客さんが 20 名ほどいます。つまりそれだけの数のお客さんがこの飛行機に乗りたいけれども乗れないという状況になっています。私は日本で大事な案件があります。 なんとみんなには悪いけれども私は席が あると言われて突然この場で10番いい席 を指定されてあなたも乗っていいですよ。 飛行機の中に呼び込まれました。よかった 。東京で大事な仕事がありもう外せなかっ たのですがなんとかこれで帰ることができ ます。 私の席は10番Eの通路側のはずだったの ですが、なんと同じブルーラグリゾートに 止まっていた方が私に席を変わってくれ ないかとこの時機内で話しかけてきて、私 は窓側の席に移りました。グループで一緒 に座りたかったようですね。トラックでは 運の悪いことばっかりでしたが、ここに来 て首の川が繋がりました。 機内の安全ビデオではタログ語が流れてい ますね。フィリピン方面も乗り継ぎで結構 お客さんが行くようです。では、乗れ なかった人たちを大勢ターミナルに置いて 私は出発させていただきます。 中国際空港の短い滑走路およそ1800m の今日は1番北の側にやってきました。 今日はいつもと逆向きの風が吹いている ようです。本当は進行方向左側の座席を 指定しておきたかったのですが、ま、これ ばっかりは仕方ないでしょう。 窓に座って飛行機で出発できるだけで良かったと思います。ではこの短い滑走路の橋に止まった後どうするか飛行機はブレーキをかけて今からエンジンの出力を高めていきます。聞き耳を確してみるとエンジンの音が上がっていますね。そしてエンジンの水進力を高めた状態でブレーキを解除し勢いよく加速していきます。 [音楽] これは日本でも滑走路の長さが足りてい なかった石垣空港などで昔見られた ロケットスタートとかいうやり方らしい です。ここは石垣島よりは少し滑走路が 長いのですがとはいえ相当短い滑走路で 普通よりも慎重にエンジンの出力を上げた 状態で一気に発信する必要があるようでし た という話をしている間にわずか1800m の滑走はもうそろそろ終わりに近づいて いるのではないかと思います。 もちろん絶対安全なのは分かっていますが 、え、大丈夫と思っていたところで飛行機 は飛び上がりました。そしてすぐに滑走路 も終わってしまいました。 旧本軍の滑走路を少し延長してそのまま 使っている昔ながらの景色だと思いました 。 昔あそこから0戦始め日本の夜の飛行機も 続けに飛び上がっていたのですね。 カ走路は少しばかり島よりも大きく延長さ れています。737型がそれによって 離発着できるようになっているそうです。 長くお世話になった春島が眼かに。そして 穏やかな海の上に刻みをつけていく船を たくさん見ることができました。あれも 漁選ではないですかね。マグロなど取って いるんじゃないでしょうか。 そしてそろそろ干渉の外へ ガに 細くこの島を取り巻く岩場の地帯が見えて きました。 ブラックと概要の波から守り津波も 寄せつけてこなかった。この島が連合艦隊 の拠点として選ばれるに至ったきっかけの 干渉。 一生変わることはない地形。いつ来ても この自然は同じように楽しめるでしょう。 飛行機はこの干賞の外へ出て太平洋を一路 にしグアムを目指します。 この飛行機はハワイからやってきている はずですが、ここでおそらく全皇帝では2 回目の機内色も配られました。また出るん ですね。 モッツレラチーズ、ハムなどが組み合わせ ています。かなりさっぱりとしたいいお味 です。アメリカにもこういう食べ物がある んですね。またさっき忙しくてお見せする ことができなかったのですが、出国税の 支払い照明もご覧いただきたいと思います 。30ドルを現金でノオフしてきました。 またあと領収賞もご覧いただきたいと思い ます。結局最終的に分かったのですが、 ブルンラグンリゾートは1泊するのに 133ドルアメリカドルでかかっていまし た。しかしユナイテッド航空によって2 日間足止めになった分はユナイテッドから 支払われているということが書かれてい ます。ユナイテッドと契約があるようで 結婚に打った分は自動的に全部 ユナイテッドと連携して生産の必要は なかったです。これは楽でしたね。 グバでの所要時間は1時間と30分程度。 この辺りには島がたくさんあるので距離感 が分かりにくいのですが、東京福岡間 ぐらいはあります。本当にこの辺りの島は 遠く離れていますね。 なん時間をかけて遠くに大きな影が見えて きました。あれがガム島か。2018年に 訪れて以来7年ぶりにやってきました。 ここがチューブ太平洋の最大の拠点として 今でも飛行機が生き勝っているのだそう です。 ではまたここで戦争中のこの辺りの領土の 移り変わりを見ておきたいと思います。 元々もちろんホノルはアメリカでした。 そしてマーシャルからは日本。トラックも 日本として使われていました。グアムは 本来はアメリカでしたが戦争が始まって すぐ日本に占領されたので日本に使われて いました。そして裁判も元から日本でした 。戦争の終盤にはアメリカはこれを東から 順に攻略していきました。まずマーシャル を占領。その後トラック塔を攻撃して崩壊 させました。続いて裁判攻撃しこれを占領 。グアムも占領しました。特に裁判や グアムなどのマリアナ諸島ではB29型 飛行機を配置することによってそこから 本土まで爆弾を持っていくことができる ようになりました。太平洋戦争の終わりに はB29が爆弾を全国に落としていって 大変なことになったというのは有名ですが 、それはまさに今から訪れるグアムや裁判 を起点にしていたということです。さらに このマリアナ諸島からは原爆もB29に よって運ばれて広島や長崎が攻撃された わけですが、まさに今から訪れるところは 日本の戦争集結の終わりの始まりを見せて いたような島々だと言えるでしょうか。今 から私たちの飛行機もグアム国際空港に 到着しますが、まさにそこも日本への爆撃 の拠点として大変忙しく使われていたそう です。 グアム灯の景色がだんだん大きくなってき ました。 グアムはあまりよく知らなかったのですが、かなり大きい島のようです。これほど近づいてもまだ前用を見渡すことができません。そして北の方にはあの辺りはもう米軍基地ですよね。あの辺には一般の人は今も近寄れないそうです。太平洋の軍事的バランスの拠点としてグアムは今でも忙しく使われています。 落下のような形をしたグアムの真ん中のたムニ地区のところに今から降りていくアントニオビーワンパッド国際空港があります。このグアムは現在でもハワイ方面、また日本方面、韓国方面、そしてフィリピン、台湾など各方面に飛行機を運行しています。だから各方面に飛行機の立いということは攻撃の拠点としても便利でアメリカにも重視されているということなのでしょう。 西の海岸線に沿うようにして飛び美しい 景色を見るようになりました。西の海岸線 は砂浜場のビーチのところも多くあって、 ここからアメリカ軍は日本にもう一度上陸 をして反撃をした場所でもあるそうです。 昭和19年のグアムの戦いの時、ここから 水陸療用の車が次々と乗り上げていき、 大変な戦いになったと言います。 飛行機は時折り雲の中を飛びます。雲に 自分の乗っている飛行機の影が落ちるの ですが、 なんとなくその姿は怖いもののようにも 見えました。グアムがそういう場所だと いう印象があるからですかね。ここからB 29が飛んでいき、日本を日海にしていっ たわけですから。 このボーリング737がグアム空港へ降り ていこうとだんだん影を落としているのを 見ると住宅も1つ1つが立派だと思いまし た。 さっきまで行ったと比べるとどこを見ても 道は舗装されていて先進的だしとてつも ない大都会のように思われました。実際 そうなのでしょう。 飛行機はアントニオBンパッド空港の上空 に到達。間もなく着陸です。 またこれも驚いたことに着陸にはかなり 時間がかかりました。 さっきまで使っていたミクロネシアの空港 たちは皆小さく滑ったのですぐ地面に降り て一気にブレーキをかけなければいけませ ん。しかしこの飛行機はカス路の上で ゆっくりとふ割りを降りた後、今ようやく 逆車をしてそれもや割りと逆車をして ゆっくり速度を落としているように感じ ました。 着陸する時の乗り心地がこれまでの島とは 全く異なりましたね。 この飛行場は実は日本が建設したものだ そうです。戦争が始まった直後に日本軍は このグア本を占領し建設した飛行場を使っ て物々の作戦を行ったということですが 皮肉なことにその飛行場は後にアメリカに 取り返されてB29を東京やあちこへ 飛ばすための装置として使われたという ことですね。 そして現在は日本からの観光客を多く 受け入れるグアムの玄関口として使われて います。 長い活動をようやく 離れますが、まだこの先もあります。爆撃 用の飛行機などもここへ発着させられる ような大きさを整備する必要があるから ですかね。 グアム空港もさっきまで使っていた中空港と比べればとてつもない大きさで久々にやってくるとグアムはこんなに都会だったのかと驚きました。 大きな島だからというのもそうですし、軍事的な需要がとにかくたくさんあるからですね。グアムに到着しましたが、本来であればこの後グアムと裁判を見ていく予定でした。しかしもう時間切れです。帰らなければいけません。 とりあえずグアムには一旦入国しなければ いけないので税関の審査をしてQRコード を取得し、これを使ってトランジットです と言って一旦米国へ入国します。今回は どうしても日程の都合でガムから一旦東京 へ帰らなければいけなくなりました。東京 で私は案件の用を済ませた後、もう一度 飛行機に乗ってグアムへ戻ってこようと 思います。もB29が東京を攻撃した時の 大空のルートもほとんどそのまま辿どる ことになりました。出発ターミナルは豪華 乱な作りで、こんなにすごい作りだったか と過去をちょっと振り返ってみようとも 思うのですが、確かに前からグアムの国際 空港はこうだったと思います。 だからやっぱりミクロネシアに行っても と変わったということなんでしょうね。5 日間の滞在も深いものだと理解できました 。晴れに向け3時間30分を予定もうこる と日本語の放送もかかるんですね。 キルの悪いところ というかそもそも乗ってるお客さんがほとんど全員日本人でした。日本の観光の方とあとは軍関係者の利用がやっぱりあったかな。遠くには多湾は周辺の立派なが並んでいます。全部リゾートホテルですね。次に訪れるところにはあいったところも交えて紹介しての過去の歴史を親しみを持って感じていただけるような構成の動画を作ろうと考えました。その方が広い人に伝えられそうですよね。この内容。 それではそろそろカ走路に据えつけという ところで遠くに大きな飛行機が止まってい ます。あれはハワイからやってきた直行便 ですね。今回私は途中の島に寄りながら ここへやってきましたが、直行便の場合は あの大型機材ボーイング777型を使う ようです。その大型飛行機の背後には 四角いような翼をしたグレーの飛行機も 止まっています。あれは軍用の飛行機です よね。あんなのもこの旅客ターミナルの横 に吸えつけられるのですね。 多分相当優秀な飛行機だろうと思います。 離陸する時に目を合わせて見てみましょう 。 そもそもこのグアム国際空港の滑走路は 一際長く調べてみると3000m以上あっ て羽田空港に匹敵するかもしくは上回る ぐらいのようです。なるほど。こういう 大きな飛行機もやってくるわけだと思い ました。エンジンが4つも付いているあの 飛行機は輸送機C2と言って洗車も運べる ほどだそうですね。 人口17万人のグアム灯に羽田空港と同じ ぐらい立派なカ走路が2本もあって なるほどここはただのリゾート地という だけではなくてただの大きな島というだけ でもなく色々なものを背負った島らしいと 感じました。その一際長い滑走路を ゆったりと使ってじわじわと離陸していき ました。さっきのトラックでの離陸とは 全然違う上がり方だと思います。 [音楽] いつも観光の飛行機ばかりがやってくる グアム空港であるといいですね。 飛行機はここから南に出発した後、石の 海岸線に沿うようにして期待進みます。 この景色は全国を空したアメリカ軍のB 29からでも見えただろうと思います。 この景色を見てさあ行くぞと。ちょうど 夕方に離陸することが多かったようですの でアメリカ兵の人たちも考えたのかもしれ ません。市街地の淵を大きく横切る滑走路 が抜群の存在感を放っていました。 この後グアムಧ島が少し遠くになり、 ガンカはもうほとんどアメリカ軍の騎士 ですね。 このグアムの他にもマリアナにはいくつも の島があって、早速お隣の島が見え始め ました。これはロタ島ですね。ロッタンは 日本の移任党治療として使われていたのだ そうですが、アメリカ軍の攻撃の対象とは ならなかったそうです。アメリカも全ての 島を攻略するとコストがかかりすぎるので 、いくつかを飛ばしながら行くという戦略 を取っていたとのこと。 このロタの次に見える島は激戦の舞台と なったところで特に有名です。もう暗く なっているので島があまり見えませんが、 でも光がこちらへ届いていますね。右手の 光がテニア島で左手は裁判島です。どちら も元々日本の移任島治療として使われてい たそうですが、戦争の末キにこの辺りが 激しい戦いの舞台になったということで、 特に左手の裁判はこの辺りにある島の中で も1番最初に陥落し、いよいよここが短落 したということで日本全国が空習の対象に なったという戦争の最末を象徴するような 場所だと思います。ここが取られてしまっ たからこそ日本の有名な地獄へ映が次々と 作られていくことになったんですね。 そしてこの裁判の隣にあったテニアン島 から原爆の攻撃機が出発していったという ことです。 ではここで機内色が配られました。サラダ はパパイヤのやつですね。味が爽やか。 飲み物はジュース以外で何がありますかと 聞いたらジンジャーエールがあると言われ ました。胡椒を全部かけます。フォークと かも備わっています。豪華ですね。 やっぱりこれを食べながらゆったり東京へ 帰ります。外は真っ暗闇。美味しい食事を 食べていてふと思い出しました。B29も この闇の中を日本へ向けて飛んでいたん ですね。当時は今のような観測機器も十分 なかったので空の星を見ながら真っ暗闇の 中を目的の都市を目指して進んでいったと いうことです。 出発して1時間少々でグアムと日本本土の 間中間地点ぐらいのところに医療刀があり ます。赤いピンの立てているところです。 グアム裁判へ無着陸で爆弾を積んで 飛び帰ってくるというのはかなり危険な 任務でもあったようで特に飛行機が途中 壊れてしまうということがあったそうです 。その時はここイ黄刀を目がけてな何とか 頑張って飛び刀に緊急着陸することで命を 流られたと言います。本がいよいよ近づい てきました。今伊豆諸島上空あたりだと 思います。この辺りになると日本も レーダーなどを使って飛行機が接近してき ているのを察知して空警報を出してきてい たようです。 いよいよ東京湾の入口千葉県の明りが見え 始めました。今館山の置合いに来ています 。 この飛行機は羽田空港行きです。羽田空港 に行くのでもうそろそろ高度を落としてき ています。 実際東京を空習しにやってきた飛行機もこの縦山の辺りで他の飛行機と合流して爆撃の高度へ落とす作業をしていたようです。 飛行機は千葉県市あたりを通過。この付近で B29 が爆撃していた時と同じくらいのコードになったようです。 B29はあまりにも高いところから爆弾を 落とすと効果的に空ができないということ である程度下へ降りていたようですが結構 地面が近く見えると感じました。これ ぐらいの高さだったんですね。 コ度を落として爆撃の効果を高める。これ はアメリカ側も捨て身の作戦を取っていた んですね。 当時日本でもやってくる爆撃機を 打ち落とすために後法というのを設置して いてこれで空に向かって反撃を行っていた そうです。これはB29には届かなかった ということが言われているのですが、実際 には高度を落として爆撃をしていたので 戦争の終盤には多少なりとも命中して激墜 していた飛行機はあったようです。なんと なく私の中ではアメリカ軍の人たちは上空 でコーヒーでも飲みながら高いところから 安全に爆撃をしているという印象があった のですが、終盤はそういう状況ではなかっ たようです。グアム、裁判、テニア島など から往復数時間も狭い飛行機の中で爆撃を して敵の対空放火の中低いところを飛んで また命から帰っていく。相手も大変だった のだろうと思いました。そのような考え方 が戦争の要望には大事かもしれないですね 。 この動画自体もそうなんですが、テレビと かを見ていても、タイガードラマとかを見 ていても、なんとなく戦争を取り扱って いるシーンは面白く見応えがあって数字が 取れるような気がします。人間どうも人の 戦争になってしまうと面白い話だと捉えて しまう傾向があるんじゃないかなと私は 感じているのですが、 そういったところを十分注意して相手も 人間だったのだということを思い出し ながら日頃行動したいと思いました。飛行 機は22時13分に着陸。グアムからまだ 3時間しか経っていません。 今回は少し消化不良な終わり方になって しまいましたが、またグアム裁判明の旅と 合わせてこの動画を完成させたいと思い ます。ご視聴ありがとうございます。

2025年7月
戦争で辛い思いをされた方に哀悼の意を込め、動画を制作いたしました。
一方、動画そのものを暗い雰囲気で制作しても見づらいと考え、軽快な出来となるよう意識しております。

今回、予定ではハワイ→マーシャル→トラック→グアム→テニアン→サイパン→東京と周る予定でしたがトラックでの足止めによりグアム以降は事実上カットとなってしまったので、この後グアム・サイパン・テニアンの動画も別途撮影しております。

その動画は観光産業に主題を置きつつ、この動画で触れようと考えていた要素を多く盛り込むという構成にしたので、戦争への哀悼という雰囲気がかなり薄い構成になっているのですが、多くの方に見ていただくことが重要と考え、方針を策定しました。

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0:00 ハワイ・真珠湾へ
3:54 戦争の仕組みを破壊した潜水艦
9:53 進軍ルートを飛ぶ経由便「UA132」
15:04 軍艦のポケット「メジュロ環礁」
23:56 マグロの都「ポナペ」
31:57 日本海軍の拠点「トラック」
36:12 2025年のトラック
51:17 戦前のトラックの充実ぶり
1:20:59 トラック島から出られない
1:38:30 終わりの始まり「マリアナ諸島」
1:47:08 グアム→東京 B-29の爆撃航路

31件のコメント

  1. 戦争で辛い思いをされた方に哀悼の意を込め、動画を制作いたしました。
    一方、動画そのものを暗い雰囲気で制作しても見づらいと考え、軽快な出来となるよう意識しております。

    今回、予定ではハワイ→マーシャル→トラック→グアム→テニアン→サイパン→東京と周る予定でしたがトラックでの足止めによりグアム以降は事実上カットとなってしまったので、この後グアム・サイパン・テニアンの動画も別途撮影しております。

    その動画は観光産業に主題を置きつつ、この動画で触れようと考えていた要素を多く盛り込むという構成にしたので、戦争への哀悼という雰囲気がかなり薄い構成になっているのですが、多くの方に見ていただくことが重要と考え、方針を策定しました。

  2. 6/23に某ホテルでお会いした者です。
    飛行機が虹🌈✈️で囲まれているのはブロッケン現象ですね。
    私もよく飛行機で見ることがあります😊

  3. アイランドホッピングに使う737、動画を拝見するとスポイラーの展開角が小さいのでSFP(ショートフィールドパッケージ)
    というアイランドホッピングの島々のような短い滑走路に対応したオプション装備してないのが意外

    マジュロでは滑走路にたまった水を集めて水道水にしています

  4. スーツさん貴重な動画を
    ありがとうございます
    若いのに戦争の話を詳しく説明出来るとは驚き
    ですね〜。
    ✈️💯

  5. トラック島のご飯全部美味しそう 日本人×野菜苦手な自分にとって楽園かもしれない

  6. 33:20 などにおそらく生成AI等で作られた画像が登場しますが、「画像はイメージです」など付しておいたほうがよいように思われます。大戦時の写真のほとんどは白黒ですからあまり影響はないかもしれませんが、今後の企画によっては実際の写真と混同する可能性もあるのではないでしょうか。

  7. サイパン・パラオも日本統治時代の方が栄えていたと現地のガイドさんから聞いたことがあります。
    田舎の南国風景に日本統治時代の名残があるのは面白いですよね。

  8. 旧石垣空恋は1500mだったから離着陸はそれこそ絶叫系アトラクションよりすごかったです。
    本島に台風に来た時は臨時便が出て迂回して鹿児島で給油してから関空に向かったことがありますがとんでもなく揺れましたね。
    今から20年以上前の話です。

  9. 大変貴重な映像となったように感じます。
    平和を享受している我々はもっと平和な世界にすべく、考え方をよりポジティブにしていく事が必須だと思いました。

  10. この動画をみて総員玉砕せよ!で「後方では惰眠を貪っている兵士が何万と居ます!」みたいな事を言うのはトラック周辺の事を指しているのかなと思いました。

  11. スタアラゴールド持ってるから呼ばれたんでしょうね😂
    しかしトラック行きたくなりましたわ。

  12. このような旅を計画できるのが感心しました。とても考え深い内容でした。
    あと1:22:00:から急に画面真っ赤になって怖くなった…

  13. ほんとに幸せな時代に生まれたと思います。
    こんなふうに旅ができるんだもの。
    しかしながらまだ争う国もあり、悲しい事ですよね😢一人一人が生身の人間、傷付けば痛いし、血も涙も出る😢みんな同じなのにね。😢普通でいれば優しい人が、戦争になると狂ってしまい非人道的になったりもする。😢人間って素晴らしい知能があるのに精神が弱いんですよね😢戦争なんてほんとに嫌ですね😢
    戦艦の絵はマリリンモンローが軍人さんの基地を訪問した時の事を思い出しました。いつの時代も、女性は戦いで疲れている男性の心の癒しなんだなぁと思いました。
    こんなに真面目で丁寧な動画ですが、犬に噛まれているシーンは笑ってしまいました😂大丈夫でしたか?🤭スーツさん赤が似合う♥️✨

  14. AIの画像はやすっぽっさを感じてしまう、、、興ざめというかなんというか。それなりに精査、工夫しているのだとは推察されますがどこか残念です

  15. この時期にこの内容(軍事への言及が必要という意味で)の動画を作られることには、大変勇気と覚悟が要ったことと思います。その覚悟に最大限の敬意を表します。
    ひょっとしたら、再生数的にはあまり伸びないことも覚悟のうえだったのではないかと推察いたします。でも、とても意義のある動画だと思います。
    若い世代でも戦争のリアルを伝えることができるのだということを、若い世代のやり方でやっているからです。一人でも多くの人に見てもらいたいなと思います。
    もし、今後批判的なコメント(「あいつは右翼だ」とか)があったとしても気にしないでくださいね。動画全体をきちんと見れば、スーツさんは常にフラットな見方をしていて、(こんな言葉は嫌いなのですが)イデオロギー的な偏りなど一切ないことは分かります。
    私は、スーツさんの父親世代(より少し上)ですが、いつも楽しく動画を拝見しています。今回も、特にトラック島のことなど知らないことが多く、大変興味深かったです。
    今後とも今のスタンスのままで頑張ってください。

  16. 見入ってしまいました。生涯訪ねることはないであろうトラックを見せてくださり感謝します。

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