【⛱️散策物語】くりからさん万灯会 2025 ~石川県津幡町~

万灯会とは、今までの罪を悔い改め、私たちが受けてきた様々なご恩に報いるために、たくさんのお灯明をともして供養する行事です。 鳳凰殿では、お堂を中心に境内一面に皆様のお灯明がお供えされ、幻想的な仏の世界が夏の夜に浮かび上がります。また、大心池では灯籠を故人への送り火としてご自身の手で流し、お見送りいたします。ことさら私たちにとって両親やご先祖様から受けたご恩は計り知れず、感謝の気持ちを形にしたいものでございます。
どうぞこの機会に一灯を供え、報恩謝徳の誠を捧げましょう。

倶利迦羅山不動寺は、今から約1,300年前の養老二年(718)、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まりと伝えられています。それから約100年後の弘仁三年(812)に、弘法大師が諸国を巡る途中で、不動明王を拝され、あまりの有難さに扉を閉められ、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として奉安されました。この時、別当山として長楽寺が開山されたといわれています。

寿永二年(1183)の倶利伽羅源平合戦の際、兵火に遭い、多くのお堂や寺宝、記録などが焼失しましたが、その後、源頼朝によって再興されました。戦国時代の天正年間(1573〜1592年)には衰退し、廃寺同然となりましたが、江戸時代の寛永年間(1624〜1644年)に秀雅上人が再興し、さらに加賀藩主前田家の祈願所や参勤交代の休憩所となったことから、社殿の再建や寺領の寄進が行われ、寺運が再び隆盛しました。

江戸末期の天保七年(1836)に門前の茶屋から出火し、山門や不動堂が焼失しました。再建されないまま明治維新を迎え、明治二年(1869)の明治政府による神仏分離令によって長楽寺は廃され、手向神社となりました。その当時の仏像類は、金沢市の宝集寺、小矢部市の医王院、津幡町倉見の専修庵などに譲渡されました。

廃寺から50年後の昭和二十四年(1949)、高野山の金山穆韶大僧正の尽力により、長楽寺跡に堂宇が再建され、御本尊さまの御名から倶利迦羅山と号し、不動寺(通称、倶利伽羅不動寺)として復興されました。奥之院の不動堂は、旧高松小学校(現かほく市)の御真影奉安殿、本堂は旧金沢卯辰山忠魂祠堂を移築したものです。以後、次第に道路や寺観を整えられ、県内外から多数の参詣者がお詣りされます。
以上公式HPより抜粋。

♪挿入曲
・Meet Me At The Oaktree – Happy Upbeat Background Music [No Copyright]
・ A Fjord – Tender Background Music [No Copyright]
http://amachamusic.chagasi.com/

#高野山真言宗
#倶利伽羅不動寺
#西之坊鳳凰殿
#まんとうえ

Leave A Reply