ヴィンテージ東京千住インタビュー

ま、変化変わってしまったことについて どう感じますか? どう感じるか変化についていや、変化して もらえちゃ困るんだよね。今までの戦夜 じゃなくてだから将来に向けてあの 旅館がこういう対応できる旅館が増え るってことね。まずそれが1番大事なこと 。だからその5年間6 年間の間にあの徐々じゃないけど徐々にでもね 1件2件増えてるんですよ。 うん。 で、今大体10 件ぐらいなんすよ。対応できる旅館がね。全体が全体が 160件ある中で10 件だけですよ。外国人の止める止まらその対応できるのはとてもじゃねえけどあれでしょう。 うん。 比率がこんなんでしょう。 比率って言えないよ。 需要はあるわけなんですよね。 1 割もいないんだもんでしょ。 うん。それですね。 だからもっとそのあのパーゼントっていうかそのいつはもっと上げてかないといけないんで絶対これからねそういう施設が増えればお客さん来ますよ。 そうするとどんどんこう山夜の街も変わってきますね。 うん。だからそれは増えるとくためにと同時に変わっていくと思います。 もう今でさ、その変化の気差しがもあるんから。そうでしょ。もう 5年6年経った間にもうそれ10 件だったんだから。うん。 だから1年に1 件ずつが増えてるわけです。それが変化でしょ。 なるほど。なんか変化そうなんか景色がなくなったりすることに関して うん。 こうちょっとしたこう教習 あの旅館に関してはそうなんだけどね。 ええ、 街づり町も変わってくわけですよ。 そういう各ねから人間がこう出たり入ったり外国の人が来るとから風景もやっぱり大きいそのねえ 10回建てのですねホテルがもうここ 1件2件3件ぐらいできてんのかな うん ね でもう予備軍がもうまだあるわけですよ どんどん変わってきますよ近くに中学があそれが廃行になりましてねその後中今ね壊してでそこ に要するに福祉施設ができるんですよ。ここはあの大東区ですから大東北区の この黒施設が そこにできる。ま、早けば老人ホームみたいな。 うん。 お年寄りが多いからだ。唯一これから変わっていくためにはそういう施設ができて町も変わっていくと思います。街変われば風景変わるわけないね。 なんか風景変わってなんかこう寂しいとかそういうの単純に いや寂しいって言うんじゃないな。僕らの年代の人たちは僕はまたちょっと別かもしれないけどもやっぱりあの未来思考でね うん。 それは昔のことは昔のことで記憶にありますけどね。 やっぱりこれから皆さんのこの若い方たちはあの変化を求めていくわけだからその変化をねあの認識して町を変えてってもらうってことは 1番大事だと思いますよ。 うん。 うん。 で、僕らほら商売してるでしょ。 はい。 そのビジネスにおいてもね。 ビジネス においてもそういうその変化と共にビジネスもやってかもしれないで今 1 番協力のはそのえネットってのあるんじゃない? うん。 このインターネット うん。 これが普及初めてからまだいくらもなってないじゃないでしょ。 10年ぐらいでしょ。 ま、そう。 まだ歴史上がった。 で、これが実際に使って旅館が商売してるっていうのがまだ少ないわけですから。うん。だからものすごくこれは強い味方なんですよ。武器なんですよ。商売やるため。 あ、そこも宣伝っていうか、あの、紹介してましたもんね。 だから、あの、うち今ね、旅館組合でもね、あの、そういうインターネットをできるようなあの、パソン教室、今それをね、軽く組んでね、あの、教室をやるんです。やってんですよ。 [音楽] うん。 早くそれ覚えてくれということで組み合わせのもみんなこう力合わせてで、これで商売しましょうよと。 うん。 ね。だからそれを知らないってのは知らないってないでしょ。 うん。 知ってる方がいいわけだから。うん。 うん。 それを私たちは早く あの6 年前に導入してたまたまタイミングよくワールドカップのサッカーの時にガチしたわけですよ。えっとんでない。 ま、かつては 3、かつて南千住ってのはあまり人々が行きたくないところだった。 うん。 ですかと。 あの、昔はね、江戸時代の頃はね、大昔あの南千術ってね、コツかっぱらつってね、あの悪い人の処刑場があったんですよ。 あ、あの辺の 小されて そういう場所がね、南千ね、今あの事蔵のあるとこそうんですよ。 あそこはそコツカっぱらってね。だからあんまり印象良くないんだよね。そんな場所なのかよんだよ。うん。だから嫌われたのかもしれないよね。 なるほど。 うん。南千住があって北戦住があるんだからね。 うん。 川向こうは北戦住だから荒川の向こうは 北戦住はなんかね、別にそういう名じゃないです。 ないでしょ。 ええ。 で、ちょうどこのなんですか?え、これ日光海道かな? はい。 日光街道と思ってるんですよね。 あの北千住からこう橋を立って南線入ってくる。ほんで南千住の後からこう少しえ日海道とこっち入るコツ通りてこっちずっと入ってくるんですとかれてんだけどたまたまこの地区はあの祝町だった。祝場 うん。 その地方から来る方がねえの畑だった。それはここに着したのかもしれ元々はね。 なるほど。 ん、それはな。 Howdopeoplefeel about ん?Howdopeoplefeel about andthatthingthatI showedyou?TheBuddha カツカパラってなんだっけと? コツカラ。 あ、こっからこ住んでる人たちはお使っぱとかについて どういう風に ここに住んでしたらそんなこと知らないよ。 昔はそういう場所だったっていうことはあの全ての人が知ってるわけじゃないと思いますよ。うん。だからここにずっとここで生まれ育った人たちはそういう歴史は知ってるかもしれないけど だから ここに止まってる人とかそういう人はあんまりそういうことは知らないんじゃないですかね。言われりゃあそうですかていうぐらいのもんだと思います。 ま、新しい南って

This is part of my interview with the former owner of the Hotel New Azuma, conducted in 2010.
It is entirely in Japanese but CC subtitles should work and it is being dubbed.
I can’t speak to the accuracy or quality of the dub.

Leave A Reply