【41時間25分】鹿児島から東京へ――戦時下に走った超長距離普通列車34列車 1942年11月

    【時刻表の紹介】
    1942年11月ダイヤ改正後設定されていた
    鹿児島発、東京行きの普通列車に乗車します。

    当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。

    【乗換案内】
    ↓【時刻表の旅】1947年11月 引揚列車 南風崎発 普通東京行き

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    「神隠しの真相」/作(編)曲:しゃろう 様

    #国鉄 #鉄道 #昭和17年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #東海道本線 #東京駅 #戦前 #戦後 #過去鉄 #鹿児島

    24件のコメント

    1. 1942年と言うと関門トンネル開通直後で、尚且つ不要不急の旅行は控えよと言われていた時期ですね。また戦時下で急行や特急がそろそろ休止や廃止に追い込まれて来る時期でもありますね。

    2. 戦時中はどんな列車でもそうなんだけど、アメリカ軍の焼夷弾の雨霰に晒される危険性があった

      ロシアとウクライナ、そして現在のイランの状況を鑑みるにつれ、

      やはり平和が一番だと気付かされる。

      80数年前日本も味わった。いま、安心して列車に乗れることに感謝

    3. ひょっとしたら…
      終戦前後のスピードダウンで1本の列車として成立できなくなり、
      鹿児島発門司港行きと、門司発東京行きに分割された、のかもしれません。
      どちらの列車も1960年代まで残っていたところを見ると、
      この34列車、意外と人気列車だったのでしょう。

    4. いつもありがとうございます。
      日本全体が総力戦の中、ギリギリで輸送できればという考えで作られた列車ですね。
      座席も1ボックス平時なら4人がけのところをひじ掛けを外して6人がけ、それでも座席ではなく床に座ったりさらには立つ人も多数いたことと思います。
      夜であっても大半の駅に停車、停車駅が262というのも物凄いです。おそらく史上最高、今後もこれを超える列車は現れないでしょう。
      駅数、時間を考えると気が遠くなりそうですが、それでも庶民の足として、さらには本籍地での徴兵検査や部隊配置や戦地に赴く方々、部隊への慰問など必然性に迫られた方々に使われていたのでしょう。
      先人の皆様の奮闘があったからこそ今でも鉄道輸送が続いていることに感謝します。

    5. いつも楽しみにしております😊
      大戦が激化していく中、どんな思いで乗っていたものか想像がつきません…
      こんなに長い時間をかけて走る中、いろんな思いが交差していたんでしょうね

    6. 前回のコメントで東京鹿児島間の普通列車を持ち出した次の回で出してもらえて恐縮です。

      戦後の長距離普通列車では0時から4時くらいは主要駅のみ停車で運転していたイメージでしたが、ここでは一部を除いて2時3時でも構わずに各駅停車をしている点が印象的です。
      供給に対する需要のの逼迫と鉄道が戦後より更に大きな比重を担っていた現れのように感じます。

    7. 停車駅が旧駅名になっているだけでなく旧字体で表現されているの歴史に沿っている感じでいいですね

    8. 日本の普通列車しては空前絶後の最長距離を走った伝説の34列車ですね。乗り通した人は戦時中の統制経済の下、貴重品や食糧盗まれないよう厳重に警戒しながらの長旅。。。想像の域を超えます。

    9. 鹿児島から東京まで誰が乗るのって思うけど 当時は乘ったんでしょうね。
      戦前から戦後にかけては長距離移動は夜行普通、急行は少ないし贅沢だったのでしょう。 
      草津駅乗り換えで大原市場行って草津線にあったんですね この駅は知りませんでした。

    10. 1942年3月に3等座席車に1500km乗車すると3等運賃が12円10銭で通行税が50銭でした。3等急行料金は1円35銭から1月に2円に値上げされました。1920年から1942年4月まで哩計算がキロ計算に変り1938年から通行税の課税がありましたが、それ以外は運賃値上げは行われませんでした。1942年4月以降は3等運賃が通行税込16円50銭です。関門連絡船関係の補正処理はこの値上げで予め調整されています。1944年4月には3等運賃が通行税込で27円に値上げされ、3等急行料金は2円50銭です。1945年4月には3等運賃が通行税込で31円50銭に値上げされ、3等急行料金は3円50銭です。旅行するには警察の許可が必要な時代です。3年間でこの間賃金は殆ど上がっていないのに3等運賃と3等急行料金は約2.6倍も値上げされています。

    11. ずっと各駅停車かと思いきや、いきなり現在の新快速よりも駅を飛ばしまくる(速度は到底かなわないが)区間があって驚きます。

    12. 神崎って一瞬どこ?って思ったけど尼崎か…
      まぁ近くに神崎川って川が流れてるから変ではないか

    13. もはや、鉄道マニアだけの世界ではなく、交通の史学の一つですね。
      義務教育の子どもたちに、昔の戦時中の歴史を知ってもらう教材としても価値があると思います。

    14. 空前の運行距離と所要時間。おそらく今後もこの記録が破られることはないでしょうね。
      長距離旅行のロマンとは無縁の、戦時中の厳しい現実と向き合ってきた34レ。今では系統分離でバラバラになった地域間輸送の列車を片っ端から繋げたイメージでしょうか。郵便荷物の輸送・軍事関係者の移動、さらには出征する兵士を任地まで送る役割も担っていたのかもしれません。旅行をするのさえ警察の許可が求められた時代。当時の人は本当に肩身の狭い思いをさせられたものと想像します。
      今、鉄道を楽しめるようになったのも先人の様々な労苦があってこそ。感謝しないといけませんね。

    15. 平和な戦前なら2等車(グリーン)や寝台車も連結して走っていたかもしれないが、座るどころかデッキまで満員の立ち席でトイレに行くどころか座席の隙間まで人が立っていた事が容易に推察できる時局
      空襲と燃料不足の中、全てのリソースを使い、輸送を行った姿が見えてきます

    16. これだけ長くても、本州と九州という、海を隔てた間がレールで繋がって東京から九州まで1本の列車で行かれるようになったというのは、当時としては画期的だったのでしょうね。

    17. 宮脇俊三御大の「時刻表昭和史」引っ張りだして読みたくなる。
      あと、所々に出てくる旧字体が何ともいえない感じ。

    18. この時代の鉄道旅行や生活の様子は
      宮脇俊三氏の時刻表昭和史を読むとよくわかります

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