【廃村】滋賀県の旧・霊仙村付近の集落跡を巡る4 – 男鬼集落

    滋賀県彦根市の山奥、標高約420メートルに位置する「男鬼(おおり)集落」。現在は無人の廃村となっていますが、そこには奈良時代から続く古い歴史、謎に満ちた山城、そして激動の時代を生きた人々の営みがありました。

    ### 1. 【古代】集落の始まりと地名の由来(8世紀頃〜)
    人がこの地に住み着き、集落の基礎ができたのは西暦700年頃(8世紀初頭)と言われています。

    「男鬼(おおり)」という不思議な地名には、いくつかの由来があります。

    * 男鬼寺(だんきじ/おごきじ)説:奈良時代の神護景雲3年(769年)、僧・宣教が霊仙山(りょうぜんざん)の麓に開いた7つの寺(霊仙山七ヶ寺)のうちの1つが「男鬼寺」であり、これが現在の男鬼町内にあったことから名付けられたという説です。
    * 鬼の伝承:「かつてこの山奥に鬼のような大男が住んでいた」という素朴な言い伝えも残されています。

    16世紀後半の古地図にはすでに「男鬼」の文字がはっきりと刻まれており、古くから山岳信仰の地、そして山の民の生活拠点として定着していたことが分かっています。

    ### 2. 【中世】謎に包まれた幻の城「男鬼入谷城」
    戦国時代、この険しい山中には「男鬼入谷城(おおりにゅうだにじょう、別名:高取山城)」と呼ばれる山城が築かれていました。

    この城は長年、文献には登場するものの正確な位置が分からない「幻の城」とされていましたが、2000年に地元の研究家によってついに場所が特定されました。彦根市教育委員会の調査によってその歴史的価値が認められ、現在は市の文化財(遺跡)に登録されています。戦国時代の動乱期に、軍事的な拠点や住民たちの避難城として使われていたと考えられています。

    ### 3. 【江戸〜明治初期】山の厳しい現実と「直訴事件」
    江戸時代には「坂田郡男鬼村」として、彦根藩の統治下にありました。平地が極めて少ない男鬼での暮らしは過酷で、住民たちは常に自然の厳しさと隣り合わせでした。

    この時期を象徴する悲劇として、「領地(境界)争いの直訴事件」が伝わっています。
    周辺の集落と山の境界(利権)を巡って激しい争いが起き、男鬼の住民たちが時の権力者へ直接訴え(直訴)を起こしました。しかし当時の法では直訴は重罪(死罪)であり、代表となった5人の住民が捕らえられ、彦根城下の「久座の辻(ひさざのつじ)」で打ち首にされてしまいました。

    残された男鬼の村民たちは、お上の処刑を恐れて遺体を引き取りに行くことすらできませんでしたが、これを見かねた城下の「明照寺(平田町)」の住職が遺体を引き取り、手厚く葬りました。この明照寺では、今でも5人のための法要が営まれています。

    ### 4. 【明治〜昭和初期】最盛期を支えた山の生業と「比婆神社」
    明治から昭和初期にかけて、男鬼集落は独自の生業を発展させ、最も活気のある時代を迎えます。住民たちの主な現金収入源は以下のようなものでした。

    * 炭焼き(木炭製造):豊かな森林資源を活かした、集落最大の主産業。
    * 男鬼ゴボウの栽培:山独特の土壌を活かした特産品で、風味が非常に強いことで知られました。
    * 養蚕(ようさん):大正から昭和初期にかけて盛んになり、集落を大いに潤しました。
    * 牛預かり:夏の間、麓(高宮など)の農家から、田植えで疲れ切った牛を預かり、山の良質な草を食べさせて元気にして返すというユニークな副業もありました。

    また、集落の象徴である「比婆神社(ひばじんじゃ)」もこの時期に全盛期を迎えます。

    もともとは「山神さん」と呼ばれ、地元住民だけが信仰する女人禁制の素朴な山の神でした。しかし昭和初期、「うた」という高名な女性霊能者がこの地を訪れたことで女人禁制が解かれ、彼女を慕う信者が激増。湖東から湖北地方にまで広がる巨大な「講(信仰グループ)」が組織され、多くの参拝者がこの険しい山道を登ってくるようになりました。

    ### 5. 【昭和中期】突然の終わり・「燃料革命」による廃村(1971年)
    しかし、栄華は長く続きませんでした。戦後の高度経済成長期に起きた「燃料革命」(プロパンガスや石油の普及)が、男鬼集落の運命を決定づけます。

    木炭の需要が瞬く間に激減し、集落の最大の支えであった炭焼きが崩壊。さらに、労働力不足によって養蚕や男鬼ゴボウの栽培も衰退していきました。
    山の上での暮らしは不便を極め、子供たちは中学校に通うために片道2時間かけて山を上り下りする状況でした。生業を失い、先行きが見えなくなった住民たちは、一人、また一人と麓の鳥居本や彦根市街地へと移住していきました。

    そして1971年(昭和46年)、ついに最後の住民が下山し、男鬼集落は数百年続いた有人集落としての歴史に幕を閉じ、「完全な廃村」となりました。

    ### 6. 【現在】廃村後の歩みと「再興」への祈り
    廃村になった後も、男鬼は完全に忘れ去られたわけではありませんでした。

    * 男鬼少年山の家(1973年〜2002年):廃村から2年後、空き家やログハウスを活用し、彦根市教育委員会が自然体験施設を開設。市内の小学生たちが自然を学ぶ場として、約30年間にわたり活用されました。
    * 現代の再興プロジェクト:2000年代以降、古き良き日本の原風景(茅葺き屋根の古民家など)を色濃く残す文化的価値が再評価されています。滋賀県立大学の学生たちやボランティア、元住民の血縁者らが協力し、茅葺き屋根の葺き替えや、定期的な環境維持活動、神事の継続が行われています。

    人が身を寄せ合って暮らす「村」としての寿命は1971年に終わりを迎えましたが、男鬼集落が持つ歴史の記憶と美しい里山の風景は、今もなお多くの人々の手によって大切に守り継がれています。

    【神秘旅 – Mituki】サブチャンネル
    https://www.youtube.com/@MysticalTravels
    【隠者の小屋】サブチャンネル
    https://www.youtube.com/@Hermit-Hut
    【Instagram】
    https://www.instagram.com/Gods.Travels/
    X(旧Twitter)

    Facebook
    https://www.facebook.com/mikamoto.mituki
    Threads
    https://www.threads.net/@Gods.Travels

    Leave A Reply