【スーツvsどこにでも行くドスコイ】日本三大暴れ川!四国の経済を支えた大動脈・吉野川【奥徳島】

    番組史上初、”旅に行かない”旅番組!
    普段はたぶん行かないであろう地域を、
    Googlemapや食べログを見ながら「ここを旅したら…」という妄想を繰り広げるだけの
    旅トーク番組「行かない旅」

    今回は、日本三大暴れ川と言われている
    四国の経済を支えた大動脈・吉野川沿いを妄想旅!

    出演者:スーツ (YouTuber)
        どこにでも行くドスコイ (YouTuber)

    #旅 #旅行 #行かない旅 #スーツ #どこにでも行くドスコイ #吉野川 #四国 #徳島 #渓谷 #絶景 #小歩危 #大歩危 #ReHacQ

    49件のコメント

    1. 廃墟跡は、旧JUSUCO(ジャスコ、イオンの前身)でした。その後、市の図書館になったりしました。
      阿波池田周辺は、昔、専売公社(旧日本たばこ)や船井電機がありました。

    2. 0:06~ こういう普段は出さないようなスーツさんの奇声というのはドスコイさんのデフォルトで奇妙なテンションへの相槌をスーツさんも同様の強度をもって打たないといけないという実直な義務感から来ているのではないかと最近思い始めた

    3. 昔、自然の川はクネクネ曲がり氾濫して肥沃になる。交通、物流的に直線にする。結果的に天井川になる😳

    4. 徳島に関心も興味もなかったのに、二人の話しを聞いたら、なるほどと、タメになりました、良さを引き出してくれますねー

    5. 自分は最近徳島にハマっていてここ2年で3回徳島に行きました。徳島線は何度もお世話になりました。
      本数が少ないとプレミアム感はありますがスケジュールに余裕がないときは焦りますね。
      ところで邪馬台国阿波説はご存知ですか?youtubeでも一部で盛り上がっています。
      古事記の舞台、皇室の起源も徳島という説があります。壬申の乱の舞台も徳島の吉野川と考えると腑に落ちる点が多々あります。
      高校野球の池田高校、剣山、ラーメン、各時代いろいろ魅力的なものがあります。今祖谷は外人に人気らしいです。ちなみに祖谷は元々渡来系の人が多く美人が多いそうです。縄文人だけで日本が成り立っているわけはないのだから当たり前の話ですが。実はシーツさんの祖先も高貴な生まれなのではないでしょうか?

    6. びわ湖くん、ほんとう有名になったんだなあ
      吉野川を自転車で渡ると、風が強すぎて息が出来なくてヤバかったです

    7. 吉野川も深い青だけど、「仁淀ブルー」「四万十ブルー」と、四国の有名な川は複数が「綺麗だから青く見えるよ!」推しをしてるんですよね(笑)

    8. 早明浦ダムは渇水して昔の小学校が出てきたりするニュース東京でも毎年のようによく報道されてましたが最近はあんまりないですねえ(渇水がないのは良いこと)

    9. 祖谷のかずら橋行ったな~ 懐かしい!この辺りすごく景色が綺麗で行く価値あります✨ 一緒に行った外国人の友人も大満足でした!😊👍

    10. 現地人ですw いろいろ間違っているので訂正をしておきます。 徳島で電車と言うと汽車と訂正されますw でも最近ハイブリッド車が導入されて少し電化されました。 うだつの町並みがある場所は穴吹でなく脇町です。 うどんは地域によって色々種類があります。 鳴門は鳴ちゅるうどん、土成はたらいうどん等。 徳島を紹介していただきありがとうございました^^

    11. 今回も面白かったです。お二人をお話味わい深く拝聴させていただきました。次回、楽しみです。

    12. 15:32 実は江戸時代のやらかしが原因

      > 豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政が入国し徳島城を築城しました。

      当時の吉野川は、第十(地名)から北へ流れ現在の旧吉野川・今切川として紀伊水道に注いでおり、徳島城に通じていませんでした。
      藩は、徳島城の防御、舟運のため、吉野川の水を引き込むことを決め、第4代藩主蜂須賀綱通は、吉野川と別宮川(規模は全然違うが現在の吉野川下流の河道の位置)をつなぐ「新川掘り抜き工事」を寛文12年(1672)に行い、幅6~8間の水路を開削して別宮川へ導水したとされています。
      ところが、別宮川沿いの土地が低いため、吉野川の水は別宮川へ流れるようになり、洪水の度に川岸を徐々に削り取り、川幅は拡大していきました。安永年間の東黒田村(現 徳島市国府町)古文書には、工事が村民の反対を押し切って行われたことや、洪水時には東黒田村の旧集落を飲み込み川幅が拡大した記録が残されています。

      また、工事の影響は別宮川筋の洪水被害に止まらず下流域の村々にも及びました。
      新川掘り抜き工事後、吉野川の水勢はだんだん衰え、潮が遡上したことにより、元禄年間には水田耕作が減退し、海岸近くの地盤が低い村々では、毎年の年貢を納めることができず、離散する農民がでるほどに苦しんでいました。新川は、その後も成長が止まらず宝暦年間には幅200間以上に広がっていました。
      このため、平石村(現 徳島市川内町)の庄屋重右衛門、大松村(同)の庄屋丹右衛門が発起人となって川筋の44ケ村が相談し、藩へ第十村で新川を堰き止めることを願い出て許可され、宝暦2年(1752)の春に堰が造られました。新しく造られた堰は、長さが220間(400m)、幅7間から12間で、その構造は、木杭の間に石を詰めた柵堰と呼ばれるものであったとされています。この堰が、「第十堰」(下堰)の原形なのです。

    13. 地元民です。取り上げてくださり、ありがとうございます。吉野川は元々は高知→徳島(県西部)→香川と流れていたそうです。讃岐山地が隆起したことで池田付近に壁ができ、東へ90度向きを変える今の形になったそうです。讃岐山地ができていなければ、香川の渇水は今よりもマシになっていたかもしれないですねw

    14. ダムに溜まった水が大河に流れてるんじゃなくて、数多ある支流地域に降った雨が大河に注いでるんだよ

    15. 映像の中で藍染めって言ってるけど染物そのものよりも染料となる「すくも」を出荷してたはず。

    16. スーツくんの深掘りオタクが全面的に出てしまった動画でした。私的にはイマイチでした。

    17. お二人が言っていた通り、徳島は水と藍で莫大な富を築いた街です。
      その名残として、徳島市の新町川のほとりにある「藍場浜」の川向かい、「船場」という場所に建つ阿波銀行本店は『帆掛船』の形をしています。
      まさにその場所が、かつて藍商たちが全国へ向けて藍を輸出し、帰りは莫大な富を積んで帰ってきた出発点であり帰港地だったからです。当時のロマンがそのまま街のデザインに残っていて面白いですよ!

    18. 四国にはもう30年近く行ってませんが、だんだん畑が綺麗だったり、今治の公民館になぜか住民の方が泊めてくださったりと素敵な思い出がたくさんあります。今日の動画もとても楽しかったです。猛暑が終わったらサンフラワーに乗ってゆっくり旅してみようかな。

    19. 定番の面白さ。
      事前におふたりのYouTubeを見ておくと、さらに楽しめますね。

    20. 面白かった!
      普通に近場の旅行先として「下呂温泉」と言っていたけど、珍しいネーミングだったんだなぁ…と気付かされました!

    21. 大学生時代のスーツさんの動画
      よく見てました。
      卒業後は
      ドスコイさんに乗り換えました。😅
      ゆきりぬ のように
      なっていなくて安心しました。

    22. 香川県民です。
      香川用水の水源、早明浦ダムですが高知県にあります。また、徳島県が持つ水利権の影響で香川県に配分される割合が少ないという欠点がありました。そこで、香川県西部に貯水池を作り、渇水時に利用できるようにしました。
      淀川における滋賀と大阪ほどの格差はありませんが、現在では徳島や高知より香川の方が経済的に強いので、同じ意識があるかもしれません。

      大歩危小歩危付近のJR土讃線から見る渓谷美は、予土線の下灘駅と双璧をなす四国の鉄道名所です。
      高速道路では見られませんので、高知観光の際はJRのご利用もご検討ください。

    23. 香川県民です!
      香川用水、水不足の件、スーツさん良くご存知で驚きました。早明浦ダムの貯水率が50〜60%を切ると連日ニュースになり、取水制限が始まります😢(市町村毎に何時から何時までは水道が出ない)
      学校のプールも中止になり、公園の噴水や水場も止まります😂

      ですが、ひとたび高知に台風が来ると貯水率が一気に100%に回復したりします(笑)香川は早明浦ダムに本当にお世話になっています。🎉🎉

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