【神奈川・小田原】なぜここに? 住宅街にひっそり残る元私娼窟。川崎長太郎が愛した抹香町を歩く

    神奈川・小田原にあった私娼窟・抹香町を歩いてきました。
    住宅街の中に今もその残照がひっそりと残っています。

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    小田原の裏歴史「抹香町」とは?住宅街に残る赤線の痕跡

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    12件のコメント

    1. お疲れ様です。
      結構それらしい建物が残っているんですね。
      出入り口が二つ以上ある、玄関に立派な唐破風、丸窓や瓢箪の透かし窓がある、二階に欄干が有ったら妓楼建築の可能性が高いです。
      カフェー建築は角の部分にアール構造があり、タイルを多用、入り口が引っ込んでいるとほぼ確実な感じですね。
      貴重な動画ありがとうございました。

    2. 生粋の地元です。私はすぐ隣の東町でした。この東町は昔、部落だったと長老から聞いていました。確かに小学校のクラスメート数名はいつも銭湯に通っていました。当時は子供だったので一帯が市営住宅だとは知りませんでした。川崎市の抹香町は読みましたよ。それではじめて生まれたこの地が、そういういわれのあるところだったことを知りました。部落→遊郭→公営住宅地帯、という連想に違和感を感じませんね。 いまでも新玉付近は車で通ります。小学生のころ足を延ばして新玉まで探検しに行きましたが、記憶にある場所ばかりでした。 こういう動画をあげていただくと逆に自分の生まれた土地のことを深く見ることができます。面白い内容をありがとうございました。

    3. (;´д`)コレが日本の」私娼窟ですか・・・貧相なww
      自分がソウルで見た(体験)した私娼窟(売春をバイトとして金を稼ぎ、大学に通ってる女子大生の共同下宿先)は、住宅街の中に有り総二階建ての、全て大黒柱サイズの柱の、日本では見た事が無い豪勢な館でしたよ。 ”流石、売春が国技の国は伊達では無い“と、その威容な建物に圧倒されました。
      各個室に仕切られ今のワンルームマンションのようでした。その一室に招かれましたが、韓国独特の障子から明るい光が入り、垣根の外を下校中の子供達の元気な声が聞こえて来て「韓国は学校区域の中にこんな建物が普通にあるのか?」と、コレも心底驚きました。
      当時は全斗煥大統領で、日本に金を借りに訪日し「○○億ドルを韓国に無条件で貸せ。コレ以下には負けられない」と借金する側が上から目線で日本に注文を付け、国会でも大騒ぎだったww

    4. 私見です。
      遊郭建築は,昭和時代では,
      アール(曲線,丸)を,ほぼ確実に,使っているようにおもいます。
      直線・直角ばかりの建築は,私娼窟(青線)には無いように感じます。
      また,建物が,赤や桃色系に塗られているなど。
      遊びがデザインにあるとか。

    5. 江戸時代、八王子宿、と小田原宿と、三大宿場町で、特に小田原宿は、カマボコや提灯が、有名だった!

    6. 地元の者であるが、子供の頃大人から新開地・新地など正式な地名でもない地名を言われ困惑していたが慣れてしまえばそれが当たり前になった。

    7. 過去に神奈川県は新開地入り口に保健所を設置し娼婦の性病検査の便宜を図っていた。その後保健所は2回も移転し跡地は障害者地域作業所・公民館などになっている。

    8. 新地入り口には派出所が設置されその裏には小田原市が公衆トイレを設置していた。なぜここに設置しているのか意味が分からなかったが後になって遊郭があった事を知り警備のために設置していたようである。現在では派出所は移転し公衆トイレは撤去されている。新開地・宮小路にも徒歩数分圏内に設置されている。

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