【沖縄戦】糸満与座地区に大きな製糖工場があった~戦争で大きな被害を受けた与座を歩く~戦前から戦後の与座地区の変遷をさぐる~高嶺製糖工場~沖縄軽便鉄道~ 戦前大きな製糖工場があった糸満与座地区~軽便が走り那覇まで通じた与座は今より那覇に近かった~高嶺製糖工場のその後~米軍が設けたワーラーポイントとは~ Okinawa ワーラーポイント 与座がー 沖縄 沖縄戦 沖縄軽便鉄道 湧き水 糖蜜タンク 糸満与座 門柱 高嶺製糖工場 高嶺駅
@ゲゲゲのジージー on 2025.02.25 23:30 街歩きokinawaさん、おはようございます。富盛の大獅子は訪れましたがその近くにあったんですね。参考になりました。軽便鉄道が残っていたら製糖工場も再生されてたかもしれませんね。それにしても戦争は悲惨だなぁ…🙏
@藤村久夫-o2i on 2025.02.26 00:15 おはようございます。街歩きokinawaさん。もし、戦争が無かったら糸満は大きな都市になっていたでしょう。軽便鉄道には1921年、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)がヨーロッパ訪問の途中で沖縄を訪問した際に、与那原線に乗車し那覇まで行かれています。 軽便鉄道は高嶺製糖工場に原料であるサトキビを運び、できた砂糖を那覇へ運び海運で各地に送り出されていたと思います。それだけ産業が発達した都市であり、沖縄の中心都市でも、あったことが伺えます。 何故か、わが故郷、讃岐は和三盆(砂糖のお菓子)で有名で江戸時代には産業が発展しています。現在も砂糖文化が残り和三盆は「うどん」と同じくらい有名で名物となっています。 もし、戦争が無かったら糸満地域は沖縄の産業の中心であり、交通の要で豊かな都市として発展していたでしょう。現在でも、湧き水あり、人気の食堂がたくさんあり、観光名所も多くあります。 戦争で多くの市民が無くなったことは残念です。
@野上妙子-v5l on 2025.02.26 00:21 おはようございます。精糖工場跡、この糸満市には、ひめゆりの塔など、戦跡が多いですね。私も、こちらの散策では、考えさせられました。この平和がいつまでも続きますように。
@ねこまんま-f6u on 2025.02.26 03:51 この道をバスに乗って通学してたのに、こんな門の跡があるなんて知りませんでした。こんど見にいってみます。沖縄の至る所に、ほんとに沢山の製糖工場があったようですね、車で走っているとかなりの頻度で製糖工場跡の石碑などみかけますよね。
@OOGIMIKOTAROU on 2025.02.26 09:02 いつも楽しく見させて貰ってますww糸満、兼城ドンドンガマの坂道両サイド積み石の塀も風情があっていいですよ、今度ぜひさんさくしてくださいww坂登り切った左側の小道をいくと、開けた場所にカフェがあって(今は廃業してるかな?)そこの積み石の塀も素敵でしたよ
@ryoyama9598 on 2025.02.26 09:41 鉄道は北部方面、東部(与那原方面)に通っていたことを聞いたことがあります。どちらもサトウキビを運ぶためだったんですかね。たしか米軍は当初、本島ではなく慶良間諸島から上陸して、本島は読谷あたりから上陸してきたと聞いた記憶があります。違っていたらごめんなさい。ご紹介の糸満は最後の摩文仁がある地でもあるので、南部を中心に激戦があったことは容易に想像がつきます。沖縄に来る前までは全く沖縄戦のことは耳にも入ってきませんでした。本土ではそんな扱いだったんでしょうね。今でもロシアの侵攻により戦争が行われています。我々が生活を楽しんでいる裏では多くの方が犠牲になっています。これでいいのか、本当につらいですね。
6件のコメント
街歩きokinawaさん、おはようございます。
富盛の大獅子は訪れましたがその近くにあったんですね。
参考になりました。
軽便鉄道が残っていたら製糖工場も再生されてたかもしれませんね。
それにしても戦争は悲惨だなぁ…🙏
おはようございます。街歩きokinawaさん。
もし、戦争が無かったら糸満は大きな都市になっていたでしょう。
軽便鉄道には1921年、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)がヨーロッパ訪問の途中で沖縄を訪問した際に、与那原線に乗車し那覇まで行かれています。
軽便鉄道は高嶺製糖工場に原料であるサトキビを運び、できた砂糖を那覇へ運び海運で各地に送り出されていたと思います。
それだけ産業が発達した都市であり、沖縄の中心都市でも、あったことが伺えます。
何故か、わが故郷、讃岐は和三盆(砂糖のお菓子)で有名で江戸時代には産業が発展しています。
現在も砂糖文化が残り和三盆は「うどん」と同じくらい有名で名物となっています。
もし、戦争が無かったら糸満地域は沖縄の産業の中心であり、交通の要で豊かな都市として発展していたでしょう。
現在でも、湧き水あり、人気の食堂がたくさんあり、観光名所も多くあります。
戦争で多くの市民が無くなったことは残念です。
おはようございます。精糖工場跡、この糸満市には、ひめゆりの塔など、戦跡が多いですね。私も、こちらの散策では、考えさせられました。この平和がいつまでも続きますように。
この道をバスに乗って通学してたのに、こんな門の跡があるなんて知りませんでした。こんど見にいってみます。
沖縄の至る所に、ほんとに沢山の製糖工場があったようですね、車で走っているとかなりの頻度で製糖工場跡の石碑などみかけますよね。
いつも楽しく見させて貰ってますww
糸満、兼城ドンドンガマの坂道両サイド積み石の塀も風情があっていいですよ、今度ぜひさんさくしてくださいww
坂登り切った左側の小道をいくと、開けた場所にカフェがあって(今は廃業してるかな?)そこの積み石の塀も素敵でしたよ
鉄道は北部方面、東部(与那原方面)に通っていたことを聞いたことがあります。どちらもサトウキビを運ぶためだったんですかね。
たしか米軍は当初、本島ではなく慶良間諸島から上陸して、本島は読谷あたりから上陸してきたと聞いた記憶があります。違っていたらごめんなさい。ご紹介の糸満は最後の摩文仁がある地でもあるので、南部を中心に激戦があったことは容易に想像がつきます。沖縄に来る前までは全く沖縄戦のことは耳にも入ってきませんでした。本土ではそんな扱いだったんでしょうね。今でもロシアの侵攻により戦争が行われています。我々が生活を楽しんでいる裏では多くの方が犠牲になっています。これでいいのか、本当につらいですね。