【古代濃尾考⑪】⛩️🚃✨古代岐阜県の美濃国の古代史は百済系渡来人の影響有り?😧古事記&日本書紀を読み解きつつ、愛知県と岐阜県を旅行して古代史の謎を妄想解釈します😉
古事記&日本書紀を妄想解釈しつつ、愛知県と岐阜県を旅行します😉
古代岐阜県の美濃国の古代史は百済系渡来人の影響有り?😧
◆参考資料
金神社HP参照
https://koganejinjya.com/
岐阜市 編『岐阜市史』,岐阜市,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1170918 (参照 2024-01-28)
[舎人親王] [編]『日本書紀 30巻』[13],慶長15 [1610]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544352 (参照 2024-01-31)
[舎人親王] [編]『日本書紀 30巻』[14],慶長15 [1610]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544353 (参照 2024-01-31)
佐伯有義 編『六国史』巻6 (続日本後紀),朝日新聞社,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1194459 (参照 2024-01-24)
藤原継縄 ほか『続日本紀 40巻』[18],明暦3 [1657]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563130 (参照 2024-01-24)
藤原継縄 ほか『続日本紀 40巻』[9],明暦3 [1657]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563121 (参照 2024-01-27)
林道春『本朝神社考 6巻』[2],刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563737 (参照 2023-05-31)
経済雑誌社 編『国史大系』第5巻 日本紀略,経済雑誌社,明治30. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991095 (参照 2024-01-27)
佐伯有義 編『六国史』巻5 (日本後紀),朝日新聞社,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1179587 (参照 2024-01-28)
藤原継縄 ほか『続日本紀 40巻』[1],明暦3 [1657]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563113 (参照 2024-01-28)
栗田寛 著『新撰姓氏録考証』下(巻11-21),吉川弘文館,明33.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1086613 (参照 2024-01-28)
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15件のコメント
今回もワクワクしながら聴きました。ありがとうございます。
むかーし濃尾平野は雨が降るたび無数にある大小の川の流れが変わるので、川を龍に見立てて、八岐の大蛇と言うことがありました。
尾張は尾が張ると書く通り、
川を龍に見立てて、上流を頭、河口を尻尾とすると、尾が張っていると言う意味です。
草薙の剣は、濃尾の河口で川の砂鉄から作られた刀だから、龍の尾から生まれたと言われ、熱田に存在するのは正統であると言う話は、私の妄想です。
いつもすごい考察です。✨
以前、高橋克彦さんの『風の陣』シリーズで伊治呰麻呂(これはるのあざまろ)の存在を知りました。
阿弖流為の少し前の時代のお話でした。
いったい百済とどう繋がるのか楽しみです。
そういえば善光寺の善光も百済義慈王により扶余豊璋とともに倭国に来ていた百済王善光だという説もありますもんね。😮
この人も物部の血を引いていたのでしょうか。
やっぱ百済系が関係してたんですね。確かに勝◯と斎藤と高橋は仏教系だったんで謎は解けて来ました。やっぱここで繋がりありそうのは、王仁(和邇吉師)かな
古代大陸からやってきた民。
時代にもよるでしょうが伝承として受け継がれる神様。
アメノヒボコ ツヌガアラシト…
新羅の王子なのか?百済?辰韓?
わかりません。
妄想は楽しいですよ。
山科の坂上田村麻呂のお墓参りしました。小さな公園があり近所の子供たちが元気に遊んでました。
ほお、壬申の乱の大海人皇子軍の主力は東海の百済系なんですね
大友皇子軍は近江なので新羅や伽耶に近い勢力なのかな
天智天皇が白村江の戦いに敗れるまでは、大和朝廷内は百済系が勢力を握ってたようですが、それに大敗して近江に都を移したのは、百済系が発言力を失って新羅伽耶系に中心が移ったことの反映かも知れないなと
壬申の乱は、大海人皇子を担いで百済系が政権奪還した政変だったのかも
イイですねー。
東北と美濃の繋がり。
百済風味とは!
気になったのが、宮勝木實さん。
宮勝ノ木實、と振ってあるのに、「みやノすぐり・このみ」とは、バカにしてんの?
って、世の中の常識のアホさ。
分解しましょう。
宮 呉ク 漢キュウ 訓みや 万葉がなーなし。
勝 呉・漢ショウ 訓かつ、まさる、あげて、すぐれる、たえる(たふ)。 万葉がなーなし。
木 呉モク 漢ボク 訓き・こ 万葉がなーき・こ
實 呉ジチ 漢シツ 訓み、みのる、さね。。。 万葉がなー乙み
「宮勝ノ」と切っている点、「宮勝」に万葉がなの「音を表す漢字が当てられていない」点を併せて、「宮勝」は訓読みかと。
宮=みや、で一発。
勝、です。問題は。世の中の呆れた常識では、「すぐれる」から引用した「すぐり」。
ホントっすか?
奥州の金を得ることに成功した≠ 奪取に成功した、というのだから、「かつ」はあるが、「まさる」「あげて」「すぐれる」は、なし。
たえる(たふ)=勝える(勝ふ)の意味は、勝つ・優位な立場を得る、です。
よって、「勝」は「勝ふ(タフ)」。
合計して、「宮勝ふノ」(みやたふノ)なのでしょう。
木實って、簡単ですよね。
万葉仮名がありますので、「君」「公」です。多分、「君」。使いたくなかったのでしょう。下に見たかった。
総合計。
宮勝木實さんとは、みやたふノきみさん。でした。
参考まで。
隋書俀國伝似伝える、開皇二十年 俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌さんの説明。
〜王妻號雞彌 後宮有女六七百人 名太子為利歌彌多弗利 無城郭 内官有十二等〜の、
「名太子為利歌彌多弗利」は、「りかみ・勝ふり」≠ 「李神・勝利」かも知れません。
従前、太子を名付けて「利」。上塔(かみたふ)の利、と為す。と、読んでいたのですが。
多利思北孤さんが、「天未明時出聽政跏趺坐」と、仏教にどっぷり浸かってますので、「上塔」が出てきたわけ、プラス、名は中国風味の「1字名称」という想定からですが、「たふ」が「勝ふ」ならば、
倭王武の上奏文、「封國偏遠作藩于外自昔祖禰躬擐甲冑跋渉山川不遑寧處東征毛人五十五國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國」にぴったりかな、と。
桓武朝は百済系多いですね。母方が東美濃ですが水害は多いですが土地がやせず米収量の多い土地ですよ。水屋の在る所です。
かなり 論理飛躍があります 美濃は 本質的に新羅・伽耶系の土地柄 祭神も。愛知・岐阜の「高椅」は、天香語山命がらみです。愛知人より。
■ 朝鮮半島 最大の古代の墓、開けた直後に閉じた理由は 2021-03-21 韓国【ハンギョレ新聞】
「韓国 前方後円墳」・・・YouTubeだけでも いくつか出てきますが、”百済”とか、”任那(日本府)”とか、”伽耶”・・・等は、そもそも 「古代 日本の領土」だった可能性が、「古代 日本式の 前方後円墳」が 特に 韓国 南西部 中心に 複数 存在することから 考えられます。つまり 日本から 古代日本人が 一旦 朝鮮半島に進出した後、日本へ 戻ってきた(里帰りした 出戻り組)の可能性が 考えらえる。 ところが、その「前方後円墳」を、韓国側は ブルドーザーや ショベルカーを使って 証拠 隠しということでしょうが ”円墳” 等に 土木工事で 改造したり、土をかけて埋め戻したり、とんでもない暴挙に出ている様で。。。
尾張美濃に住む百済人、天智天皇のおかげで大勢の同胞の命と王族たちの地位が保証されたのになぜ天智亡き後天武側に味方したのか、在地の勢力と共に戦う選択をしたのか(尾張美濃の人は中臣氏が嫌いだった?)、住まわせてくれたその土地と住民のために生きるというのが渡来系の心意気なんかなぁって、秦氏追っててもそう思ったけど、昔の華僑もそんな生き方が信条だったし。なんか思いの外うるうるでした
百済って日本人の国だったけど
金はピラミッド
五十鈴川 持統 平泉
金神社、家から近いのでたまに行きます。春のヒトツバタゴの花は見ごたえがあります。
この動画のように考えたことがなかったので、新鮮な気持ちになりました。
投稿ありがとうございます。
百済の建国の母と言われる小西奴
小西が多いのはこの流れか?妄想なので 無視してね😂
多治見には新羅神社があるし、渡来人の集落がちらほらあったのかな、岐阜に