大阪汐見橋|古地図で歩く桜川と街の記憶
大阪・汐見橋駅周辺を、古地図をもとに歩きながら街の変遷をたどります。
かつてこの場所には「桜川」という水路が流れ、橋や農地が広がっていました。
戦災による焼失を経て、1970年前後には団地や阪神高速が整備され、街の姿は大きく変わっていきます。
一方で、赤手拭稲荷神社や独特な構造を持つ汐見橋駅など、過去の名残も今に残っています。
何気ない街並みの中に残る歴史を、古地図とともに読み解きます。
このチャンネルでは、奈良・大阪・京都を中心に、
鉄道・駅・街並みを通して昭和から近代にかけての
都市の変化を記録・解説しています。
昔の写真や古地図、過去の映像と現在の風景を比較しながら、
失われつつある街の記憶をたどります。
※ 動画は史実・資料をもとに個人が調査・制作したものです。
14件のコメント
サイズ感。。AI画像のような温度計だな~ 0:35
9:16 【汐見橋駅】の場所に【朝潮橋駅】というタグが…
コチラのチャンネルでは珍しい…
本当に桜川って川があったんですね
難波表記なのも感慨深い
国鉄湊町駅が昔はもっと北に張り出してて千日前筋が迂回してたの覚えてます。
この🎶🎶🎶聞くとなぜか?
その昔に、
タイムスリップしてしまう😅
明治期は田んぼだったんだ(*'ω'*)
なにわ筋線になり損ねた路線。他線(メトロ、JR、阪神)との接続も後少し近ければそれなりに便利になるような微妙なロケーション。いっそLRTにしてしまうとかw。一等地であるのに何故か開発から取り残されている。。近隣が問題地域だからか?
こういう駅舎やビルもまだ残っているんですね。ノスタルジーを駆り立てる構成だけでなく、調査が綿密で最高です。
本題とはずれますが、大正区民の私にとって、かつて大正区が陸続きであったことを知った時はかなり衝撃的でした。いつか取り上げてくださいね。
今回も街の今昔動画をありがとうございます。生まれが難波の母(昭和8年生まれ)もKansai-ex殿の動画を楽しみにしています。おかげさまで大阪の街歩きが新しい楽しみになりました。その街歩きの際にはいつもの幻想的なBGMが脳裏に流れます・・・。
仕事の担当地区が変わり、汐見橋、桜川周辺はほぼ毎日車で通ります。あの高層ビル、小学校の跡に出来たのですね!!新桜川ビルは以前から無茶注目していました。稲荷は知りませんでした。週明けに行ってみよう(^^)あの辺り、昔は川があって田んぼがあって、無茶変わったのですね。有難うございました!!
かつて、父が勤めていた会社がこの近所にありました。
子供のころは何度かいったことがありましたが、記憶がありませんでした。
ですが、この街の歴史、移り変わりを知ることが出来、とても親近感が
わきました。
いつも、楽しい動画をありがとうございます。
一面農地だったのが一気にびっしりと長屋で埋め尽くされていますね。明治末期から大正期にかけての驚くほど急激な人口増加
この頃は町村合併や大阪市への編入など行政もめまぐるしく変わっていった頃で役所の人は大変だったでしょうね
どうやって吉野行ってたんやろ?河内長野経由??。しかし凄い動画やな、感動…
動画ありがとうございます
その辺りで育ったS46年生まれです
凄く懐かしい映像もありタイムスリップできました‥‥ありがとう