【衝撃】古代の埼玉県を支配していたのは蘇我氏?
埼玉県の埼玉古墳群を巡りつつ、
古事記&日本書紀や古史古伝から広がる、
古代史の謎を妄想解釈します😉
古代の埼玉県を支配していたのは蘇我氏?😱
◆参考資料
伴信友 著『高橋氏文考注』,大岡山書店,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1175589 (参照 2023-08-06)
『聖徳太子伝暦 2巻』[2],写,[室町後期]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544997 (参照 2023-11-18)
藤原継縄 ほか『続日本紀 40巻』[14],明暦3 [1657]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563126 (参照 2025-05-04)
『先代旧事本紀 10巻』[5],前川茂右衛門,寛永21. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563305 (参照 2023-09-12)
奈良県教育会 編『大和志料』中巻,養徳社,昭和19. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1143230 (参照 2024-02-27)
栗田寛 著『新撰姓氏録考証』上(巻1-10),吉川弘文館,明33.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1086593 (参照 2025-06-29)
『上宮聖徳法王帝説』,古典保存会,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189406 (参照 2024-03-04)
『群書類従』第85-86冊(巻63-64),刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2559094 (参照 2023-10-10)
[舎人親王] [編]『日本書紀 30巻』[12],慶長15 [1610]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544351 (参照 2024-02-27)
[舎人親王] [編]『日本書紀 30巻』[12],慶長15 [1610]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544351 (参照 2023-04-07)
#ふどきさんの古代旅
#古事記
#日本書紀
15件のコメント
次回、気になる😆
変態トレンチコート埴輪に1票
埼玉西部に蘇我さんが作ったお寺が結構あります
千葉の武射郡になってしまうのですが高句麗の人を迎えいれていて
高句麗の人が入ったから射の字を当てたのではないでしょうか?朱蒙という方が射の名手と伺っています
個人的には神話で言うと高句麗(平壌)が高天原として加耶(芦原中津国)を国譲り迫ったのではないかと
蘇我氏が天孫降臨した氏族でニニギがあかあかきねなので赤い柱の飛鳥寺を立てた蘇我馬子
忍穂耳が稲目を忍ばせている、山幸彦海幸彦が山背入鹿の入れ替わり、
ウガヤフキアエズが萱を葺かなかった屋根で板葺きの宮、蘇我入鹿の死んだ場所
山背が入鹿になっているので蝦夷の正体は聖徳太子ではないかと。
歴史的に言うと倭の5王の時代には朝鮮の防衛を唐から任されていたのは事実ですので
高句麗に攻められた分の百済の補填義務があって譲ったのではないかと。高句麗と倭は親戚になるのではと
魏略の倭人が自称した太伯の後裔、周王朝。高句麗の分かれる前の扶余建国が東周の滅亡の少し後なので
いささか中国朝鮮史を勉強不足で不確定ですが、
おそらく高句麗からさらに分かれた百済から七支刀を渡されて同族であると認識したと考えています。
すると蝦夷は、物部氏なのか。
物部系の神社がある入間郡をさいて、
高麗郡だか新座郡だかつくったみたいなので、
てっきり、丁未の乱で、とられちゃったんかなとおもってたんだけど、どうなにゃろ。
それとおなじで、蘇我氏が蝦夷を吸収したってこと?
和爾氏系 の難波皇子 は 丁未の乱で 蘇我側についたけど、やられちゃった。
と、ウィキペデイアにあって、
和爾と蘇我って なかよしなの?
三島の竹村屯倉に、難波吉士っていうがいて、
どうもこの 難波皇子 の 名前と 関係してそうなんや。
この時代、朝鮮に遠征している時代なので、
水軍?につよい 和爾 がけっこう活躍したような感じだ。
蘇我の外交と和爾は、協力関係にあった感じです。
なかよしだったみたい。
こういった政治的な主導権をもった皇別氏族が、
連である物部を、直接的な管理下におこうとしてたってことが、
丁未の乱の 本質じゃないだろうか。
とすると、崇仏論争とかじゃなかった。
おんなはうみ~♪ じゃないよ。でも古代史ホリホリするとたのしいよな~♪
1.武蔵国造さん一族(上海上国造・千葉の市原)に、五十狭茅宿禰 てのがおるんやが、
五十狭茅宿禰は、ウィキペディアに、
大彦命を祖とする[注釈 1]。のちの難波吉士で、この一族に難波日鷹吉士(なにわのひたかのきし)・大草香吉士(おおくさかのきし)がある。
ただし、記紀では難波吉士部・吉士を海上五十狭茅の末裔とする
とある。神功皇后のころの人物で、摂津の生田神社にまつられている。
2。新撰姓氏録でさがすと、
河内国 難波忌寸 大彦命之後也
河内国 難波 大彦命孫波多武彦命之後也
「武蔵国造」で「オオビコ」を祖として、「難波吉士」になった、という流れがよみとれる。
3。しかし、難波吉士をしらべると、三嶋竹村屯倉(安閑天皇)に関わっていて、
そこには別に 吉志部神社 がある。
大草香吉士の由来は 雄略天皇のころ、大草香皇子に殉死した、難波吉師日香蚊 の 美談からくるとある。
4.草香・日下といえば、
河内国 日下連 大彦命男紐結命之後也
河内国 大戸首 大彦命男比毛由比命之後也
山城国 日下部宿祢 開化天皇皇子彦坐命之後也
というんで、難波吉士 は これらと同じ政治グループだとみられる。
「日下」、「オオビコ」、「難波吉士」。(これに「日下」、「彦坐命」が合流している)
なんとなくおんなじ構造がみてとれる。
「蝦夷」はアイヌ語のエムシ(刀)が語源?日本刀原型の蕨手刀は東北生まれ。蕨手刀は馬上戦向け。東北は馬の産地だった。「毛人」は毛深いのでなく、毛皮を纏っていたから?
親世代で殺し合い、息子も殺されて最後は自害したとか、蘇我蝦夷は悲劇だな。
出雲振根の神宝事件の時に、越の国に逃げた一族が蘇我になって帰って来たんじゃないですかね?
所謂、外物部。元々の常陸にいた大和族が、移動して島根に行ったのが出雲族。
さすがふどきさん! なんでも知ってらっしゃる…僕は馬子 蝦夷 入鹿の漢字の当て字は 太安万侶さん一流の春秋の筆法だと思います 蘇我 物部 和爾 小野 意富…この辺は古墳時代後期〜奈良時代あたりまで関東にかなり関係が深い氏族だと思ってます
蘇我氏はホントに不思議な存在だと思います。日本書紀でめちゃ改竄されてるのであちこちにズタボロにされた残片が残るだけですネ
なので他の文書📄をヒントにしてあれこれ妄想するしかない😅
伊沙庭碑文によると聖徳太子に臣従して596年伊予村に逍遥、神の井を見てます。法王大王と馬子ですが、法王大王は百済の王でもあります、つまり聖徳太子は百済の王⁉️それに臣従する蘇我馬子は任那の王とも言われてますね
そういえば蘇我蝦夷の子供に物部大臣という人がいたなぁ。
毛人の母親は、物部守屋の妹で同腹の妹が太子の妃の刀自古郎女。
千葉県の地名に蘇我があるけど?
茨城県にたまつくりの地名と太子の地名がある。
将軍古墳に使われてる石が、木更津から運ばれていたし木更津の豪族は銚子の豪族とも強いつながりがあったみたい。
蘇我は葛城氏ともつながるらしいし、婚姻関係で、政略結婚が錯綜していたのかも?
千葉市にも蘇我という地名があるが、蘇我氏と関係があるのか気になった😅
雄略大王や大和の権力者が朝鮮半島との繋がりより東日本や九州の豪族たちとの繋がりを重視し始めたの6世紀初くらい?でもあまりに雄略王の過激な政策転換がヤバすぎたのかもしれない
んで、蘇我氏…突然現れたのに皆が認めてるらしい高貴な豪族……は歴史を学んで朝鮮半島も東国も大切と国家運営してたのかな、のちに次期天皇に潰されたので悪役として過小評価され過ぎて😿 やっぱ蘇我氏はスゴイ奴らだったんだ-、関東の神社や遺跡もスゴイなぁ
【地方史解釈かもしれないけど、その頃吉備の豪族は蘇我氏推しで自国の屯倉をプレゼント、その屯倉の管理者は旧葛城氏系で吉備と全然切れてない縁(吉備の屯倉は蘇我氏に盗られたのではなく蘇我氏援助で与えたと最近書店で立ち読みした自分は吉備住みの者です💦)】
そういえば、海老沢さん、海老根さんと言う方友達にいたわ。
北関東出身だけど、、
なんか関係あるのかな?