【4K動画】【白洲次郎と正子夫妻が選択した昭和のくらしが武蔵野の雑木林の中に~旧白洲邸 武相荘】資産家の家に生まれた次郎と華族の家に生まれた正子、飛び切りのエリート夫妻が遺したもの、そのヒミツは?

    00:00 プロローグ~鶴川駅から白洲邸まで
    04:51 白洲邸の入口で背景を考える
    10:24 武相荘のヒミツは?
    14:25 正門にある次郎が彫った看板
    17:10 母屋の木製の輪っぱはなぜ?
    18:58 三重塔と鈴鹿峠石塔のなぞ
    21:11 ウッドデッキを歩いて湧き水へ
    23:47 名物の海老カレーに舌鼓
    25:31 母屋の廻りにちりばめられたヒミツ
    26:37 エピローグ

    東京都町田市にある旧白洲邸「武相荘(ぶあいそう)」は、実業家・白洲次郎と随筆家・白洲正子夫妻が昭和18年(1943年)から暮らした茅葺きの古民家です。戦時中の食糧事情を見据えて郊外へ移り住み、築100年を超える農家を大きく改築することなく、その趣を生かしながら”終の棲家”としました。「武蔵」と「相模」の境に位置することから、「武相荘」と名付けられています。

    館内には、夫妻が実際に使っていた家具や書斎、食器、愛用品が当時のまま残され、華美な装飾ではなく、質の良いものを長く大切に使うという二人の美意識が随所に感じられます。白洲次郎は戦後の日本復興に尽力した実務家として知られ、白洲正子は古美術や日本文化を深く愛した随筆家でした。その価値観は、この住まいにも静かに息づいています。

    武相荘の魅力は、著名人の旧邸というだけではありません。古い農家の姿を生かし、自然と調和しながら暮らすという思想そのものが、この場所に刻まれています。昭和の一般家庭の暮らしを伝える博物館とは対照的に、一組の夫婦が自ら選び取った生き方を映し出す住まいとして、戦後日本のもう一つの暮らしの姿を今に伝える貴重な文化遺産です。

    武相荘に残されているのは、豪華な西洋邸宅ではありません。自分たちらしい生き方を貫いた、一組の夫婦の『暮らしの哲学』でした。
    なお、母屋(ミュージアム)は撮影禁止になっており、みなさんに内部をお伝え出来ませんが、外からの眺めや庭園、いまに残る武蔵野の雑木林、レストランの名物カレーなど半日いても楽しめること請け合いです(^^♪

    ★昭和のくらし博物館(旧小泉家住宅)の動画はコチラ

    ★武相荘の公式サイトはコチラ
    https://www.buaiso.com/

    ★この動画は施設のルールに沿って撮影編集を行っています。視聴者の皆さんに施設の魅力を伝えることで、歴史的建造物の保存維持の一助になればと思い、自己責任で行っています。施設によっては取材に一定のルールがありますので、管理者にお問合せいただくことをお勧めします。なお、当チャンネルはあくまで個人の趣味に基づくもので、収益化はおこなっておりません。

    【BGM】
    filmora

    【撮影機材】
    iPhone13 Pro Max

    #古民家
    #武相荘
    #白洲次郎

    1件のコメント

    1. 武蔵と相模から命名された「武相(ぶそう)高校」がありますね。かつてはケンカが強く「物騒」とも呼ばれていたらしい。

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