様々な集落を見ていこう【小々丸】【六呂木】【神明原】

    山口県岩国市錦町深川小々丸
    山口県岩国市錦町須川神明原
    山口県岩国市周東町三瀬川六呂木

    【郡中大略による1855年の戸数】
    神明原集落 [12戸]
    小々丸集落 [9戸]

    【神明原大神宮の由来】
    本社(河内神社)の由来を尋ねると、約700年以上前、この地が開かれたばかりの頃、地域全体がまだ未開の状態で、「足谷」という地名で呼ばれていました。当時は、10数戸の小さな集落でした。

    その頃、後鳥羽天皇(第82代天皇)の時代、源頼朝が天下の武将として活躍しており、この地域を治めていたのは大内重信と横山式部康廣でした。この地に住んでいた周田五郎左衛門高春という人が、地域の状況を見て心を痛め、「どうにかしてこの地をさらに発展させたい」と考えました。

    そこで彼は伊勢国渡会郡(現在の三重県)に赴き、伊勢神宮の内宮と外宮の御分霊を当地に勧請しました。そして「河内神社」と名付け、地域住民と共にこの地の発展と繁栄を祈り、熱心に崇敬しました。その結果、近隣からも多くの参拝者が訪れるようになり、この地の未開だった状態も徐々に改善されていきました。これはすべて、住民の神への篤い崇敬と神のご加護によるものでした。

    このような経緯から、地名は「足谷」から「神明原」と改められ、それ以降、ますます熱心に神社の祭祀が行われるようになりました。明治6年には「末社」として正式に認められ、明治11年には神殿と拝殿が改築され、祭具やその他の設備も整備されました。

    さらに、明治39年12月1日には、山口県の訓令第40号に基づいて祭祀を永続的に行うための基金が設立され、その規定が整えられました。そして、明治41年8月1日に山口県知事の渡辺氏からその存続が正式に認可されました。

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